『田村はまだか』

『田村はまだか』
朝倉かすみ

読後の感想
札幌、ススキノのバー「チャオ!」で、四十になる同級生男女五人がクラス会の帰りの三次会をしながら、彼ら同級生の田村がくるのを待つお話。
全六話構成になっていて、最初は名前すら分からなかった登場人物が後の章の主人公的な役割になっており、田村を挟んで物語を紡いでいくというものでした。
マスターが非常に良き狂言回しになっており、最初は単なる脇役かとおもいきや、意外なところで接点を持たせてくる辺りが、著者の構成の上手さを強く感じさせました。

で、ちょっと悪意ある感想としては、この同級生五人たちと田村って、そんなに仲良くなかったんじゃないかなぁと思ってしまったこと。
田村の奥さんの中村理恵と同級生のうちの一人は親交もあるような記述は見られたけど、どちらかというと田村は孤高の人、つまり誰とも馴れ合わない人だったはずです。
そんな人を同級生が待つ、ってなんか変な感じがずっとしていました。
僕はまだ彼らの齢にたどり着いていないけど、もう少しするとそんな気持ちにもなれたりするのかなぁとちょっと感傷半分、傍観半分でした。
あと、最後の貸し切りには二瓶さん呼ばないほうが良かったんじゃないかなぁと思います。
彼は「過去形」で語られるべき人だったはず(印象が固定されるので)じゃないかなぁと。

ところで、田村のお父さんって、あの人だよねぇ(ややネタバレ)。

印象的なくだり

「全速力で走れよ、きみ」(P.075)

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイという現象に似ているお話

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイという現象に似ているお話

昨日、夕飯後、食べ終わったにもかかわらず、
ちょっと足りなかったので、細君に
「なにか食べるものない?」と聞いたら
納豆があるよ、との返答。
そうかそうかと思い食べようとしたら、続いて
「あ、ご飯はないよ」とのこと。

一瞬頭に「?」が出たが、しばし考えて
「それって納豆だけで食べるということ?」と
聞くと、「そうだよ」と細君。

いや、別にダメじゃないけど、納豆はふりかけと同様に、
ご飯(もしくはそれに準ずるもの)と一緒に食べるものだろうと
(別に声を大にして言うことではないので)思った(だけ)。

ふむ、今まで自分は「納豆でご飯を食べていた」と思っていたけど
細君にとっては「ご飯で納豆を食べていた」のかもしれない。

結婚してはやn年(nは任意の自然数)、交際期間を含めると
15年以上一緒にいるのに、相手の趣味嗜好って知らないこと多いなぁ
と思いました。

べ、別に統計取ってないけど、納豆はご飯と一緒に食べるものですよね?(ちょっと不安)

『シュガー社員が会社を溶かす 』

シュガー社員が会社を溶かす
田北百樹子

読後の感想
数々の会社に社会保険労務士として関わった筆者が「自分に甘く自立心に乏しい社会人」のことを「シュガー社員」と称して、彼らをパターン別に分け、その分析と対応を書いた本です。
まぁ分析の区別の仕方はさることながら、パターン別に分けて(もちろん仮名ですが)具体例として挙げて説明し、最後にきちんと対処法を書くスタイルは、書きっぱなしが多いこの手の(新入社員を批判する)本の類にしては非常に真摯で好印象でした。
何で好印象を抱いたのかな?と考えてみましたが、筆者が社会保険労務士という専門職として企業から問題解決を求められる立場というのが大きく関係しているのであろうと感じました。
つまり、最終的には何らかの形で解決させないといけないという立場の人が書いた本なので、最終的に何らかの形で解決している、という点が自分の好印象の理由だったわけでした。

せっかくいい本だったのですが、「ゲーム脳」などに安易に触れたりと専門外にも手を出しがちな脇の甘い記述も多く見られたのが残念なところ。
「シュガー社員」というネーミングは見事なのですが、それ以外はとほほなネーミングでした。

