『ぼくは13歳、任務は自爆テロ。』

ぼくは13歳、任務は自爆テロ。: テロと戦争をなくすために必要なこと -
ぼくは13歳、任務は自爆テロ。: テロと戦争をなくすために必要なこと –

『ぼくは13歳、任務は自爆テロ。』
永井陽右
読後の感想
著者は、テロリストにリクルートされた若者たちを脱過激化するために、スキルのトレーニングをしたり支援するNPO法人、アクセプト・インターナショナルの代表理事の永井さん。
大学生のときに知ったルワンダのジェノサイドとソマリアの大飢饉や紛争のことを知り、日本に留学してきたソマリアの学生と一緒にNGOを作って活動を始めるなど、読んでいてその行動力に驚かされました。
本書は、中高生でも読める本を、という趣旨で書かれており、一つ一つのエピソードと写真で彼の活動が分かりやすく、とても読みやすい内容です。特に、写真では笑顔で写っている若者が、次の記述ですでに命を落としている部分を読んだとき、言葉にしにくい悲しい気持ちになりました。
ただ読んでいると順風満帆なように間違って思ってしますので、もう少し挫折的なエピソードもあれば、より一層活動が分かったのかなとも思いました。
印象的なくだり
ほくが移動するときは、防弾ガラスを装備した四輪駆動車をつかい、その荷台にはサブマシンガンを構えた6人のソマリア軍兵士が周囲に睨みを利かします。
さらにぼくの隣になサブマシンガンとピストルを持った屈強な元アメリカ兵士が座り、この車で目的地までノンストップで駆け抜けるのです(P.010)。
ぼく自身、はげしい銃撃戦と自爆テロに巻き込まれたことがあります。
すぐ近くで爆薬が詰まった複数のドラム缶が爆発して、防御壁の土嚢も重武装の兵士もみんなふきとばされてしまいました。
ぼくは建物の壁に守られて運良くケガをしませんでしたが、そのときの爆発の威力は衝撃的でした(P.016)。
2013年、戦禍の人びとひ医療を提供する「国境なき医師団」も、多発する誘拐わ監禁、殺害に直面して、ソマリアは危険すぎるという理由で撤退してしまいました。
その際「今回の撤退決定は、国境なき医師団のもっとも悔やまれる歴史の一部になった」という声明を出しています(P.026)。
人種や民族、部族などによって分断して植民地を支配するのは宗主国の常套手段です。
イギリスはナイロビを、人種や肌の色によって住める地域を分けて統治しており、現在のイスリー地区は、アジア人と優秀なアフリカ出身の人びとひ割り当てられた土地でした(P.048)。
人の気持ちはなかなか理解しがたいと考えていはぼくが、どうやって他者に共感し、曲がりなりにも問題解決のために行動しているかというと、自分なりの方法として、「痛み」にフォーカスすることにしています。
誤解を恐れずにいえば、ぼくたち人間に共通する唯一の感覚は「痛み」で、その痛みを共有することにろぬね、ぼくらはわかりあえるのてわはないかと思っているからです(P.130)。

『スマートサイジング』

スマートサイジング -
スマートサイジング –

『スマートサイジング』
タミー・ストローベル

読後の感想
読む前までは、モノを減らしたりするのは探す時間が減ったりして合理的な観点からだけ、で考えていました。
しかし、本書は全く別で「人生を幸せに過ごす」という観点を中心に掛かれています。
その内容は心理学的なこともあれば、経験則的なこともあり、納得いくような書きぶりではありました。

それよりもなお、著者がすごいのは、車を処分し、仕事を変え、家も小さく、
というように段階を踏んできちんと進めていることです。
きっと試行錯誤がかなりあったことと思いますが
計画立ててそれを信じて実行していく過程がリアルに楽しめました。
そして、この通りやれば自分も再現できるのだなと安心にもつながりました。

いまの生活から何を得たいのか、を考えるとモノからではなく、
周囲の人や経験から学ぶべきという結論になるのでしょう。

ちなみに本書で掛かれているタイニーハウスとはいわゆるやどかりですね。

印象的なくだり

その頃の私は、カルフォルニア大学リバーサイド校の心理学教授ソニア・リボミアスキーが「幸せがずっと続く12の行動習慣」の中で挙げている「快楽順応」状態。
(中略)
新しい洋服を買う。一瞬、満たされた気持ちになる。
でも、そのうち着慣れて飽きてしまう。
よくよく考えてみると、私の投資はあまり見返りを生んでいなかった(P.019)。

何と引き換えに目の前のモノが手に入るのかと考えたとき、値段や取り急ぎ支払わなくてはならないお金のことを思い浮かべるのは簡単だ。
それしか頭になければ、今ある3万ドルの借金に数百ドルがプラスされることなど忘れてしまう。
しかし、ツケは必ず回ってくる。
まず、働くという形で。
次に、借金のストレスというかたちで。
そして好きでもない仕事に縛られたあげく、最後には時間を奪われ、人と深い関係を育めなくなる(P.040)。

カーシェアリングと同じ戦略は、家、オフィス、店、土地、機械などのツール、ブランド品など、さまざまな分野で応用できる。
モノをあまり持たない暮らしの魅力は、必要が生じたときにだけ欲しいモノやサービスにアクセスできる点にあるの。
私たちは今、モノの価値とコストのバランスを見直しはじめている。
それによって私たちのライフスタイルは、モノばかりを追い求めるかたちから、あまりモノを持たないカタチにきっと自然に切り替わってくるはずよ(P.080)。

