『我が一家全員死刑』

『我が一家全員死刑』
鈴木智彦
コアマガジン

読後の感想
たまたまニュースで知ったこの事件。酷い事件だなぁ、相当恨みがあったんだろうか、と思っていました。

簡単に詳細を書くと、九州の大牟田で起きた四人連続殺人事件。加害者は地元暴力団の一家の共犯で被害者は家族ぐるみで交流があった金貸しとその家族、そして無関係な友人。加害者が家族で、被害者は家族(とその友人)という内容でした。

まだ裁判が確定していないので、内容は本に基づくのですが、実行したのはほぼ次男一人らしくあとは命令する家族という光景、その家族の遵法意識の低さに、読んでいて吐き気がしました。

と、同時になんでこんな風になってしまうのだろうと興味が湧いたのも事実でした。

本書は実行行為を一人でしたとされる次男の手記を元にして、と書かれていますが、ほとんど手記がメインで解説(というか補足)が筆者という感じでした。その意味では、被告人の次男の手記を読んでいるに近い印象です。その手記は読んでいて理解がほとんど出来ませんでした。動機というか、思考回路が全く分かりません。自暴自棄であり憐憫と自己愛が交じる文章は、ところどころに人間性がかいま見えるもののほとんど動物と同じ考え方です。筆者はこれを、覚せい剤によるものと理由づけていますが、これに加えて後付の自己正当化が含まれているのではないかと思います。

きっと自分でも何であんな行動を取ったか分からないはずなので、それをなんとか論理立てしたのではないかと思います(そうすると当然支離滅裂になります)。

そんな訳で理解しながら読むのは苦痛でしたが、その事実のショッキングさにさくさく読めます。但し、読後感は虚しいです。それは何も分からなかったという感想だからだと思います。

人を殺める気持ちは分からないといえば、それまでですが、日常生活においていらっとくることはあってもそれを行動に移さない自分に対して、なぜ行動に移さないのかを考えるキッカケにはなりましたが、それ以上のものはありませんでした。

どうでもいいですが、初めて知った刑務所用語(手記より)
鳥かご(刑務所の運動場)
大学(刑務所)
社会の柵(拘置所、刑務所)

『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』

「結果を出す人」はノートに何を書いているのか
美崎栄一郎
ナナ・コーポレート・コミュニケーション

読後の感想
築地朝食会などの開催で有名な三崎さんの本。ちょうどご縁がなくて会には参加したことがないのですが、ちょくちょく参加したことのあるひとのお話を伺っていたので、(一方的に)親近感をもって読むことができました。
基本的な姿勢としては、個人記録であるノートをいかにして未来に生かすことができるか、という内容でした。例えば検索しやすくしたり、印象に残るようにしたり。
基本的には人間は忘れて行きます、特に社会人になってより多くの情報と接するようになり、むしろ忘れていく情報がほとんどになってしまいます。その情報の生かしかたがノートを上手に使うことであるという内容でした。

ちなみに、早速やってみようと思ったのは、ノートに表紙を作ること。
自分も三崎さんと同様に、コクヨのキャンパスノートを仕事用に使ってるのですが、まずポストカードを貼り付けてみました。そして、GMOの熊谷さんのように、叶えたい夢の写真や、家族の写真を貼ってみようかと思います。いつも仕事中に話さないものですからね。

印象的なくだり
グーグルで検索できるのは、他人の知識と経験です。
しかし、あなた自身の経験や知識は、この方法では検索できません。なぜなら、それはあなた固有の気づきや経験であって、他に共有している人をいないからです(P005)。

社会人のノートは「忘れる」ために使う
学生のときのノートと社会人のノートは、考え方が正反対です。
学生のときは覚えるためにノートを使いますが、社会人になってからは「忘れる」ためにノートを使います。
暗記するためにノートの書くのではないく、あとで活用する「記録」として書くのです。
仕事では、たった一つのことをしているのではなく、同時にいくつものことをマルチタスクで行っています。同時に仕事をこなすには、目の前の仕事に集中する必要があります。そのためには、タスクを記憶しておくのではなく、書き出して忘れることです。(P008)。

パソコンで作業しているときも、そばにノートを置いておくことをお勧めします。頭で記憶するだけに頼ることは、脳にとって負担だからです。記憶しようとしないで、軽くメモをしながらPC作業をしたほうが、より効果が上がるのです(P042)。

(PCに)タイピングするときは、無意識に曖昧な情報を入力するのを避けますが、手書きだと、まだ漠然とした思いつきでも、とりあえず書いておくことに抵抗はありません(P088)。

