日本の端っこ駅のお話。

日本の端っこ駅のお話。

そろそろ18きっぷの季節です(まだ早い
今年はどこに行こうかなぁ。家族と相談です。

さて、日本の駅の中でも端っこはどこかなと思い調べてみました。

最東端は北海道の東根室駅、最西端は沖縄の那覇空港駅、最南端は同じく沖縄の赤嶺駅、そして最北端は北海道の稚内駅
そのうちの半分が沖縄県のゆいレールにあるという。
あぁ、沖縄県。47都道府県のうち、未踏の都道府県の一つ。
単にゆいレールに乗りたいだけなのに、これほど苦労するとはなぁ。
ゆいレールの「ゆい」は「結い」の意。
沖縄には交代制での助け合いとか持ち回りの意味で「結い」を使うらしい。
いい言葉だなぁ。

どうでもいいけど、途中にある「おもろまち」駅
決して大阪弁ではなく、沖縄の古い本「おもうさうし」を由来とする言葉だそうな。意味は「思い」とのこと。

どっとはらい。

『フィンランド流イクメンMIKKOの世界一しあわせな子育て』

「イクメンMIKKOの世界一しあわせな子育て」
ミッコ・コイヴマー(MIKKO KOVUMAA)

読後の感想
駐日フィンランド大使館の参事のミッコさんの子育て本。
そこかしこに出てくる子育ての環境の素晴らしさに羨ましくてため息が出ます。
例えば赤ちゃんが産まれたときにミッコさんが取得した育児休暇。
法律上の育児休暇が三週間と有給年休を二週間足して五週間の育児休暇を取得しています。
育児休暇は子どもが9ヶ月になるまでの間に三週間取れるようです。
もちろんこれは旦那さんの休暇です。
実際に自分の妻が出産するのを目の当たりにして思ったのは、
母親が一番手助けを必要とする時期に、旦那は仕事やらで忙しくて家にいない、ということでした。
その意味においてはこの夫の育児休暇は、出産したばかりの妻(と子供)へのプレゼントになるでしょう。

この本を読み進める前は、フィンランドがそもそも男性の育児休暇取得に寛容だったと思っていましたが、1980年後代までは、有名企業のCEOが「育児休暇を取得する男性は職場に復帰すべきではない(解雇されるべき)」と発言していたというから驚きでした(まぁ、逆を言えば制度自体はあったのだろうということはそれだけで幸せなことですけど・・・)。
本書はこのように今の価値観(男性は育児休暇を取得すべき)に沿って書かれていましたが、価値観をこれほど変え(られ)たのは一体いかなる方法によるのか、いかなる理由によるのかというところがもっと知りたかったです。

ミッコさんの文章すべてに一貫して共通しているのは、子どもをきちんと人格として扱っていることです。子どもはモノではありませんし、ただ大人に従属するだけの存在ではないということです。

子どもというものは親の注目を一身に受けることに喜びを感じるものだといいます。僕は子どもたちと過ごすときには、彼らだけに集中することにしています。その時間だけは、パパは誰にも邪魔されない存在でいるべきです。僕が思うに親と子の良質な時間を邪魔する最大の敵は、携帯電話です。携帯電話端末で世界的なシェアを誇るノキアの母国であり、SMSが発明された国から来た僕がこう言うのは少し気が引けますが、携帯電話は人と人とをつなぐものであると同時に、逆に作用することもあると思います。

人間は1度にひとつのチャンネルでしかコミュニケーションをとることはできません。つまり、携帯電話で通話したり、メールを打ったり、Facebookで誰かと思いを共有したりしているときには、そばにいる人間を閉め出していることになるのです。だから僕は子どもたちの前では携帯電話を使わぬよう、ベストを尽くしているつもりです。「携帯電話のパパ」にはなりたくないからです。子どもという存在は、そうするに値するもの。そして彼らは親の「心」がそこにないことに敏感に気づくものです。僕自身仕事に追われて携帯電話を握りしめていたときに、息子から携帯を置いてちゃんと自分たちと遊ぶように、と言われたことがあります(P.129)。

この携帯電話のくだりは僕も強く感じていたことでした。
普段携帯電話で行動の記録をつけたりしていたのですが、ムスメといるときは携帯電話はなるべく目の見えるところに置かないようにしています。
その結果、携帯電話でログが取れなくなりましたが、これで良かったのかなぁと思っています。
ムスメには「後で」はなくて「いま」しかないので。

