『モノが少ないと快適に働ける』

『モノが少ないと快適に働ける』

読後の感想
真似るところがたくさんありました。
この手の本は理論だおれだったり、極端な人ができる単なる自慢が多いのですが
本書は自分でも出来そうな部分が多かったです。

例えば、書類の区分け。
全ての流れとモノを図示化する。
書類、ノート、名刺、雑誌の紙類とその他のモノ。
紙類は大きく分けて
Aアクティブ書類
Bスキャン書類
C保存用書類
Dゴミ箱行き書類と必ずどれかに分ける

など。

それから、実際に実践してみたのが、パソコンの画面の工夫。
ごちゃごちゃしているワードの画面を、全画面表示にしてみた

すると、本当にすっきり。
余計な情報が見えなくなって、文章がすっきりになりました、オススメ。
(この文章だけでも買う価値ありかと思います)

印象的なくだり

「快適最小限」を実践する上で私が意識しているキーワードが2つあります。それは「ためずに流れをつくる」、「器のサイズを意識する」ということです。
一つめのキーワード、「ためずに流れをつくる」は主に書類、ノート、名刺といった紙類を管理する時のことを念頭におきます。こうした書類は放っておくとたまっていく一方です。入ってくるスピードにあわせて出していく流れもつくらなければ、いずれはパンクしてしまいます。
(中略)
もう一つのキーワードの「器のサイズを意識する」。これはモノを適切な量に抑えるために心がけていることです。たとえば、デスクの引き出しについて。私の仕事場のデスクには引き出しがありません。あるのは、少し大きめなペンケースが一つ。ここに仕事に必要な文具を入れています。
モノを整理しようとする時、やってしまいがちなのがモノをしまうための収納ボックスなどを用意すること。私は絶対にやりません。人はすき間があると、それを本能的に埋めようとする習性があるように思います(P.006)。

サイズの話は、超整理法の野口先生の文章中にもちょくちょく登場しますね。
やはりいちいち考えて行動するのではなく、形から整えることが続けるために重要なのですね。

「パーキンソンの法則」というものがある。これは「仕事の量は完成のために与えられた時間を満たすまで膨張する」というものだ。仕事だけはなくモノについても同じことが言えると思う。用意された器ギリギリまで、モノは増殖するといった具合に(P.071)。

…実感あり。

『チェーンストアの常識』

『チェーンストアの常識』
林薫

読後の感想
そういやチェーンストアに勤めてたんだった(笑

ブラックボックスになっているリベートのところとか
本当かどうか分からないけど、知識として役に立ちそうです。

印象的なくだり

 2007(平成19)年11月に施行された改正都市計画法による規制で、出店できる立地の制限が強化された。延べ床面積が1万㎡以上(店舗面積換算では7000㎡以上)の店舗の郊外出店はシャットアウトされることになった。規模の標準化の追及は、さらに困難さを増すことになる(P.16)。

 MDの内容は、品揃え、棚割に始まって仕入れ、価格設定、在庫管理、販売促進、広告宣伝、販売と多岐にわたる。いわばチェーンストアの”エンジン”であり、言い換えればお客に対して「適品(お客の欲しい適正な商品)・適量(お客の欲しい適切な容量)・適価(お客が納得する適切な価格)・適時(お客が欲しい時に適切に商品を提供する)」という一連の商品化サイクルを推進することである(P.92)。

 メーカーと問屋、小売業との取引には、販売力に応じた2種類の奨励金が支払われる。「リベート」と「アローワンス」である。前者は取引高に応じて支払われる謝礼、後者は特別な販売促進行為に対する援助金である。
 ただ、リベートには取引高の基準設定にあいまいな部分が多い。中でも問題視されているのが、特売時の値引損失分を補てんする販売リベートと呼ばれる利益補てん金。特売の効果がきっちりと把握できてなくても、要求されるままに自動的に支払われ、結局メーカーの持ち出しとなる(P.102)。

 大型店にとって、この中で最も重い足かせとなるのは都市計画法である。2007(平成19)年末の改正によって、出店にはよりいっそう厳しい規制が課せられることになったからだ。
 出店可能な地域は、商業地域、近隣商業地域、準工業地域の3つに限定されることになり、それ以外への出店はできない。準工業地域も、中心市街地活性化法との兼ね合いで規制を強化する地方自治体が多く、実際の出店はかなり困難である(P.204)。

『ブラックスワン降臨』

読後の感想
911事件から311までの間に起こった事件を、公開された情報をもとに書いたノンフィクションです。

元々NHKのワシントン支局長で、その時代に遭遇した911の取材情報をもとに書かれている部分は、臨場感と当時の空気感が非常に分かりやすく伝わってきました。

異質な者たちに向けられる視線の険しさは、テロ事件を異邦人として現地で体験した者でなければ容易に実感できないだろう。アフガニスタンを連想させる「AF」という外交官の車のナンバー。だが、実は同盟国、日本大使館のナンバーなのである。日本大使館の総務班は、自分たちの車が「アフガニスタン」と間違えられて、襲われる危険があると心配して国務省の窓口に訴えた。
「日本大使館のナンバー・プレートの『AF』をなんとか別のものに変えてほしい」
国務省の担当者からはにべもなく拒絶されてしまったという、当時のアメリカ社会の空気が如実に伝わってくるエピソードだった(P.120)。