自己投資において何より大切なのは、「どういう成果」を得るために、時間とお金をかけているか、それを明確にすることです(P162)。

セミナーや勉強会に参加するときにも、読書ノートと同じように、アクションプランにつなげてノートを取るようにします。ついつい学校の授業のように内容をメモしたり、まとめようとしがちですが、これはあまり意味がありません。
なぜなら、社会人にとっての勉強はリターンがなければ無意味だからです。授業の要点をまとめることではなく、そこから自分なりの気づきを得ることが目的なのです(P184)。

表紙のデジタル管理
ノートの表紙をビジュアルタグにするには、まず表紙を記憶に残るイメージにします。
私の場合はご紹介したように、母艦ノートには、基本的には「キャンパスノート」を使っています。そのままでは表紙はどれも同じです。
そこで、ノートの表紙を加工しています。もらったポストカードなどを表紙に直接貼り、同じデザインのノートの中でも違いを出しているのです(P204)。

『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』

『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』
宝島社
山村武彦

読後の感想
本書は、防災に対する心構えや対応というのが、先天的に長く続くないことを前提として本書を進めています。 ところが、結局改善点として提示してきているものは、「勇気」とか「姿勢」と言ったもので、あまり意味がないのではないかないぁと感じてしまいました。
本当に虚無感を感じたのは、本書でも触れられてた田老町のくだり。明治三陸地震津波のときには、当時の村の人口の73%を失い、昭和三陸地震津波でも人口の30%が死亡しています。そして、かなしいかな今回の地震でも犠牲者を出しているのです。
愚かなと笑えないのは本当に悲しいです。
この本を読めば過去のことは思い出せるが、未来への対応にまで至らないと思います。
そして過去は忘れてしまう、というのが本書のテーマなのに…。

印象的なくだり
緊急時、人間は1人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「皆でいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。 これを「集団同調性バイアス」と呼ぶ。
(中略)
集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなる。お互いが無意識にけん制し合い、他者の動きに左右される。自分個人より集団に過大評価を加えていることが読み取れる。
結果として逃げるタイミングを失うことになりかねない。まるで、「災害時、皆でいれば怖くない」である。 「皆でいれば安心だ」と思う心理には客観的合理性や、科学的根拠はない。災害が発生したとき、または危ないなと思ったら、まず安全なところへ避難することだ。「皆いるから」の心理が働いて、その場にじっとしている自分に気が付いたら、ぜひこの話を思い出してほしい。皆がいるから大丈夫なのではなく、皆がいるから危険に流される場合がある(P021)。

つまり人間はある条件下に置かれると、自分に都合の良い情報だけを受入れ、都合の悪い情報を自動的にカットしてしまうのである。災害がで逃げ遅れた人たちの追跡調査をすると、こういった楽観的無防備が原因でよって逃げるタイミングを誤るケースが多い(P037)。

昔、活字になっているものは何でも信じたという人といたが、今はインターネットに掲載されたものを無条件で信じてしまう子供もいるのだ(P042)。

「最後まで生き残る生物は、強いもの、賢いものではない。最も変化に対応できるものである」とダーウィンが『進化論』の冒頭で言ったように、失敗しないためには「変化に追いつき、変化を追い抜く」ことと、それに必要な知識と知恵である(P095)。

学者の話によると、ミツバチが蜜を蓄えるのは花がなくなる冬季に備えるためである。ヨーロッパで働いていたミツバチがパースに来て、最初の年に備えて蜜を蓄えていた。しかし、パースは1年中温暖で冬はなく、いつでも花があり、好きなときに充分蜜が食べられることが分かったのでミツバチたちは、蜜を備える必要性を感じなくなったのだという。だから、パースでは養蜂業があまり成り立たないのだそうだ。
(中略)
つまり、満たされた環境で努力せずとも生きられる生活が続くと、生まれつき備わっていた危機回避本能さえいつの間にか退化させてしまうのだと付け加えた(P102)。

余談だが、日本語の「火」は「ひっー」という驚きと恐怖の心象から 発音が生まれたといわれるが、世界中の「火」に対する発音は英語の「Fire」(ファイヤー)のように、ほとんどが「F」又は「H」から始まる驚きと恐怖の発音である。驚き、恐怖を感じた時、人は息を吸い込むため「H」や「F」の音が出るのである(P137)。

『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』

『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』
牧野知弘
祥伝社

読後の感想
お仕事に繋がる知識が増えるかな、と思って読みましたが、羊頭狗肉でございます。
土地の効用や、不動産投資、REITについて、初心者向けにかなり分かりやすく書かれているところは多いのに、キャッチーなタイトルのせいで、台無しです(全部で240ページあるのに、タイトルに関わる章は24ページだけ)。 端的にまとめると、土地の値段 は一定しない→売ったり買ったりの差額で儲けるのは大変→ならインカムゲインだ、大家業だ→でもメンテナンスや管理が大変→それなら、手間を省いて利得とれるREITがあるよ、みたいな流れ。で、著者は投資法人の社長さん、みたいなポジショントークが心地よいです。
収益還元法が価格決定において適正でないという趣旨のくだりは僕も同意ですが、余りにも唐突すぎて単にハゲタカファンドが嫌いだから書いただけなんじゃない?と邪推をしてしまいがちが構成に、思わず笑みがこぼれました。

