『Windows終了するのにスタートとはこれいかに?―ふつうの言葉「新解釈」でウィンドウズを理解する』

Windows終了するのにスタートとはこれいかに?―ふつうの言葉「新解釈」でウィンドウズを理解する
藤田英時

読後の感想

 アマゾンの罠にはまり、久しぶりにタイトル買いでやられました。ダブルクリックが「一度」か「二度」か迷う人向けの本でした。
 内容も、カタカナを日本語化して却って、分かっている人には分かりにくくなっている本でした。自分が想定ターゲットから外れているからだと思います。
 ダイアログボックスを「対話の小窓」(P090)と理解することが、果たして分かりやすくなっているのか疑問ではあります。

今日から始める「やる気」勉強法

今日から始める「やる気」勉強法
ロングセラーズ
吉野敬介
安河内哲也

読後の感想
 予備校教師二人の共著で同じテーマについて、個別に書かれている本です。
 なかなか好対照なことが書かれていたので、楽しく読めました。
 ただせっかく共著だったので対談形式とか共通点と相違点がはっきり分かるように書かれていればもっと良かったです。
 これだと、単に全く異なる指導を二人がただ書いているような印象を受けてしまいかねないと思います。
 あと、二人の考えの根幹は同じなのですが、ちょっと言い方が異なるので混乱する部分も見受けられました。

印象的なくだり
たしかに「……だけれど」という保険をかけておいた方が、失敗したときに格好悪くありません。
しかし、このように保険をかけると「甘え」が生まれてしまい、「どうせ断言はしていないのだから、この程度でいいか」と無意識に考えるようになってしまいます(P081)。

一人で映画を見たり、街をブラブラしていれば、おのずと焦ってくる。
「こんなことでいいのかな。こんな時間をムダにしていていいのかな」と、追い込まれていく。
そうすると、息抜きをしている場合ではなくなり、さらに勉強に励むようになる(P097)。

古文が苦手なら、古文をまず最初にやるのです。
好きな科目は、時間が遅くてもやることができます。
古文を最後に残したら、眠くなってやらないでしょう。好きなものは苦にならない。
最後に残っても何とかやれるのです(P159)。

この本をどう活用するか
苦手なことは先に、好きなことは後に。
分かっていてもなかなかできませんでしたが、きちんとした理由付けが一つつけられたので、実行しやすくなりました。
これから計画段階から意識して行います。

ドラゴン桜(4)

印象的なくだり
“人間は忘れる”のだ。
人間が忘れるのは当たり前のこと。
生存のため必要なもの以外は忘れるようにできているからだ。
だからまず受験勉強を始める前は「忘れるのは当然」。
こういう前提に立つことが大事(39限目)

『「超」整理日誌 地動説を疑う』

ダイヤモンド社
野口 悠紀雄

読後の感想
 サブタイトルの『地動説を疑う』に書かれたとおり、今まで常識だと思っていたことは本当に常識なのか、本当に理解しているのか、という視点を強く意識させられる本です。

 Ⅰ部の「常識に対する疑いが社会を前進させる」というのはまさにその通りだと思いました。「あるべきものがない」というのは意識しても、気づくのは難しいでしょう。

 難しい事象も身近な具体例に置き換えて書かれており、分かり易さを非常に意識しているのが、読み取れます。良書だと思います。

印象的なくだり

本の「積ん読」は、一般にはよくないこととされる。だが、私は、大変意味があると考えている。
自分の蔵書なら「自分の側」にあると感じられるから、本のほうから近づいてくる。
そして、いつかは読めて、本当に「自分の本」になる。

五年も一〇年ものあいだずっと積んでおいた本を、何かのきっかけで読了し、自分のものとしたことも多い。
これに対して、書店や図書館にある本は、なかなか読めない。いつになって、「あちら側」のままだ。
だから、読みたいと思った本は、迷わず買うべきだ(P020)。

分からなければ、聞けばよい。実際、質問できるのは、自信の表れなのである(P030)。

内容を本当によく知っている人は、分かりやすい言葉で説明するものだ。
アルファベット略語を振り回すのは、理解していないことの証拠と考えて、まず間違いない(P031)。

固定観念とは、ある刺激に対して常に同じ反応をすることである。
刺激に対する最適反応をいちいち考えていたのでは緊急事態に対処できないし、思考作業のムダだから、こうした短絡的・画一的行動様式が一定の合理性を持っていることは間違いない。しかし、それしかできないのであれば、昆虫と同じである(P055)。