ところで、この本はノンフィクションと言いつつも、扱っている内容が内容なので、全部が全部公開されている情報をもとにしているわけではなく、どちらかというと、分かっている真実のほんの一部分を想像して広げて書かれているような書かれ方をしています。
これは手嶋さんが経験した事実をもとにした想像力、分析力のたまものであって、前提知識のない人が同じ事実を見てもなんとも感じられないのでしょう。

八章立ての中で特に印象的だったのがグアンタナモと炭疽菌事件の話でした。
特に、記憶の片隅から消えそうな炭疽菌事件。

ちなみにこの本読んでいると日本の将来がとても不安になってきました。
沖縄の独立と中国への接近なんて結構現実的な話なんだろうなぁ。

印象的なくだり

インテリジェンスは日本語で一般に「情報」と訳される。だが英語の語感はもっとニュアンスに富んでいる。河原に転がる石ころはどれも同じに見える。だが、それらをひとつひとつ丹念に選り分け、微妙な色や形に秘められた意味を周到に分析していくと、情報の全体像が次第に浮かび上がってくる。醇化された
情報の総体こそがインテリジェンスなのである(P.109)。

佐藤優さんも大好きなインテリジェンスですが、単なる情報ではなく、その分析まで含めた概念なのですね。

いまの日本には奇妙な幻想がひとり歩きを始めている。政治指導者は確かな情報さえ手にすれば、誤りなき判断を下すことができる‐と。インテリジェンス至上主義とでも呼ぶしかない面妖な期待が自己増殖しつつある(P.147)。

これは実感としてあります。
誤った結果が生じたのは、誤った選択肢によるもの、みたいな。
必ずしも正解があるわけではないということを無視した批判が多い気がします。

「大国が互いにしのぎを削る冷徹な世界にあっては、力を持つ者こそが正義なのである。力を持たない者は自分の存在そのものが悪だと決めつけられないよう振る舞うのが精々のところなのだ」
外交に携わる者たちに長く語り継がれてきた箴言である。身も蓋もないほど率直な物言いなのだが、苛烈な国際政治の核心を見事に衝いている。大国同士が、食うか食われるかの抗争に明け暮れるなか、『三銃士』にも登場するかのリシュリュー枢機卿がふと漏らした言葉だった(P.178)。

思いだしたのはアニメ三銃士(笑

銀という希少な鉱物資源に依存する製造業は、ハント事件によって自分たちの産業が拠って立つ基盤の危うさを存分に知った。とりわけ大量の銀を原料に使うフィルム業界は、産出量が限られ、価格も不安定な単一の鉱物資源に依存する現実をいやというほど味わったのだった。
アメリカのフィルム産業は、ハント兄弟の買い占め事件を機に、大胆な構造改革に舵を切っていった。銀に代わる原材料の研究を本格化させ、銀に頼らない写真の開発を模索していく(P.197)。

『僕が不動産ビジネスであたり前だと思うことについて』

『僕が不動産ビジネスであたり前だと思うことについて』
松岡哲也

読後の感想
読後とは少しずれるが、この方、見た目は派手だけど、商売はとても地味。
簡単に言うと、土地を貸すビジネスをしている人だが、借り手を探してきて建物を建てさせてあげて、とそこまでやって、土地を貸す権利を更に分割して証券化…的なビジネスモデル。
劣化するものには土地を貸さないし、所有権者なので、融資も受けやすい。
元手さえしっかりすればとても手堅いビジネスだと思います。

印象的なくだり

 高級ブランドが好むような立地条件であれば、壁や床や外装といった建築上での不備があったりしても、天井の高さでそれらが覆い隠されてしまう。
 だから、商業立地で建物を作ろうとする初めの段階では、私は一階部分の天井は高くするよう勧めている(P.25)。

 ショーウィンドウの位置で建物の価値が高まるだけではない。その建物の一階に、たとえばエルメスが入るとする。数年後、エルメスがそこを出ていったとしても、次の高級店が入ってきやすいのだ。エルメスが出店するぐらいの立地だったという判断が、高級ブランドの本国の本社でできるから(P.38)。

 不動産投資家のやるべきこととは、あくまで日常に即した商業施設が誘致できる投資物件、つまり土地を探すことだろう。
 これを見極めるのは、実はそう難しくはない。
 たとえば、人が多く住んでいる地域で、幹線道路に面した土地があるとする。そこにスーパーマーケットが出店すれば、ほぼ流行ると言っていい。ただ、見極めるのは簡単だが、そういう土地を見つけるのはとても難しい。
 そんな土地を見つけることができたなら投資しなさい。不動産投資家に、そう私は勧める。
 買おうとする土地を候補となるスーパーマーケットに見せ、「出店しますか?」と打診する。土地を買い、賃貸借契約をスーパーマーケットと締結する。そんなにむずかしい作業ではない。
 最低限の広ささえあれば大型でなくともいい。小型のスーパーマーケットでも、住宅地に隣接し、まあまあ広い道路に面していれば、お客は安定的に入るはずだ(P.86)。