本当にステキな一冊でした。
そして、「先ず隗より始めよ」です。

印象的なくだり

保育サービスに対する需要と不足しがちな供給とのギャップを埋めるため、1970年代には新たな社会改革が行われました。”家庭保育士”の誕生です。その多くは母親で、自宅に実子を含む最大5人までの子どもを受け入れ、保育する人のことを指します。この職に就くには講習を受けることが義務づけられており、彼女たちへの給与は地方自治体や子どもを預けた親から支払われます(P.033)。

日本でもそうですが、まずは預けるところ、器が必要な訳です。
日本の場合、認可保育園とは別に無認可の保育所みたいなものを設けて差分を埋めていますが、この制度はもっと初期投資が不要な方法ですね。

フィンランドでは所有者の許可なしで、森の中を自由に歩くことができる「自然享受権」という権利が保証されています。
その中では自然の恵みとしてベリーやキノコを摘むことも許されているので、皆さんが旅行でフィンランドを訪れた際にも、国立公園の中やヘルシンキ郊外の森などで自由にベリーを摘んで家に持ち帰り、そのまま食べるだけではなく自家製のジュースやジャム、パイなどを作って長い期間楽しみます(P.044)。

たまに朝の支度が遅くなり、急がなければならないときがあります。でも急ぐことは子どもにとって好ましいことではありません。小さい子どもにとって急ぐということを理解するのは難しいし、ことを急ぐ両親の発するストレスに不安になってしまうかもしれません。仕事や保育園に遅れるのは、子どもたちのせいではなく、親が支度を始めるのが遅かっただけなのです(P.117)。

自戒をこめて。
後でムスメに謝ろう。

車線変更のお話

先日自動車で走っていたら
僕の前の前の車が他の車と接触をした瞬間を目撃しました。

場所は二車線の大き目の道路。
赤い乗用車が左側の車線から右の車線へ進路変更してきたのですが、
その進路変更の先には白い乗用車が走っていました。

というわけで、赤い車の右側後方と、白い車の左側前方がぶつかってしまい
急ブレーキとあいなった訳です。

当時割と道はすいていたのですが、そういった訳で
右車線も左車線も車が止まってしまい、進めなくなったので
ちょっとした渋滞になってしまいました。
僕はちょうど右車線の赤い車の二台後ろを走っており、
目の前で事故の様子(とその後揉める様子)を見ておりましたが
まぁ赤い車に過失があるだろうなぁと。

その手の本で調べてみましたが
道路交通法に進路変更の規定がありました。

(車間距離の保持)
第二十六条
車両等は、同一の進路を進行している他の車両等の直後を進行するときは、
その直前の車両等が急に停止したときにおいても
これに追突するのを避けることができるため必要な距離を、これから保たなければならない。

(進路の変更の禁止)
第二十六条の二
車両は、みだりにその進路を変更してはならない。
2  車両は、進路を変更した場合にその変更した後の進路と同一の進路を
後方から進行してくる車両等の速度又は方向を急に変更させることとなるおそれがあるときは、
進路を変更してはならない。

というわけで、車線変更をした赤い車には注意義務があったわけで
その「注意義務を怠った点に過失がある」というわけですな。
今回の場合は、赤い車が白い車に寄ってきている状況は
衝突の角度からして明らかなので(まぁ見ての通り)、大部分のところでは早々も揉めないとは思いますが
赤い車を運転していた若い女の子の落胆っぷりを見て
改めて、「車にはなるべく乗らないようにしよう」と思いました。

どっとはらい。

中国をチャイナと読むときにいつも思い出す話

中国をチャイナと読むときにいつも思い出す話。

高校生のときに担任だった三津野真澄先生がしてくれたお話。
先生は以前青年海外協力隊として南米のコロンビアに行かれていたそうです。
そのときの体験のこと、コロンビアの公用語はスペイン語なのですが、
スペインの子供たちからこのように言われたそうです。
「日本はいいね、いつも女の子の隣だから」。

スペイン語で女性のことをCina(チナ)といい、それが転じてChina。
世界の位置関係からすると、日本は中国の隣、つまりCinaの隣というわけだそうです。

おそらく先生はたくさん大事なお話をしてくださったと思うのですが
なぜかこの話だけ強烈に印象深かかったです。なぜでしょうか?