印象的なくだり

1.クレームを訴える親とは一人で面談しない
2.最初から時間を区切って面談する
3.相手の要求が酷い場合には会話を録音する(P.077)。

適正検査は、わざわざお金を出して外部に依頼しなくても自社でも可能です。まずはこれから募集する職種と、会社で必要としているスキルを挙げてみましょう。「必要なのは、やる気」などという、手垢にまみれキャッチコピーのようなモットーは今すぐ禁句にしましょう。求人雑誌にも「必要なスキル」が掲載されていますが、それよりも、もっと細かいスキルを挙げてみてください(P.154)。

これは激しく同意です。
求人を安易に考えた結果、後々とんでもないことが発生するのです(体験済み)。
どこにでもある求人を見るたびに、何も考えていないんだなぁと思ってしまいますね。
求人が真剣なら、求職者もそれに応じた真剣な人が来るというものです(全員とは言わないが)。

労働基準監督署の「解雇予告除外認定書」でした。無断欠勤による懲戒解雇の場合は解雇予告手当が必要ないのです(P.208)。

会社では経営者である自分の決定したことが何でも通るので、労務に関することも法律よりも自分が決めたことが優先すると思ってしまいがちです。この考えを改めないかぎり、どこかで高い授業料を払うことになります。
(中略)
法定労働時間(一日八時間、一週四〇時間)を超えた場合は、割増の時間外手当を支払うことになっています(労働基準法第37条)。この法律があるかぎり「向こうはそれで納得している」と主張しても通らないのです(P.218)。

自分が誰であるかを忘れないようにしなさい

Remember who you are.
タイトルは、キム・クラーク(ハーバード・ビジネススクール元学長)の言葉より引用。

もの思うわたくしのあれこれ。

今までもそうだったけど、転職後のお仕事は特に、一日の出来事の境があいまいです。
現在小売業の店舗にいるのですが、ともすれば「昨日と同じことをしている」状態に陥ってしまいます。
しかし、それでは成長がない…わけです。
今までも毎日「仕事ノート」を付けてきていましたが、より注意して一日を振り返らないと、昨日と今日がこんがらがっちになっていまいます。
問題発見、課題抽出、PDCAサイクルの意識(個人としても組織としても)、やることいっぱいだなぁ。

引越後、少し落ち着いてきたので金沢市内で行われている読書会的なところに行ってみようかと。
探してみるとクーリエ・ジャポンを読む会があって日程も、細君の赦しも得たので早速参加。
どんなこと話そうかなぁと、本を読み読み考えるステキな時間
(タイトルもクーリエ・ジャポン5月号の64ページから引用)。

天気予報通り天気が良ければ明日は自転車で金沢市内をふらふらする予定です。
適当な観光地とか細い路地とか路地とか路地を通る予定です。
ふらふらしながら聞く音楽をiPod nanoに入れてワクワクの時間。
自転車に合う曲ではなく高校時代に聞いてた曲などを入れてみよっかな。
(注意:平成26年4月1日より「金沢市における自転車の安全な利用の促進に関する条例」)が施行されたので、自転車を運転しながらの音楽はダメ、ゼッタイ。
どうやら金沢市役所には都市政策局 交通政策部 歩ける環境推進課というのがあるらしいですねぇ。
(個人的には、自転車専用通行帯の整備を優先してくれ(上記条例第4条)、と思ったり思わなかったりとか、ロードバイク、クロスバイクならまだしもママチャリの車両路側帯の通行推奨(上記条例第6条)は危険すぎだと思うけどね)。

ちなみにこの条例、全部で17条しかないのに「基本理念にのっとり」という言葉が11回も出てきます(第3条は基本理念の定義なので、これを入れると12回)。
条例の目的、用語の定義、委任文言(細則は市長へ委任)を除くと、全14条中、うち12条に含まれるという徹底っぷり、まぁいいけどね。
で内容はというと、市、市民、自転車の利用者、学校、保育所、保護者、事業者及び自動車等の運転者にそれぞれ努力義務が課せられているというものです。もう眠いので細則とかまでは読んでいませんが、どうやら罰則はなさそうです(ないからどう、というものではないけど)。

