タイトルは孔子の『論語』の学而第一「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」より改編。
最近お引越しをしたMさんよりお手紙を頂きました。
携帯やネットで気軽に連絡が取れる時代だからこそ、親書はものすごく新鮮で嬉しかったです。
自分も割と筆まめになろうとしているほうですが、受け取る人がこんなに喜べるのなら、
もっともっと自分からも出してみようかなと思いました。
Mさん、ありがとう。
ちなみに「信」は中国語で「手紙」の意。
旅する読書家、ふくだしげたかのログ。旅の記録と、読書の記録、あとはおまけです。
タイトルは孔子の『論語』の学而第一「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」より改編。
最近お引越しをしたMさんよりお手紙を頂きました。
携帯やネットで気軽に連絡が取れる時代だからこそ、親書はものすごく新鮮で嬉しかったです。
自分も割と筆まめになろうとしているほうですが、受け取る人がこんなに喜べるのなら、
もっともっと自分からも出してみようかなと思いました。
Mさん、ありがとう。
ちなみに「信」は中国語で「手紙」の意。
絶望からの出発―私の実感的教育論
講談社
曾野綾子
読後の感想
作家曾野綾子さんの教育についてのエッセイが、収められた本。実際の子育ての経験から書かれた部分が非常に多くて納得する部分が多かったです。
何より、その考え方に共感する部分が多いので、教育論を超えて対人関係全般に言えることも多くて、影響を受けました。
要約すると、結果として他人と同じ事をすることになるのはいいが、何も考えずに他人と同じ事をするのはいけない、ということ。
印象的なくだり
己を教育しようとしない人に教育は不可能である、ということを私は信じている。
しかし己を教育しても、更に教育はまちがいなくうまく行くとは限らない。
私はこのようにして絶望的な出発点に立つのである(P015)。
本当に心から日本国土の平和を望むという人は、いざ外敵が入って来たなら、自らも戦い子供も戦いに参加させる覚悟を持つ人だけである(P020)。
上流階級の特徴は言葉の軽重の自由なことである。悪い言葉も失礼な言い方も、時には伝法なふざけ方もできる。
しかし節々はきちんと改り(ママ)、親しき仲にも礼儀あることを見せる。つまり使い方の範囲が実に広くなるのである(P047)。
日本が戦争に負けてから、しつけの基本にある体罰というものが、全くなくなってしまった。
日本の軍隊は何かというとぶん殴り、そのような空気が大東亜侵略の思想と日本の軍国主義を支えたのだ、という考え方なのであろう。
体罰について、我々ははっきりと、それを受ける人間の立場と与える側の条件を考えなければいけない。
体罰は、兵隊にとられるような一人前の-つまり言語による意志の疎通が行われ得る者同士の間で採用されるべきものではないのである。
第一に体罰の受け手は、まず言語的に未成熟な年齢でなければならない。第二に、体罰の与え手は感情的な報復を以ってそれをしてはならない。
この二つは厳密なルールである。従って、子供が言葉によって事物の認識をできる年頃になったら、もう体罰は有害なだけで何の効果もない(P051)。
自分のして来た僅かな、「良いと思われること」をご披露する度に、私は恥ずかしくなるのだが、(それを自制していると話の進み方が悪くなるので、敢えてお許しを頂くつもりでやって来たのだが)私は息子が何か小さなことをしてくれる度に、必らず(ママ)礼を言い、彼が少しでもましなことをする度に、かなり臆面もなく褒めたつもりである。
それは決して我が子をおだてたのではなかった。
私は子供がまだはっきりした意識を持つ以前から、他人に感謝することを、皮膚で覚え、その習慣に慣れ親しんでほしかったのだった。
私は子供が褒められることでいい気分になるばかりでなく、むしろ他人の美点について、目のきく人間、それをお世辞ではなく、心から評価できる人間、になってほしかったのである。
息子を褒めてやることは、つまり、彼が他人を褒めることのできる人間になるよう、習慣づけるためであった(P066)。
(前略)、物を食べていい時間と場所は、どんな子供といえども早くから、きっちりしつけるべきなのである(P083)。
