『頭がいい人、仕事ができる人の学び方』

『頭がいい人、仕事ができる人の学び方』
明日香出版社
関根雅泰

読後の感想
仕事術ではなく、学び方にウェイトを置いていたのが気になって手にとってみました。
多くの人が陥りやすい「頭がいい=仕事ができる」について、言葉の意味を変えつつ、同じ単語を使い続ける点が、多少気になりましたが、おおむね理解できる内容でした。まぁ、新発見はありませんでしたが…。
タイプ別に分けるのは意味は分かりませんでしたが、自分は今どのあたりかな、と考えるきっかけにはなりました。

印象的なくだり
相手によっては、直球で聞いても答えてくれなかったり、前にも聞いた覚えもあるので2度目が聞きづらかったり、立場的に質問がしずらかったりと、様々なケースがあると思います。
そんなとき、役に立つのが、「念の為」質問です。「念の為に、~について確認しておきたいのですが・・・」「~という風にやろうと思っているのですが、どうでしょうか?念の為、確認をと思いまして・・・」など、キーワードは「念の為」です。本当は分かっているけど、あえて確認のために聞いているんですよ」というのをアピールできるのが、この「念の為」という言葉なのです(P051)。

初級ランクの学び上手は、型を持っている。
中級ランクの学び上手は、柔軟性がある。
上級ランクの学び上手は、他者を活かせる(P149)。

初級ランクの学び上手になってもらうために
仮に、一つでも成功した経験を持たすことができたならば、大事なのはその振り返りです。なぜ上手くいったのか、成功の理由を本人が理解するように手助けするのです。
中級ランクの学び上手になってもらうために
自分の成功パターンに、プラスして他者のやり方を柔軟に取り入れるためにも、他者との接触が必要になります。
上級ランクの学び上手になってもらうために
他者を活かせる機会を与えてあげることが近道となります(P.153)。

『父の詫び状 <新装版>』

『父の詫び状 <新装版>』
文藝春秋
向田 邦子

読後の感想
エッセイ集なのに、一本筋の通ったお話ばかりで向田さんの考え方が伝わってくるようでした。文章に風景の見える記述が多く、読んでいて体験したこともない(博物館などで見たことはある)昭和の生活風景が広がるようでした。この後の著者の行く末を思うと、胸が痛く(飛行機のくだりがある「兎と亀」)運命の不思議さを少し感じてしまいました。

印象的なくだり
人生の折り返し地点をはるかに過ぎ、残された明日は日一日と少なくなっているのに、まだ明日をたのむ気持ちは直っていない、さしあたって一番大切な、しなくてはならないことを先に延し、しなくてもいいこと、してはならないことをしたくなる性分は、かえって年ごとに強くなってゆくような気がする(P.112)。

『今日、ホームレスになった―13のサラリーマン転落人生』

今日、ホームレスになった―13のサラリーマン転落人生
新風舎
増田明利

読後の感想
ホームレスの聞き取り調査を独白風にまとめられたもの。結論や感想などほとんどなく独白だけで完結している印象でした。タイトルにもあるように元サラリーマンを中心に聴取しており、流れが「サラリーマン時代(主にバブル期)にはホームレスを見下してた→バブルはじける→離職→いまホームレス」と非常に単調。特に、家があったり妻もいたりする人もいて、それってホームレスなのか?と疑問を持ったりもしました。
聴取する人の偏りからか、「自業自得」感が若干漂って来たのは、別のホームレスに対する偏見を助長しないか不安です。
気がついた共通点は、家族が不仲、ということ。そこは身に沁みました。

印象的なくだり
「ホームレスで生きていたって何の希望もないでしょう?とにかく住所だけでも欲しいんだよ。まともな職について普通の生活をしていくには住所が必要なんだ。住所不定の人間なんて社会的信用はゼロだからね」(P.109)。

ところで、文章中筆者の言葉で「生活保護を求めて福祉事務所を訪ねたとしても、病気やケガで働けないわけではないから、「仕事を見つけてください」と言われて門前払いだろう」と書いてあるが、これは見事なミスリードな文章。聴取した人には、そのようなくだりは一切でてこないから。

『行動経済学 経済は「感情」で動いている』

『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
光文社
友野 典男

読後の感想
乱暴にまとめると、そもそも人間の行動は理屈に合わないのだけれど、それを理屈っぽく組み立てたような学問が行動経済学。
正確ではないにしろ、ざっくりと正しいという感じの印象でした。もちろん後付けの理由、との印象も否めず。
骨子としては、合理的な行動というのは思っている以上に取れていない、ということ。相手あってのこと、ということは、想像以上に行動に影響を与えているということ(つまり、相手をみて行動を決めている)。
新書ということもあってか、体系的な話ではなく(学問的に体系立っていない点を考慮しても)様々な事象を帰納的に推論した、という内容でした。若干強引な帰結な印象でもあるけど、大事なのは論理過程と結論ではなく、論理だっていること(見えること)なんだなぁ、と(笑
会話に使える小粋なエピソード満載なのでそれはそれで吉。