「情報」については、必要性の判断が非常に難しい。そして、不要なものを大量に抱え込む危険が大きい。
しかも、情報は、「多ければ多いほどよい」というわけではない。重要な情報が過剰な情報のなかに紛れてしまって分からなくなってしまうということもある(P062)。

地上デジタル・テレビ放送について
何より最大の疑問は、「ハイビジョンの画像やCD並の音声」にふさわしい、充実した内容が提供されるのだろうか?ということだ。
現在とあまり変わらぬ内容であれば、情報量が多くなっただけアラが目立つだけではなかろうか?
「髪の毛一本ずつ見分けられる鮮明画像」というが、タレントが馬鹿騒ぎするだけの番組で髪の毛が見分けられても、馬鹿さ加減が拡大するだけだろう(P068)。

言葉は、登場自分物の文化的・社会的背景を端的に表している。それを理解できないことは、作品の最も重要な部分を理解していないことを意味する。
そう考えると、異なる文化の理解はなんと難しいのだろうと、ため息が出る。言葉が重要な役割を担う文学、演劇、映画は、絶望的なのだ(P084)。

これまでの日本で、リスク評価の重要性が意識されなかったのは、つねに値上がりする「土地」という絶対確実な担保があったからだ。
これさえ押さえておけば、貸し付けの安全性は確保された。
銀行にとって重要だったほとんど唯一の課題は、支店を拡大して預金を獲得することだった。
支店の開設は大蔵省の認可事項となっていたため、当局とのつながりを密にすることが必要だった。
「モフ担」と呼ばれた大蔵省担当係が出世コースになったのは、当然の帰結だったのである。
「地価が上昇し続ける」という環境のなかで、日本の銀行のこうした体質は、まったく合理的なものだったと考えざるをえない(P106)。

「食糧安全保障」ということが言われる。ところが、そう言う人の多くは、「安全保障のために国内生産を」と言う。
しかし、供給源分散こそが、食糧安全保障なのである。われわれは、すべての卵を一つのバスケットに入れるという愚を犯してはならない。
「自給率が低いから心配」というのは、国内供給者の論理なのである。われわれは、そうした議論に惑わされることなく、消費者の立場から問題の本質を見きわめなければならない(P178)。

この本をどう活用するか
毎日当たり前に受け止めていることについて、もう一度理由をつけてみようと思いました。全てを疑ってみます。

能率手帳の流儀

能率手帳の流儀
野口晴巳

読後の感想
 日本能率協会の代表取締役を務める筆者の手帳を通じて、生き方について書かれた本です。

 最近の手帳の本にしては、珍しく、全文を通じて、図や絵などを一切ありません。手帳の使い方というよりも「なぜ手帳を使うか」に主眼をおいているからだと思います。あくまで手帳は手段であることを強調しています。

 非常に柔らかい語り口で、非常に読みやすく感じました。

 とてもいい本なのですが、欲を言えば、この人だからこその言葉が欲しかったです。内容としては、どこかで読んだ内容が多かったです。

印象的なくだり

三十代のころ、私のつたない手帳に書き出した文言がどれも今ひとつだったのは、具体性がなかったからです。
今すぐなにをやるのかが明快でない。
だから、望みばかりで実行がともなわず、そのうち挫折してしまうのです(P030)。

手帳は「To Do」から入るよりも、まず「やったこと」を書いてみればいいのです。そのほうがはるかにかんたんです(P036)。

毎日自分の行動を書き出し、振り返り、考える。
それを実行する機会がないから、自分が進歩しているのか、停滞しているのかもわからないのです(P054)。

ところで私はあまり口うるさいほうではないと思うのですが、この朝のセレモニーで一瞬だけ顔を曇らすときがあります。
それは、こういう報告を受けたときです。
「役員会が十時からあります」
なぜこれがいけないのでしょうか?
仕事のスケジュールは、時間が最優先となります。
ですから、正しくは「十時から役員会があります」というべきなのです。
こういわれてはじめてすっーと頭に入ります(P092)。

どうやって活用するか
現在使っている手帳をもっと好きになろうと思いました。
まさに「どこでもいっしょ」にしようと思いました。
それから読んだ本をリスト化して傾向をつかむというのは面白い発想なので、実行してみたいと思いました。