親は親であるというだけで、子供を叱ってさしつかえない。
大きくなって未熟な人間になることを防ぐには、早くから子供に対しては、実に多くのことを注意し、叱らねばならない(P103)。
予測しがたいことに耐えうる力をつけることが教育の最終目的なのである。
人間の心を強める要素は実にさまざまなものから成り立つ。
歴史は原則と非原則を教え、語学は情報をより広い地域から収集することを可能にし、文字は計算もなにも出来ない理不尽な形で人間の心を力づける。
哲学と宗教は、あらゆる知識を結びあわせ燃え上がらせる触媒の作用をし、心理学はそれらの学問が筋道立てて考えているものの割れ目を警告する(P109)。
私はかつてずいぶんと人間の心が分からない女であった。
実際の目も近視だが、心理的にもひどい近眼であった。
私はたくさんの人たちを誤解し、表面でだけで判断し、急いで結論を出そうとした。
しかしなん年か経ってその人に会ってみると、私はたいていの場合、かつてその人に対して自分がなにも見ていなかったのだという思いに捕らわれた(P113)。
どのような母親も教師も子供も、多分、まるっきりまちがわずに済むことはないのである。
いいと思ってやったことが、そうでない結果を生むので、私たちはきりきり舞いさせられる。
口惜しく、情ない(ママ)。面目なく、泣きたい思いをし、何もかもするのがいやになったりする。
しかしそのまちがいを、自ら認めるのが恐らく勇気の本質なのである。
誰もがまちがうのだから、自分も又まちがうに違いないと思うのが勇気なのである。
そしてまちがう可能性を怖れつつ、限りある善意と能力のなかで、居ずまいを正して、一切の権力から解放された自由の中で、自分の小さな信念を
貫き通す勇気を持つことが、最も効果的な教育の姿勢であると思う。
どんなに眼のある正しい人間でも、勇気のない人は本当の教育者ではない。
なぜなら、賢さと共に、勇気だけが人間が世の中の奔流に押し流されることを阻止できる(P130)。
スポーツの最大の産物は、練習の鬼になり、勝って「なせばなる」などを確信することではない。
練習しても練習しても、才能に限度のあることを知り、常に自分の前に強者がいて、自分に砂埃をかけて行くのに耐えて、自分を見失わないことなのだろう、と思った。
私たちの誰もが、この世でトップではない。
記録は常に更新され、地位は常に交替させられる。
世評は流動そのものである。
トップになることを信じるのは幻を追うことと似ている
私は息子が二流以下に耐える心身の構えを持っていることを見た時に、改めて感謝したのである(P136)。
先日運転免許更新してきました。
今まで普通免許だった人は去年から新設された中型免許に(但し8tまでの車の制限つき)変わります。
11tまでの車まで運転したければ限定解除に行きましょう。
気になったのは、講習の前に裁判員制度の説明があったこと。
説明の担当の人は「名古屋地検」から来たといってたけど、検察事務官の方だろうか?
Newsweek日本版(2008/3/12号)
気になった記事は、ロシアについてのロシア国民のアンケート(P022)。
調査方法とかが分からないので何ともいえないけど「メディア検閲を容認する」と答える国民が82%という結果が目を引いた。
これが真実なら危険だし、これが検閲された結果なら82%という数字が、それなりに説得力を持つ。
「大部分の国民は賛成しているし、反対することも可能なのですよ」という隠れたメッセージが伝わってくる。欺瞞だ。
この記事も検閲してるのかな?
あと「隣国いじめの代償(プーチンのやり方は脅しと制裁)」(P023)。
グルジアのロシア将校がスパイ容疑で逮捕された制裁として、ロシアはグルジアに対して交通網閉鎖、送金・ビザストップ、輸入禁止、ガス・電力供給停止を行った。
ところが、グルジアはアゼルバイジャンより供給を受けて、却って経済的に独立できるようになってしまった、というお話。
アレクサンドル・リトビネンコ中佐毒殺の被疑者を引き渡さないなど、国際的に孤立を深めるロシア。
どうなることやら、くわばらくわばら。
あと、少し怖いのが(P030)の記事。
記者が、「メディアが偏っていることを自認した」うえでの記事。オイオイと思った。開き直りも芸のうちとはこのこと?