 はっきり言うと、私は日本で海辺のリゾートは難しいと思っているのである。
 なぜ、と問われれば、とりあえず「蚊が多いから」と答えている。蚊が多いと、オープンエアが楽しめない。オープンエアを楽しめないと、自然にふれにくい。自然にふれにくいと、リゾートにならないのだ。
 日本というのは高温多湿で水たまりができやすい。したがって蚊が多い。そのうえ、海辺のリゾートでは、海上からの生ぬるい湿った風が吹いてくる。けっして涼やかではない。ところがロサンゼルスやハワイやイタリアは、海から吹く風がさらさらしている。ああリゾート地に来たと感じる瞬間である。当然、乾燥しているから蚊も少ない。
 日本で、海でも山でも気持ちの良い季節は、春と秋だけだろう。それも、本当にオープンエアで気持ちの良い時期は合わせて二か月もないのではないか。
 例外は沖縄か。蚊が少ないのでオープンエアが楽しめる。したがってリゾート開発に向いている。乾燥してはいないけれど(P.109)。

 「マージャンでも、ゴルフでも、お客様とやるときは必ず勝つようにしろ」
 相手に勝たせて気持ち良くさせるより、負けて悔しがらせたほうが、もう一度やろうと何度も誘いに乗ってくれるからだ、と。そのことで相手と何度も会うことになり、やがて仲良くなれるし、その勝負ごとの悔しさは別の場で紛らわせてあげればいいと言うのである。
 そのとき、なるほどと思った(P.145)。

『父さんのからだを返して』

『父さんのからだを返して』
ケン・ハーパー

読後の感想
父親を骨格標本にされたエスキモーの少年のノンフィクションです。
舞台は1900年前後のグリーンランドと自由の国アメリカ。
探検家ピアリーに翻弄されたエスキモーたちは、タバコやビスケット、チョコレートなどでこき使われ、交換としてアザラシの牙や皮などを持ち替えり大儲けしていました。

そんな中、ピアリーたちアメリカ人は、エスキモーたちをだまして標本として
グリーンランドからアメリカへ連れて帰ります。
ところが、慣れない気温と湿度であっという間にバタバタと倒れるエスキモーたち。
その中に親子がいました。

父は死に、息子は生き残る。その生き残った少年ミニックの物語です。

結局ミニックはアメリカの教育を受けて成長してしまったために、
成人後にグリーンランドに戻ってもその教養が邪魔をして、
故郷へはきちんとした形では戻ることができませんでした。

しかも、ミニックを襲った運命の悲劇はまだ続きます。

アメリカ自然博物館による嘘の葬儀、契約に基づくといいながらも
詐欺的な履行を果たすアメリカ人たちの振る舞いは、
キリスト教徒による異教徒への迫害を彷彿とさせ、インディアンを追いつめていく姿にだぶりました。

文明という武器で原住民族を追いつめていくのは読んでいて胸が痛かったです。

ただ、本書もその「アメリカ」側から書かれていることを忘れないようにしないといけません。

事実は小説よりも奇なり。

印象的なくだり

「ミニックと知りあって数日しかたっていないが、彼のことは全面的に信頼している。彼は同胞にとって真のモーセだと言っても言い過ぎではないだろうーあるいは、ピアリーのような人間だと言うべきだろうか」
ミニックは顔をしかめて、こう言った。「ミニックのままにしておいてくれ」(P.200)。

フレミングは、これほどひたすら友情と愛情を求めているこの青年を、かわいそうに思った。粗野な外見はみせかけにすぎない。話を辛辣にする自慢の陰には、理解を求める不安な青年が隠れていた。もしミニックが、自分で言うような本当に冷たくて不親切な人間ならば、なぜ宣教師の友だちを見つけだし、用事を手伝って、多くの時間を彼との会話に費やしたのだろう。フレミングはこう書いている。「私は彼に同情していたが、彼が情に乏しく、自分の同胞にたいして少しも愛情をもっていないことに気づいた。彼がつねに順応するように強いられてきたことを考えれば無理はなかったのかもしれないが、痛ましいことだった。彼は、キリスト教であれ異教であれ、どんな種類の信仰もいっさいもっていなかった」(P.235)。

一九九三年七月二八日、四人の北極エスキモーの遺骨は、ニュージャージー州のマグワイア空軍基地でアメリカの軍用輸送機に積まれ、グリーンランド北部のチューレ空軍基地へと運ばれた。一八九七年には一か月以上かかった旅が、わずか数時間で終わった。積み荷はチューレでグリーンランド・エアのヘリコプターに移され、カーナークへ運ばれた。これには一時間もかからなかった(P.350)。