こっそりあまちゃん、見てます。

こんな音楽聞いています。

『世界を変えた10冊の本』

『世界を変えた10冊の本 』
池上彰

読後の感想
複雑な話を簡単にして説明することでおなじみの池上彰さんが10冊の本を選んで、その内容と影響力、そして世の中に与えた影響について解説した本です。
一章に一冊取り上げられており、聖書から沈黙の春まで、ジャンルにとらわれず本が選ばれており、守備範囲が大変広く感じました。
読んで率直に思ったのが、池上さんって読書家で勉強家だなぁということです。
選書がよいのはもちろんのこと、それをどのような影響力があったか、と解説することは、当然ながらその一冊だけを読んでいたら説明できませんので、その本に加えてたくさんの本を読み、この考え方の初出典はなに?というところまでさかのぼって考えないといけないからです。
そういう意味で読書家で勉強家だと強く感じました(二回目)。

「おわりに」に書かれていた

「私たちは不安と混乱の中にいます。こんなときだからこそ、活字の力を見直したい。書物の力を再認識したいと思っています」

とのくだりについて、心から同意です。

厳密にいうと池上さんの解釈が入っている部分もあるので、内容に精緻さについては異論のあるところかと思いますが、文章も平易で読みやすく、何より選書と取り上げる順番(これは編集者の力かも)がうまく、子供向けにいいのではないかと感じました。

いつか娘にも読ませたい一冊です。

目次
第1章 アンネの日記
第2章 聖書
第3章 コーラン
第4章 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
第5章 資本論
第6章 イスラーム原理主義の「道しるべ」
第7章 沈黙の春
第8章 種の起源
第9章 雇用、利子および貨幣の一般理論
第10章 資本主義と自由

印象的なくだり

「アンネの日記」を小学生の私が初めて読んだとき、なぜユダヤ人が差別されるのだろうと疑問に思いました。
(中略)
そもそもは、「新約聖書」にさかのぼります。「新約聖書」を構成している四つの福音書のひとつ「マタイによる福音書」の中に、次のようなエピソードが出ているからです。
ユダヤ教の改革運動をしたために、睨まれて死刑判決が下されたイエス。彼が十字架にかけられることになると、当時ローマ帝国から派遣されていた総督のピラトが、押しかけたユダヤの人々に対して、イエスを十字架にかける必要があると、尋ねます。ピラトは本音ではイエスを死刑にしたくなかったからです。
すると、人々は口々に、「イエスを十字架につけろ」と叫びます。「その血の責任は、我々の子孫にある」と(新共同訳による)。
つまり、イエスを死刑にしたために、たとえ報いが子孫に及んでも構わない、と言ったというのです。
この一節があるため、ヨーロッパのキリスト教徒の中には、イエスを殺害した人々の子孫は、報復を受けて当然だと考える人たちが出てきます(P.021)。

それにしても、まだ人間が創造される前の段階での神の行為を、どうして人間が「創世記」に書き記せるのか、という突っ込みが入りそうですが、これは、神からの言葉を受け止めた人(聖霊に満たされた預言者)が記したものと受け止められています(P.046)。

「コーラン」は、「神の言葉」をアラビア語で記したもの。神が天使ジブリールに命じてアラビア語に訳させたのですから、アラビア語は「神に選ばれた言葉」ということになります。そこで「コーラン」は、神に選ばれた言葉で読むべきであって、アラビア語以外の言葉に訳すことはできないということになっています。
しかし、これではアラビア語ができない人は読むことができません。そこで、建前としては、「コーランの日本語解説書」という位置づけで、日本語訳が出版されるようになりました(P.074)。

イギリス人がダーウィンをいかに誇りに思っているかは、紙幣にも現れています。イギリスの紙幣の表はいずれもエリザベス女王の肖像ですが、一〇ポンド紙幣の裏にはダーウィンの肖像画が描かれています(P.193)。

ダーウィンは、このように予想される批判については、あらかじめ答えを用意する一方、わからないことは、そのまま「わからない」と記述したり、「安易な結論は避けるべきだ」と述べたりしています。ダーウィンの学問に対する誠実さが見られるのです(P.201)。

ダーウィンに人柄がかいま見えるエピソード。
種の起源でも書かれていましたが、本当にダーウィンという人は、(当時は過激とされていた)唱えている主張に比例せず穏やかな人だったようですね。スキスキ。

ページ数はハードカバー版に基づくもの。