(先生には高校二年、三年と担任をしていただいたのでいつ聞いたかも定かではないという…。
たくさんご迷惑を掛けたのに、先生ごめんなさい)。

『君は一流の刑事(デカ)になれ』

読後の感想
著者は警視庁の元・捜査一課長の久保正行さん。
昭和46年に警視庁の刑事になってからずっと捜査第一課で約40年間捜査に携わった
いわゆる「たたき上げ」の方です。
警視庁の捜査第一課は警視庁警察官の中でも超エリート。
捜査第一課に配属されると、「S1S」というバッチを拝領するそうです(本の表紙に載っています)。
意味は、Search 1 Select。選ばれし捜査第一課員というところでしょうか。
ちなみに捜査第一課には七部署あり殺人や強盗、暴行、傷害、誘拐、
立てこもり、強姦、放火などの凶悪犯罪を扱うところです。
で、著者の久保さんはこの捜査一課課長で最終的な判断を下すお仕事をしていたわけです。

久保さんが書きたいことは「額に汗は流れているか」。
おそらく地道な捜査や、気の遠くなるような丹念な調査をしてきたのでしょう、
古い事件も細部まで細かく書かれており、記憶ではなく記録を基に
書かれたものであることが一読して分かります。

数々の時間が描かれていますが全てを通して触れられているのは、刑事が仕事に取り組む姿勢です。

この本で初めて知った意外な一面は、警察官は思っているよりも験を担ぐということ。
例えば、捜査が長引かないように事件解決まではウドンやソバなど長いものは食べないとか
ビールは、犯人を意味する★(ほし)のマークのものしか飲まないとか。

あと、刑事訴訟法を知っているとより著者の言いたいことが伝わってきて良かったです。
おそらく公判が維持できないために、犯人だろうと狙いを定めつつひたすら証拠を集める話や
決定的な証拠があっても、被疑者に自白させず、後々の公判で
悪性格を立証するために使うテクニックなど、捜査の実際が非常によく分かりました。

ちなみに今は日本航空のコンプライアンスの部門にお勤めだとか。
いわゆる刑事向けに書かれた本ですが、「もっと情熱を持て」と言う部分は
刑事以外の人にも何かしらぐっとくるところがあるはずです(ありました
熱いです、本当に。

印象的なくだり

「殺しの手」とは、第二〇代鑑識課長・故・芹沢常行氏が、捜査や鑑識の講習時に口にしていた言葉です。
私も昭和四六年の捜査講習で次のように習いました。

「『殺しの手』とは、殺してから犯人が何らかの都合で死体を移動したためにできたもので、
そのような手が、殺しを立証する手(手段)にもなるから、『殺しの手』というのである。

手だけでなく、足の乱れや着衣の乱れでもあるのだ。
刑事を続けていれば必ず遭遇する『殺しの手』、忘れるな」(P.043)。

バラバラ死体の発見
平成一〇年五月三一日午前一〇時三〇分、江戸川に死体らしき物が入ったビニール袋が
流れているという一一〇番通報がありました。
河川における事件の管轄は、通常河川本流の中心線で分かれています。
遺体を早く引き揚げなかったために川の底に沈んで所在不明になってしまったり、
流れによっては隣の警察署管内に移動してしまうこともあります。

昔、川に浮いている遺体を扱いたくないために木製の警棒で
遺体を対岸に押し流そうとした警察官がいました。

バランスを崩してそのまま川の中に落ちた彼は、泳ぎが不得意で、
必死で犬かきをしてしがみついたのが遺体でした。
しかし、遺体は水流の力などによってか衣類はなく全裸。
腐敗が進んでいて、手を掛けたら皮膚が剥けて大変だったといいます。
神様仏様と叫びながら遺体にしがみついて、何とか一命を取り留めましたが、
制服に付着した皮膚は洗っても洗っても落ちなくて大変だったと真剣な表情で語っていました。

遺体を粗末に扱うと、天罰が当たる一例です(P.141)。

犯行日を特定できる資料として有効なのは、購入レシートや販売の日付がある物で、その最たるものが冷蔵庫です。
日付が表示された食品やそれらの保管状況によって生活実態がわかるからです(P.145)。

なるほど。
刑事ドラマなんかで使えそうなネタです。

<アルプス電気創始者 故・片岡勝太郎氏>
・人は自分の生きる時代を選択できない。時代と共に生きる(P.295)。