注目記事は「非凡で普通な彼女たちの日常」(P058)。
原題は”Reailty’s Believe It or Not”。
結合双生児(身体が一つで、首から上が双子)や低身長症などの人々本人が登場する番組のお話。
こういった人々は、他の人と同じように、食べ、眠り、生活する、そして番組の中では「普通の人と同じです」とナレーションが入る。
しかし、視聴者はそれが真実ではないことは十分に分かっている。
なぜなら「普通の人ならテレビ番組にならないからだ」。
サブタイトルが秀逸です。是非ご覧あれ。
「特異な体をもつ人々のリアリティー番組は感動のショーか、人権侵害か」。
名鉄やや乗りつぶし旅行
二日目
二日目はほとんど回れませんでした、なぜか??
それは寝過ごしたから(大幅に
言い訳をすると、初日に色々回りすぎて疲れたから。
ホンネを言うと、「パノラマカー」で満足してしまった…ような気が(笑
それはともかく、地下鉄から直通の赤池駅から豊田線で梅坪駅へ。
梅坪駅から三河線に乗り換えて終点の猿投駅へ移動。
なにやら寂しい路線でした。
人気(ひとけ)がないという意味ではなく、なんとなく寂しさが漂う、みたいな。
猿投駅でウロウロしていると乗ってきた車両の運転手さんに、迷ったのですか?と聞かれました。
結構な頻度で路線を間違える人がいるらしい。
「フリーキップでブラブラしてます」と言ったら、苦笑いしてました(とほ~
その運転手さんは折り返し運転だったので、若干の気まずさを残しつつそのまま知立駅へ。
知立駅ではお腹がすいたので、きしめんなんぞをいただき名物「あんまき」を購入。
高校生なんかが気軽に一個買っていくようなタイプのおやつ感覚なんですね。
お腹が空いていたので写真撮るのすら忘れて食べちゃいました・・・。
シンプルな味で美味しかったです。
と、ここで寝坊の影響が。このままだとちょっとフェリーに間に合わないことが発覚。
急遽、目的地を変更して南下なのです。
そのまま三河線を制覇すべく、碧南方面へ。
そこでまたさっきの運転手さんと遭遇。き、奇遇ですなぁ。
知立・碧南間はかなり好きなタイプの路線でした。
単線で、住宅街を縫い進み、多少のアップダウンと、道路と同じ高さ、そして生活路線。
うんうん、「電車乗ってる」感がして安心です(ん?
2004年3月31日で三河線は西中金-猿投間と碧南-吉良吉田間が廃止になってしまい、碧南から先は行けなくなってしまい、残念。
線路の跡とかスタンドバイミーごっこ出来たらいいなぁと思って(笑)チラッと覗いてみましたが、関係者以外は立ち入り禁止でした(当たり前
珍しい車両の正面の写真。
なんだか証明写真みたいじゃない?
そんなわけで碧南駅で下車してブラブラしてました。
いや、碧南に限ったことではないんですが、やっぱり地方の駅前はほぼ例外なく寂しくなっています。
交通手段の変化で、人の流れが変わってきたからでしょうか。
碧南駅から知立駅に向かう7700系の車内。
ん?なんだかカップルシートみたいだ(笑
http://www.meitetsu.co.jp/densha/list/detail/1174466_1203.html
帰りはおとなしく知立駅から名鉄名古屋駅まで1200系に乗って帰りました。
無理をすれば他の路線も乗れたんですけど、夜の電車は余り好きではない(車窓からの景色が寂しいから)ので、デパ地下で美味しいもの買って帰りました。
めでたしめでたし(えぇ?予定通りフェリーに乗っていないのに?