読後の感想
「傍からみてると大変そうだけどどうしていいのかよく分からん」というのが僕の率直な印象。
誰しもがなる可能性がある、いわゆるよく言われる「甘え」とか「気合が足りない」とは決して思わない。
実はそのように言われる原因の一つとして、外見だけじゃ分からないというのがあるのかなと思う。
むしろうつに対して軽々しく批判できる人は、ちょっと想像力がないのかなぁと心配してます。
僕は敢えて「よく分からないからこそ」想像力を発揮して、可能な限りそばに近づけたらなぁと思う。
いわゆる「寄り添う」という形。
うつ状態にある人に、決して同化しない(できない)し、否定も肯定もしない。
いい言葉だなぁと思い使っています、「寄り添う」。
印象的なくだり
復職はゴールではありません。
うつ病でも健康な人と互角に戦える戦術が必要なのです(表表紙裏)
GTDの特徴の一つに「コンテキスト」という仕組みがあります。
コンテキストとは、直訳すると「文脈」という意味を持つ言葉です。
先に述べた「次に撮るべき物理的行動は、さまざまな状況に応じて「次にできるか否か」が変わってきます。
たとえば、パソコンを使わないとできない作業、自宅でなければできない作業、インターネットに接続できなければできない作業、特定のお店に行かねば買うことができないものなど、それぞれの状況が「コンテキスト」です。逆に言えば、次にやるべき物理的行動がパソコンを使わないとできないものであったとしても、目の前にパソコンがない状況では進めることができないわけです。したがって、それぞれの場面、状況で次にとるべき物理的行動を規定しておくべきであるという仕組みです。
(中略)
しかし、うつ病を患っている私は、おそらくGTDを実践している他の人は作っていないであろう奇妙なコンテキストを作って維持しています。
それは「@うつっぽいとき(仕事用/自宅用)」というコンテキストです。
気分が落ち込んでいないときは普通のことができるので、先に挙げたような一般的なコンテキストで十分なのですが、少しでも気分が落ちると勝手が違ってきます。平たく言うと普通のことを普通におこなえなくなるのです。
しかし、仕事中に一気にうつ病の「底期」まで落ち込むことは稀です。
数日かけて少しずつ歯車が狂って、徐々に落ち込んで、気がついたら底スレスレにいるというのが実感です。
しかし、歯車がずれ始めた際に「どうもうまく進まないな」と感じることはできますので、そこで用意してある「@うつっぽいときコンテキスト」の出番となるわけです(P073)。
さっそく自分も作ってみました。
名付けて「@うつっぽいときリスト」
・歯を磨く
・お風呂に入る
・ホットミルクにシナモン入れて飲む
・ファミコンウォーズDSをやる
うつ病を隠して仕事はできないと覚悟を決める
一緒に働いている人が、表情が乏しい、声が小さい、笑わない、動作が鈍いという特徴を示していたとしても、それを「うつ病」ではないかと連想することはとても難しいことです。この高ストレス社会において、こうした特徴を示す人は、周囲にひとりやふたりいてもおかしくありません。
そしてこうした特徴を示し続けていると、仮にその人がとても有能な人であったとしても、周囲はだんだんとその人を拒絶、もしくは排除するようになり始めかねません。端的にいえば、同僚のストレスの種になり、一緒に働きたくないという雰囲気になってくるものなのです。こうなると、悟られてはいけないというプレッシャーとともに、ギクシャクした雰囲気とも戦わねばならなくなってしまいます。
戦う相手が間違っているのです。戦うべき相手は「うつ病」であって、自分自身でも同僚でもありません。隠し続けることは、自らを苦しい立場に追い詰めることと同じです(P097)。