金持ち父さん貧乏父さん、的な本が好きな方にはオススメですヽ(´o`;

印象的なくだり
土地の良い点というのは、他人やマーケットがどう言おうが、自分さえよければ自分なりの価値が享受できるということです。つまり中長期に持つ場合には毎年の公示価格などの「値付け」に一喜一憂するのではなく、土地そのものの持つ効用をしっかり享受していれば幸せ、と考えるべきなのです(P053)。

どんなに良い土地、あるいは価値のある土地であっても、その上に存する建物自体が古かったり、使い勝手が悪かったり、みんなが嫌悪するようなテナントや物質(建物に存在するアスベストや土壌汚染など)が存在すると、その不動産としての価値は低くなってしまいます。不動産の価値を判断するときに、プロでもときおり間違えてしまうのが、このポイントです。私のところにご相談にみえる方でも建物の汚さや古さにばかり目がいって、本当は素晴らしい立地であるのに、「築古ですから買いたくないですね」などとおっしゃる。逆に土地はそれ自体は価値が低いと思われるのに、とても立派な設備やおしゃれなデザインの建物だけに目がくらんで、「どうしてもこの物件が買いたいの」とおっしゃる方がいます。 不動産の本当の価値とは、建物ではなく土地にあると私は思っています。なぜなら建物は経年とともに劣化してしまう。どんなに素敵な建物でも設備は5~15年で会計上の価値はゼロになり、建築デザインに至っては流行のようなものですから、短いものでしたら2~3年で、なんでこんなダサいデザインが気に入っていたのだろうという、ファッションの世界のようなことが起こります。 土地に、時代による流行の関係ありません。もちろん立地自体の栄枯盛衰はありますが、存在そのものがなくなるということはありません。そうした意味では建物の存在というのは土地の持っている本当の価値を見えにくくする場合もあるということです(P062)。

日本列島改造論が流行った頃のように、日本全国一律に地価が上昇するような時代は、残念ながらもはや期待できません。国全体の人口が増え、産業が国内需要のみの中で発展・成長を遂げていくのであれば、全国一律の地価上昇もあるかもしれません。しかし人口が減少に転じ、経済全体が世界経済に深くつながってしまい、本来ドメスティックなマーケットだった不動産が、世界マネーという血液を注入したために世界経済の中に位置づけられてしまった現在の日本にあって、全国的な地価上昇を夢見ることは望めないのです(P080)。

俗に不動産業界では、この売買案件の仲介について、「せんみつ」という言葉を使います。つまり、1000件くらいの売買案件を取り扱ってやっと3件くらいの成約があるという意味です(P115)。

収益還元法の最大の欠点は、土地の持つ応用性、可変性を無視していることです。私が不動産への投資を判断するにあたってもっとも重視するのは、土地の持つ潜在的な力です。エクセルシートでは語れない部分での判断が重要なのです(P161)。

「いざというときは売却すればいい」と言えたのは、日本の人口が増え続け、経済が現在の中国のように右肩上がりで上昇を続けていた時代のお話です(P173)。

たいていの物は、嫌になれば抹消することができます。気に入らなくなった道具、サイズが合わなくなった服、壊れた冷蔵庫、動かなくなった高級車も、嫌になれば捨てればよいですし、昔は気に入らない人や民族はこれを殺したり、遠くに追いやることができました。 ところが、土地はどんなに気に入らなくとも、抹消することはできません。本当に嫌なら、自分がその土地から出て行くことしかできません。土地の前に人間の存在などは無力なものです(P229)。

『レシートを捨てるバカ、ポイントを貯めるアホ』

『レシートを捨てるバカ、ポイントを貯めるアホ』
坂口孝則
朝日新聞出版

読後の感想
いわゆる、「経済を身近な例で分かりやすく書きました、で興味をひくようなキャッチーなタイトルをつけました」的な本かと思いきや(ごめんなさい)意外に芯がしっかりした本でした。
その中でも、非常に興味をそそられた内容は「自己実現としての貧乏」という部分でした。

実は日本はそれほど大きな格差を抱えているわけではないのですが、大半の人は努力をしない言い訳として、もしくは現状への自己弁護として貧乏を演じているというものでした。ところが、無意識のうちにその考えが刷り込まれ、本当にお金がないことが習慣となり貧乏になってしまう。しかもその一連の流れが本当の習慣となりいつのまにか実現になってしまう、という流れでした。

