できる人の勉強法

できる人の勉強法
中経出版
安河内哲也

読後の感想
 勉強方法の紹介と、その前段階であるやる気・モチベーションの維持を主眼に書かれた本です。

 勉強したいけど、その方法が分からないという漠然とした気持ちを持っている人には有効だと思います。
 ただ、精神的な部分についての記述は合う人と合わない人の好みが分かれるかなと思いました。ちょっと前向きすぎる部分があります。

 書き写すと気づくのですが、本来漢字で書かれるべき部分がひらがなで書かれていることが多いです。分かりやすくしようとしたのか、文字量を増やそうとしたのか分かりませんが、不自然な印象をぬぐいきれませんでした。

印象的なくだり
 だいたい、世間には「できたらいいな」と思っているうちに3年が過ぎてしまったという人が多すぎます。
 3年もつづけていれば、たいていのことはできるようになっています。
「やろうかな、どうしようかな」と3年も迷っているのなら、すぐにやるべきです。迷っているだけ時間のムダです(P041)。

 「失敗すると恥ずかしいから……」とためらう人がいます。こういう人は、「失敗=マイナス」という精神構造を徹底的にたたき壊す必要があります。
 「どうなるかわかならいけど、やってみるか」という考え方に転換しないかぎり、新しい何かは絶対に始まりません。
 そもそも、失敗をマイナスと考えてしまうのは、物事を「短期」で見ているからです。物事は絶対に「長期」でとらえるべきです。
 長期で見れば、失敗はマイナスどころかプラスに転じることだって多々あります(P044)。

 自分に「向いているもの・向いていないもの」が見きわめられるのは、いろいろなことを体験したからこそできることです。
 何もしないで頭だけで考えているのでは、自分の向き・不向きなど決して分かりません(P051)。

 「暗記した」とは、覚えたことが記憶に定着し、それが何年たっても頭の中に残っていて、必要なときにアウトプットできる状態のことをいいます(P084)。
1.やり方をしばらない
2.内容の浅いところから次第に深めていく
3.メンテナンスをする

 問題集はどんどん書き込んで使い捨てる
 問題集をきれにとっておいたところで、人生のどこかでもう一度やるほど人生は長くないのです(P110)。

 (前略)自分が勉強しないことを、学校や先生、親、会社、景気など、まわりの環境のせいにする人がいますが、その考え方から抜け出さないかぎり、一生勉強はできるようにならないと思います。
 その環境を選んだのは自分だし、イヤなら環境を変える努力をすればいいのです(P154)。

 勉強していれば、まちがうに決まっています。そもそも、できないから勉強しているのであって、できるなら勉強をする必要はありません(P172)。

 目標ある人は、勉強をしないことがマイナスであることは十分に承知しています。
 そのため、勉強もせずに遊びほうけてしまうと、その後、決まって「私は何をやっていたのだろう。なんて時間のムダ遣いをしてしまったんだろう」と自己嫌悪に陥ってしまいます。
 そんな場合のストレス解消法は、思いっきり勉強することです(P194)。

 勉強をする上で絶対につきあうべき人とは、ポジティブな人、もっと具体的に言えば「強烈な向上心」を持つ人です。
 そこでは、年齢や分野、業界などはまったく関係ありません。
(前略)ただし、絶対に肝に銘じておいてほしいのが、自分自身がポジティブにがんばっていなければ、ポジティブな人はつきあってくれないということです(P217-218)。

この本をどう活用するか
 勉強方法というより、モチベーションの維持のためにたまに読みたいと思います。
 向上心のある人と付き合うという生き方はとても共感できました。相手にも「自分に会いたい」と思ってもらえるよう自分を磨きたいと思いました。

人を動かす

人を動かす
デール・カーネギー

読後の感想
 自己啓発の本の中でも、古典の部類に属する名著です。一体何度版を重ねたか分からないほど、多くの人に読まれています。

 読むたびに新しいことが発見できるくらい、幅広い事柄が書かれており、本を一気に読んでも余り効果がないと感じました。自分は、寝る前に一章ずつちびちび読んで、その章のことについて考えながら寝る癖をつけました。

 本の中には、目的地は記されているのですが、そこまでの手段が書かれていません。理想像はとても美しいのですが、そこに到達するまでは大変険しい道のりであり、その部分を補う記述があればいいと思いました。実践できなければ、本の価値は半減以下でしょう。

この本をどう活用するか
 すでに明確な目的を持っている人には(そんな人は少ないでしょうが)、世間で言われているほど効能があるわけではないと思います。もちろんいい本であることには間違いないのですが。

 そうでない人は、目標がぶれたり、辛くなったときに読んで、指針を修正するときに読む本だと思います。

印象的なくだり
 他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。
 それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である(P15)。

 他人の欠点を直してやろうという気持ちは、たしかに立派であり賞賛に価する。だが、どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?
 他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、危険も少ない。利己主義的な立場で考えれば、たしかにそうなるはずだ(P025)。

