2008年06月総括

2008年06月総括

01.結果

台湾行ってきました、ようやく。
異なる価値観の国に行くと、改めて自分の国の価値観を疑うといういい機会になりますね。
あとお引越し決定。上京します(笑
江東区周辺へ。
結構面倒な手間があったりとかで、他の人よりは慣れてるはずなのに、忙殺されてしまいました。
お部屋のお片づけのため、自分にとって不要なものをオークションなどで整理。

2008/06/30
体重 55.8kg(前月比-1.2kg)
体脂肪率 17.3%(前月比+2.4%)
基礎代謝 1379(前月比-45ポイント)
骨格筋率 34.4%(前月比-0.7%)

本のおすすめレビュー10本。
内訳、文庫本2(前月比+1)、新書1(前月比+1)、単行本7(前月比±0)。
一冊選ぶとするなら『そうか、もう君はいないのか』城山三郎
感想はこちら

02.反省

総論
台湾に行ったっきり何もしてません。
物事を実行していないので反省材料に乏しいですね。

健康
運動してない…。
万歩計の記録、睡眠の記録すら適当になってしまいました。
成果が見え辛いんだよねぇ。

本のお話
読む時間は余り増えていませんが、読むスピードが早くなりました。
あと面白いものに当たる確率が高まった気がします。
駄作もそれなりに重要なんだなぁと。

一年の半分が経過しました。はっきり言って「月のまとめ」が形骸化してきている。
これではいけない。本来の目的は、一ヶ月ごとに振り返り、反省をして、次の月に活かすことだったのに。
最近は活かしきれてない(惰性になりつつある)。
原因について検討した。

一、記録をとる作業と分析の作業。
→記録自体は取れています(割と自動化されているので、手間はかかっていません)。
→分析するために資料(例えば、過去の記録や経験など)はblogに残してあり、参照も簡便。
→だとすると、それを分析する過程が欠けているのは、その目的が不明確だから、工程が面倒になり形骸化するということ。

→目的の再確認。
→成長するために必要だから。

渡邉美樹『夢に日付を! ~夢実現の手帳術~ 』
このように日記で一日を振り返ることの効用はなんでしょうか。
それは反省です。人間は反省することでしか成長しないからです。
計画の軌道修正と自己反省。
これが日記を付けることの最大の意義でありメリットです(P201)。

→具体的な計画の立案。
 →目標だけでなく、目的もきちんと見直すこと。

一、月のまとめを確認する時間に欠ける。
→いつも見るのは、翌月のまとめを書くときくらい。これでは反省を活かすことなどできるわけもない。
→具体的な計画と目的、目標は手帳に記載して気軽に見直せるようにすること。
→実際に見直すかどうかは別として、気軽に見直せるようにすることが重要。ダメなら別の方法で。
→その際には、年、月、週単位に分けて記入。

03.次月の目標

これについてはまた別のエントリを立てよう。

エンジェルトルネードで WAKUWAKU♪(゚∀゚)ノ キュンキュン

タイトルは、ave;new feat.あべにゅうぷろじぇくとの楽曲『ラブリー☆えんじぇる!! 』の歌詞より抜粋(タイトルと本文は関係ありません)。それにしても、詳しい人には当たり前なのかもしれないけど、歌詞にも絵文字が入る時代になったか…

勉強するときにかけている真面目そうにみえる(笑)眼鏡の左のレンズのコーティングがはがれてきたので、行きつけの眼鏡屋さんへ。

多分細かい傷が入って、そこからコーティングがはがれたんでしょうね、とのこと。

片方のレンズが2.5万で、両方で5万。
仮に新しく作るとなると、7.5万位からか…ムムム。

ちょっと今月は出費が多いので結論を留保して帰ってきました。どうしよっかなぁ。

とりあえずは、可愛くみえる眼鏡(笑)をかけてしのいでます。

『夜と霧』

『夜と霧』
アラン・レネ

感想
重い。重すぎるよ。
わずか30分間なのに、この圧倒的な視覚的影響力。
思わず目を背けたくなるような死体の山と目を見開いたまま苦悶の表情の死体の映像。
当時の記録として残しておいたためか、淡々と撮っているのが逆に恐怖です。
資料映像ですが、もっと多くの方に見てもらいたいと思いました。
写真と映像とが入り混じっており、写真は割とよく見るものが多かったですが、映像は初見のものだらけでした。
V.E.フランクルの著作『夜と霧』とは内容的な関係ありません(「夜と霧」とはヒットラーの特別命令の名前なので)。

『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ
筑摩書房
遙洋子

読後の感想
 論争に勝ちたい、との動機で学び始めたけど、その結果を追い求める過程(いわゆる学問)の入り口で、その面白さに目覚めた…というような内容。
 口語で書かれた軽快な文章と、上野先生のドキッとする一言、そして学んでも分からないことへの不安がとてもよく分かるいい文章でした。
 引用も必要に応じて適宜なされており、ちゃんと勉強したんだなぁと好感が持てる内容でした。
 無知の知という言葉を思い出し、自分もまだまだ学ぶことが多いなと意欲を駆り立てる作品でした。
「ゼミにおばーちゃん現る」は読んでいて少し切なくなりました。

 ちなみに上野先生の講演を高校時代に聞いたことがあるはずなんですが、全然記憶に残ってません。もったいない…(まぁ高校生にはちょっと早すぎる分野だけど)。

印象的なくだり

ブスへの容赦ない制裁で多くの女性が押し黙る、よくある構図を避けるには、一瞬のうちにぐうの音も出ないほどの勝ちが必要とされる。
勝つ人の理論を私は教わりたかった。が、意外な答えがかえってきた。
「相手にとどめを刺しちゃいけません。」
そのごもっとな御意見に私は多少なりとも、失望を覚えた。
それは子供の頃からよく母親に言われた「ケンカしちゃいけません」を彷彿させる。
「なんで?なんでとどめを刺しちゃいけないんですか?」
「その世界であなたが嫌われ者になる。それは得策じゃない。あなたは、とどめを刺すやり方を覚えるのではなく、相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさい。」
私は鳥肌が立った。やっぱ、本物だ、と思った。
「議論の勝敗は本人が決めるものではない。聴衆が決めます。相手をもてあそんでおけば、勝ちはおのずと決まるもの。それ以上する必要も、必然もない。」
教授は今度はニコッと微笑んで言った(P015)。

テレビで言っちゃいけないことの裏にあるもの
(前略)なぜ隠すのか、それを正しく知ることで、隠さなきゃいけない理由も知りたかった。
ほんとに、近づかないほうがいいくらい「危険」なのか、そうじゃないのか。命を落とすのか、ちょっと熱いだけなのか。
結論から言うと、「危険」なのは隠された言葉ではなく、隠す「思想」だった。
隠すから問題を見えなくする。見えないから、理解が出来ない。理解できないから誤解を生む。
誤解はいらぬ恐怖を呼び、その恐怖感こそ「危険」思想になる。
そして、一度「危険」とされたら「そのエリア」は番組責任と直結している(P080)。

知は現実にジレンマをもたらす(P084)。

「知」がもたらす自己矛盾は「問い」をあふれさす。
それらの問いへの解を探し求め続ける日々は何をもたらすのだろう(P102)。

棒にふらなきゃいけなかった人生は、自己防衛としてその人を、自分の人生を味わうことから遠ざけるのは、想像に難くない。
自由な表現を許されない立場。判断するには残酷すぎる状況。正視できない現状。
それらは、表現力、状況判断、現状認識という能力を容易に奪うだろう(P127)。

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