印象的なくだり
喫煙や飲酒などの習慣がなかなか止められないのは、行為時点とその結果が現れる時点とが時間的に大きく隔たっており、行為する時点では、長い間たった後にどんな結果が引き起こされるのかについて想像するのが難しいことが原因の一つである。したがって政策的に禁煙を推進するとしたら、喫煙はガンにかかる確率を上昇させると主張するより、ガンになった場合の悲惨さをアピールする方がキャンペーンとしては効果的であろう(P.073)。
企業は、その価格、賃金、利益などに関して決定をする時には、取引相手(従業員、顧客、賃借人等)がそれを公正であると判断するか否かを考慮して、すなわち公正を一つの制約条件として行動を決定しなければならない。したがって、企業はたとえ公的、法的な規制がない場合でも、単純に利潤追求的行動をすることはできない。短期には高い利潤が得られたとしても、不公正であるという悪評が立てば長期的には利潤を失うことになる。そのため自制的な行動が必要となる(P.168)。

(前略)、初期値の設定が人々の意思決定に影響を及ぼす原因は三通りあるという。
まず、公共政策に関する場合には、人々が、初期値は政策決定者(多くは政府)の「おすすめ」だと考え、それを良いこととみなすことである。
第二に、意思決定を行うには時間や労力というコストがかかるが、初期値を受け入れればコストが少ないからである。
(中略)第三に、初期値とは現状のことであり、それを放棄することは前章で述べたように損失とみなされ、損失を避けるために、初期値を選ぶことである。損失回避性が働くのである(P.187)。
人々は自分の決定が、シンプルな理由づけや物語によって正当化されるのを望んでいるように見える(P.213)。

評価形成自体は、利他的や公正さの表われであるとは考えることはできない。評判が利得増加につながることを理解しているための利己的行為である(P.297)。

(前略)制度や組織のありようによって異なるが、互酬人の存在が経済人の行動を変えさせたり、経済人が互酬人を経済人のように行動させる場合があることを意味する(P.300)。

処罰で低下するモラル
処罰とモラルの関係について興味深い実験がグニーズィとラスティチーニによって行われている。子供を預かるデイケア・センターでは約束の時間に親が子供を迎えにくることになっているが、遅刻者もしばしば見られる。彼らは、イスラエルのいくつかのデイケア・センターを選び、遅刻に対して遅刻時間に応じた少額の罰金を科すことにした。
通常の予測では、遅刻は減少するはずである。ところが、この制度の実施後にはかえって遅刻が増大してしまったのである。
(中略)グニーズィとラスティチーニは、罰金がない場合には、親は遅刻することに対して罪悪感を感じ、その感情が遅刻を防いでいたのであろう、ところが罰金が導入された後、「時間をお金で買う」という取引の一種と考えるようになり、やましさを感じずに遅刻ができるようになったのではないかと説明している。
罰金を科すことを止めた後でも、遅刻が以前の水準に戻らなかったのは、単に遅刻の価格がゼロになっただけと受け取ってしまうからである。つまり、制裁システムが導入されることで、社会規範やモラルによって規制されていた行動が市場での取引のように考えられてしまうのである(P.305)。

経済人は感情に左右されず、もっぱら勘定で動く人々である。経済人は市場は重視するが、私情や詩情には無縁である。金銭に触れるのは好きだが、人の琴線に触れることには興味がないような人々なのだ(P.325)。

(前略)厳密に間違っているよりは、大雑把に正しい方が役に立つ。止まっている時計は一日に二回厳密な時を指すが、一分進んでいる時計は一回も正確な時を刻まない。しかし、どちらが役に立つかは明らかだろう(P395)。

『コルチャック先生』

『コルチャック先生』
岩波書店
近藤康子

読後の感想
彼の名前は中学か高校の教材に出てきたのでなんとなく覚えていた程度の認識でしたが、ゲットーの知識がある程度ついている今読むと改めて多くのことを教えてくれました。
コルチャック先生の思想がかなり簡潔に書かれており、入門としては最適な本だと感じました。彼が掲げた子どもの権利の三つの大きな柱「子供の死についての権利」「子供の今日という日についての権利」「子供のあるがままである権利」というのは、かなり先進的だったということが本書を通じてよく理解できました。
最近色々思うところがあって子供のことを考えたりしていましたが、コルチャック先生のような生き方(とまではいかなくても)暖かく見守れる大人になりたいなぁと思いました。

印象的なくだり
「子どもは大人をだませるけれど、子どもは子どもをだまし通せない」(P.049)。

コルチャックは子どもの欲望(何か物が欲しい)は自然なことだと認め、そして子どもたちの”私有財産”をその客観的価値ではなく、持ち主の主観的感情によって評価していました。子どもは、それぞれの思い出のある大切な物を持っています。それなのに、無神経な教師が、子どものポケットがふくらんでいるからといって中身を出すように命じたり、盗んだと勘ちがいして疑ったりすることがあります。ましてや、子どもたちの”宝物”をとりあげてごみに出し、燃やしてしまうようなことは大変野蛮なことです。子どもにとっては二度と手にすることのできないくらい、大切なものかもしれないのですから(P.080)。