 「わたしには、人の熱意を呼び起こす能力がある。これが、わたしにとっては何ものにもかえがたい宝だと思う。
 他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。
 わたしは決して人を非難しない。人を働かせるには奨励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大きらいだ。
 気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく讃辞を与える」(P042)。

 名前は、当人にとって、もっとも快い、もっともたいせつなひびきを持つことばであることを忘れない(P114)。

 人にきわられたり、かげで笑われたり、軽蔑されたりしたかったら、つぎの条項を守るにかぎる
一、相手の話を、決して長くは聞かない。
一、終始自分のことだけをしゃべる。
一、相手が話している間に、何か意見があれば、すぐに相手の話をさえぎる。
一、相手はこちらよりも頭の回転がにぶい。そんな人間のくだらんおしゃべりをいつまでも聞いている必要はない。話の途中で遠慮なく口をはさむ(P128)。

 人間は、だれでも周囲のものに認めてもらいたいと願っている。自分の真価を認めて欲しいのだ。
 小さいながらも、自分の世界では自分が重要な存在だと感じたいのだ。見えすいたお世辞は聞きたくないが、心からの賞賛には飢えているのだ(P140)。

 「議論に負けても、その人の意見は変わらない」(P159)。

 「自己の向上を心がけているものは、けんかなどするひまがないはずだ。おまけに、けんかの結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよけんかはできなくなる。こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手にゆずるべきだ。百パーセントこちらが正しいと思われる場合でも、小さいことならゆずったほうがいい。
 細道で犬に出あったら、権利を主張してかみつかれるよりも、犬に道をゆずったほうが賢明だ。
 たとえ犬を殺したとて、かまれた傷はなおらない」(P164)。

(前略)つぎのような質問を自分に向けてみることだ。
 相手のほうが正しいのではないか?少なくとも正しい部分もあるのではないか?相手の主張に正当性、長所はないか?
 わたしの反論は問題の解決に役立つのか、それともただ溜飲を下げるだけのものか?
 わたしの反論は相手を遠ざけることになるか?それとも引き寄せることになるか?
 わたしの反論は善意の人々から評価が得られるか?
 わたしは勝てるか、それとも負けるか?
 勝てるとしてその代償に何を失うか?わたしが反論しなかったら、この論争はおさまるか?
 この難関はむしろ好機ではないのか?(P166)。

 人を判断する場合、わたしはその人自身の主義・主張によって判断することにしている。
 わたし自身の主義・主張によってではなく(P181)。

「相手にいったん”ノー”といわせると。それを引っ込めさせるのは、なかなか容易なことではない。”ノー”といった以上、それをひるがえすのは、自尊心が許さない」(P205)。

 人に押し付けられているだとか、命令されているだとかいう感じは、だれにしろいやなものだ。
 それよりも、自主的に行動しているのだという感じのほうが、はるかに好ましい。
 自分の希望や欲望や意見を人に聞いてもらうのはうれしいものだ(P221)。

(『人を動かす』デール・カーネギーISBN978-4-422-10051-7)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか
梅田望夫

読後の感想
 『ウェブ進化論』に触発されて読み始めた本です。ウェブの話というより、これからの人生論や仕事論が記述の中心でした。

 Googleなどに代表される検索エンジンの性能が格段に上がり、情報の流れるスピードが速くなった現代でどのように生きるほうが、個人にとって幸せなのかという視点で書かれていました。
 説得的というより、そういう選択肢もあるという視点で読むことができる本です。著者の考えを押し付けるような印象は受けませんでした。

 これから自分自身がどうしたいか、を見つけるにあたって大いに参考になりました。ネットに触れる時間が少ない人に是非読んで欲しいと思いました。

印象的なくだり

「一身にして二生を経る」時代に生きるうえで大切なことは、「最初の半分」での常識(現在私たちが皆身につけている常識)と「あとの半分」での常識はきっと異なるはずだという想像力を抱きながら生きることだと思う(P012)。

(前略)ネット世界の最先端を生きる若者たちは、すでにネットとリアルを区別しない。「区別して理解しよう」と考えた瞬間に、もう理解できなくなっているのだと言う(P030)。

ネット上にできた「知の高速道路」を疾走して「プロの一歩手前」くらいまでいけばその世界のどこが「見晴らしのいい場所」なのかがわかってくる。リナックス・プロジェクトのように「見晴らしのいい場所」がネット上にある場合もあるが、大抵の「見晴らしのいい場所」は今のところリアル世界にある(P099)。

私はよく「五百枚入る名刺ホルダー」を用意したらどうかと提案する(むろんネット上のソフトだっていい)。その名刺ホルダーに、仮に自分が組織を離れて一人になったとき、自分の能力に正当な対価を払ってくれそうな人(仕事を時給換算したときに最低でも時給数千円は支払ってくれそうな人)だけを入れるのだ。ネット上で知り合った人から、リアルの仕事上の知己、親、親戚、先輩、友人、後輩に至るまで自分が関係する人々すべてを対象に、「一人になった自分」を正当に評価してお金を支払ってくれる可能性が少しでもあるかどうかだけを判断基準に、その名刺ホルダーを埋めていくのである(P107)。