この習慣を変えることがお金を貯める近道である、と何度も強調されているために、いわゆる自分で作った幻影や呪縛から解き放たれないといけない、という流れは実は本書で著者が一番伝えたいことではないかと感じました。

バイヤー時代の体験なども交えつつ、サクッと読めるけど意外と心にここる良書でした。

印象的なくだり
簡易的なものは、「一人1分100円がかかっている」というものだ。個人に支払われる給料だけではなく、福利厚生や退職金積み上げや社会保険などをすべて含んだ「分あたりコスト」と考えてもらいたい。会社や役職、業界によってバラつくものの、これをひとつの目安とするといい。
たとえば、あなたが参加していた会議に他10人の社員がおり、しかも8人ほどは何の発言もないまま2時間が経過したとする。その場合は、8人×120分×100円=9万6000円がムダになったことになる。大きな会議になると、すぐにその数倍にもなる。見えないコストはこれほどまでに生じている。
ちなみに、私は会議に出るたびに、ついついこの計算を頭ではじめてしまう。すると、あまりのムダに卒倒しそうになることがある。日本の企業は効率性を売りにしていると言われるが、私はとても信じられずにいる(P035)。

以前、コンビニの店長と話をしたとき、「もっとも万引きをする人は誰だと思うか」訊かれた。私は低年齢層のお客かと思ったけれど、答えは「アルバイトの店員」とのことだった。企業において真面目に働いている社員が大半だと知りつつ申し上げるけれど、身近な自社員がコストを垂れ流す原因になりうることは心に留めておいて良いと思う(P057)。

かつて、一代で巨万の富を築いた実業家の話を聞いて驚いたことがある、その人は、お金持ちになる方法は一つしかないと言った。「収入をあげ、支出を抑えることです」。そして、財産を増やすもっとも簡単な習慣があるという。「毎日、財産状況を眺めることです」と。
曰く、大金持ちになる近道は、エクセルで自分の財産を管理することだそうだ。銀行口座の残高(1円単位まで)、株価や債権等の金融資産の現在価値(もちろん、1円単位まで)、さらには自家用車についても日々減価償却を実施し(しつこいが、1円単位まで)、正確な時価資産総額を眺めるのだという(P070)。

現在注目されているのは、インターネットを利用した葬儀発注だ。日本人の8割は現在、病院で死を迎える。通常であれば、そこから病院馴染みの葬儀業者を紹介してもらう。ただ、葬儀費用は平均で240万円もかかってしまう。紹介してもらった業者を断り、インターネット経由で葬儀を発注する人が増えている。
サイト「価格.COM」では、葬儀をコーナーが設けられており、価格も明確だ。業者間の相見積りを入手したい場合は一括申請もできる。現在は直葬といって、式をせずに火葬してしまうケースも多く見られるが、それにも対応している(P116)。
参考リンク

人間は努力を重ねること苦手であることも説明した。努力ではなく、習慣化することが得策であることも述べておいた。
人間の脳は、これまでの成功パターンを繰り返す。まずは無意識のうちに節約を志向し、それを知識によって実現することができれば、あなたの脳はそれを成功例としてインプットする。そこまでくれば、あとは何も意識せずとも、「自動支出抑制ソフト」を自分自身にインストールしていることと同じだ。お金が貯まる人は、毎日を意識的に支出抑制に努めているのではない。自動的に、無意識に、それをやっているのである(P144)。

「自己表現としての貧乏」
ほんとうは、「富む者」と「貧しき者」という単純な二項対立は存在しない。しかし、大半の人は「この世の中には、私の知らないところで、たいへん儲けて楽な暮らしをしている人がいる」と、自分を社会の被害者に仕立て上げるために、自らを不遇な存在と定義づけることになる。「ああ、もう生活が大変ですねえ。将来はどうなることやら。夢なんて見られないわ」と、あまりに紋切り型的発言で、自分が格差社会の下流であることを宣言することにより、社会へ反抗をしている
(P151)

私は、〈将来の偶然と「出会う」努力〉をしたほうがいいと述べた。必要以上に貯蓄するくらいなら、貯蓄目標以上は「効果のわからないもの」に使ってしまったほうがいい。その「効果のわからないもの」がきっといつかより大きなリターンを返してくれる。少なくとも私は、「効果のわからないもの」への出費は止める気になれない(P201)。

具体的な行動へ
まずはマネールックの使い方を再度見直してみました。
今までは適当なタイミング(気が向いたとき)でしたが、一週間に一回に決め、プリントアウトをすることにしました。