日本の若い人たちのブログを読んで思うのは「人を褒める」のが下手だなということである(P137)。

梅棹忠夫による名著『知的生産の技術』(岩波新書)
個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為を、梅棹は「知的生産」という言葉にこめた。ただ「頭がいい」とか「記憶力がいい」ということも生産を伴わなければ意味がなく、「本を読む」という高度な知的な行為も、アウトプットがないならば「知的消費」に過ぎず「知的生産」ではないのだと梅棹は言い切った(P146)。

「情報共有が当たり前で、隠すものを例外とする」のか「隠すこと前提で、共有する情報を例外とする」のかで、組織内の情報に関する考え方は一変してしまうのだ(P178)。

実践できるくだり

私は、知的生活に必要な自分の情報をかなりネットの「あちら側」に移している。「あちら側」とは、自分のパソコンの中(「こちら側」)ではなく、ネット空間上ののことである(P155)。

あらゆる面で徹底的にネットを活用すること。自分の志向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに、自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)。自分の価値を理解して対価を支払ってくれる人が存在する状態を維持しようと心掛けること(P103)。

この本をどう活用すべきか

 なるべく自分のパソコンの中にデータを溜め込まず、オンラインを利用したサービスに移行していきます。
 RSSリーダやオンラインブックマーク、作成したデータなどもストレージなどを利用していきたいと思っています。
 理想形としては、外出先から自宅パソコンの遠隔操作なども視野に入れて(必要か?

 そのためには、まず通信環境を整える必要があるので、無線化とラップトップパソコンかスマートフォンを用意しないと。

 それから自分自身のブログの位置づけを少し検討したいと思います。
具体的には、検索との関係とか、自分自身の強みに特化したものを書くべきか否かということです。

金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さん
筑摩書房
ロバート キヨサキ, 白根 美保子

読後の感想
 かなり有名な本ですが、色々な噂を聞いていたので、控えていました。

 内容を簡単に要約すると、投資の入門書といったものです。筆者自身は不動産についてを中心に記述していましたが、投資全般に当てはまるような書き方が多かったです。

 子どもの頃の経験を基にしながら、投資について書いており、正直、回りくどい説明が多かったと思います。考え方の肝は、かなり早い段階で書かれてしまっており、それ以降の部分は、形を変えて似たようなことを書いている印象でした。
 なので、後半がかなりダレます。

印象的なくだり

 人間はだれでも魂の中に弱く貧しい部分を持っていて、その部分は金で買うことができる。
 そのことを金持ち父さんは知っていたのだ。しかし、それと同時に、人間の魂の中には強く、お金によって動かすことにできない確固とした決意に満ちた部分があることも知っていた(P066)。

 金持ちは資産を手に入れる。中流以下の人たちは負債を手に入れ、資産だと思い込む(P092)。
 金持ちと中流以下の人間の大きな違いは、中流以下の人間がお金を手にするとまずぜいたく品を買おうとするのに対して、金持ちはぜいたく品を最後に回すことだ(P130)。

 金持ち父さんが法律についてよく知っていたのには理由が二つある。
 一つは、法律をきちんと守るよき市民だったから。
 もう一つは、法律を知らないと「高くつく」ことを知っていたからだ。
 「自分が正しいとわかっていれば、反撃するのを恐れることはない」金持ち父さんはよくそう言っていた(P141)。

 傲慢さというのはエゴに無知が加わったものだ(P230)。

この本どう活用するか
 本の内容はなかなか刺激的で、自己啓発の側面もあると感じました。
 投資について興味を持たせる文章も多々あり、その気になったなら、「他の本で」きちんと勉強をしてみるのもよいかもしれません。

 ただこの本から学んだ一番大きなことは、良い本が良い結果を生むわけではないということです。試しに書籍名で検索してみましょう。

イメージ先行

 今まで本のレビューが停滞していたのは、ある一冊の本が原因でした。

 自分はいつも本を読むとき、線を引いたり書き込みをしながら読み進み、一冊読み終わって、しばらくしてから、印象的なくだりだけを抜き出してメモをしています(ちなみにこの方法は『リバレッジ・リーディング』を参考にしています。著者は本田直之さんです)。
 メモをする際には、読んだ直後よりも少し熱を冷ましたほうが、冷静になれるので、そこで時間差が生じるのです。
 読んだ本の影響が大きいほど、「いい本だったから抜き出すところが多いかな」「もう一度軽く読んだほうがいいかな」などと思ってしまい、なかなか着手することが出来ずにいました。

 今回の本も思うところが多く、自分は「読み直したりして最低一時間は必要だな」と踏んでおり、なかなかまとまった時間が取れずに後回しになっていました。

 ところが、その本のせいで他の本も山積みになってきたので、今朝「えいやっ」と手をつけてみると、僅か20分で再読・抜き出しが終了してしまいました。

 結局、「とっても影響を受けるところが大きかった本」という印象に惑わされていたため、実行してみると、それほどではなかったということでした。

 主観って結構テキトーです。