ダウンサイジングを繰り返すたびに、私はどんどん幸せになっている。半分眠ったまま過ごすのではなく、生きているという実感を持って毎日を過ごしている。私には、ディー・ウィリアムスの力強い言葉で、今でも折に触れて思い出すものがある。
あのときディーは客席に向かってこう問いかけた。
「あなたは死ぬときに、両手にどんなモノを抱きしめていたいですか?
少しの間、考えてみてください。どんな部屋でどんなモノに囲まれて、最後の瞬間を迎えたいですか?そういったことをもっと日頃から自分に問いかけられれば、私が思うに、モノを手放せないなどということはなくなるはずです。
そうなればモノへの執着心は薄れ、代わりに人や経験に興味が湧いてきます。そしてこの人や経験こそが、私たちを本当の意味で幸せに導いてくれるものなのです(P.106)。

『子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい』

子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい -
子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい –

「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」
松林弘治

読後の感想
とても夢のある面白い本でした。
読みにくいプログラムコードは一再登場せず、代わりに出てくるのはなぜ「作る側」になるのか、という問いかけでした。
それは、我々が気付かないうちにコンピュータに囲まれて暮らしており、それらは全てプログラミングで動いているという気付きでもありました。

それと同時に、ベンチャー企業の創業者が皆一様にプログラムが書けるという現実もありました。
お金持ちにさせたいという目的からではなく、自分が作りたいものを作れるようにさせてあげたい。

インターネットがつながれば何でもできる環境は整っている
実際にやるのは子供でも、その環境を用意してあげるのは親の仕事

President Obama asks America to learn computer science

印象的なくだり

オバマ大統領が、ジョブズが、プログラミングを推奨
アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマ大統領が2013年、国民に向けて次のようなビデオメッセージを公開しました。
コンピュータ科学のスキルを学ぶことは、あなたの将来に役立つだけでなく、我が国の将来のためにも大切です。
我が国がこれからの世界の最先端であり続けるために、皆さんのような若い人たちに、テクノロジーやツールを習得してもらい、私たちの生活を変えていってほしいのです。
皆さんもぜひ、この流れに参加してください。
ビデオゲームを買う代わりに、ビデオゲームを作ってみませんか?
最新のアプリをダウンロードする代わりに、アプリをデザインしてみませんか?
スマホゲームで遊ぶ代わりに、スマホゲームをプログラミングしてみませんか?(P.020)。

プログラミングの基本となる構成要素
実は、どんなプログラミングであっても、細かく分解していくと、基本となる3つの要素に突き詰められます。
・処理(別名「順次」)
コンピューターに行わせる計算や作業など処理そのもの
・分岐(別名「条件分岐」)
ある条件が成り立つ場合、成り立たない場合に合わせて、処理の流れを変える処理
・反復(別名「繰り返し」)
ある条件の間、一定の処理を繰り返す処理(P.106)。

ルーブ・ゴールドバーグ・マシンで遊ぶ
本当ならば簡単に行える作業を、わざわざ込み入ったからくり装置を次々につなぎ合わせて実現する、ユーモアにあふれた仕掛けのことです。
似たものに、NHK Eテレの「ピタゴラスイッチ」で登場する「ピタゴラ装置」があります。
(中略)
こういった装置を実際に作るのは難しくて根気がいります。
しかし同時に、作るのはとても楽しい作業です。
苦労の末に出来上がった装置を動かし、思い通りの動きをしてくれれば、達成感で満たされます。何度眺めても飽きることはありません。
そんなルーブ・ゴールドバーグ・マシンをモチーフにしたパソコンゲームが1992~2001年に発売されて人気を博しました。
シエラ・エンターテイメントが発売したゲーム「The Incredible Machine」です。
(中略)
残念ながら The Incredible Machine は現在、発売されていませんが、その開発チームが装いも新たに作り直したのが、「Contraption Maker」です。同様の世界観が楽しめます(P.138)。

『ムダな仕事はもう、やめよう!』

ムダな仕事はもう、やめよう! -
ムダな仕事はもう、やめよう! –

「ムダな仕事はもう、やめよう!」
吉越浩一郎
読後の感想
言わずと知れたトリンプの社長の本。
自分も「仕事をゲーム感覚で」って言ってみたい。

印象的なくだり

残業をやめれば、集中して仕事を処理できるようになり、かえってアウトプットの量が増える。
歩合制で働いているなら、アウトプットの増加はダイレクトに収入に反映される(P.060)。

じつは帰る時間だけをデッドラインに定めても、夏休みの宿題と同じことが起こりやすい。大量の仕事が目の前にあっても、今日の五時まで片付ければいいと考えると、つい午前中は手を抜いてしまうのが普通の考え方だ。
この場合、午後の三時ごろにやっとお尻に火がついてようやく火事場の馬鹿力を出しても、さすがにそれでは間に合わない(P.079)。

スモールゴールだったり、マイルストーンを設定しないといけないということ。

じつは会社には、本当ならやらなくても済むのに慣例で残っている仕事や、他の人がサボるためにこちらに回ってくる仕事がゴロゴロしている(P.087)。

わかる(強く同意

迷うだけ時間のムダなのだ。
仕事は、つねに小さな決断の連続だ。
(中略)
結局、仕事のスピードは意思決定のスピードに比例するのだ(P.109)。

結論のない報告をして平気な顔をしている社員には、「キミは時給八五〇円で働いているのか!」と怒鳴りつけます。
現状報告だけなら、誰にでもできる。
総合職に求められるのは、「何を、いつまでに、どのような方法で実行するのか」これが明確でない報告に、聞く価値などありません(P.157)。

『コード・ブルー』外科研修医 救急コール

『コード・ブルー』外科研修医 救急コール
アトゥール・ガワンデ

読後の感想
進地くんにお勧めいただいた一冊。
ポッドキャストでもとりとめもなく話しています。
https://soundcloud.com/user-900049561/01403a

アメリカの研修医が、実際の現場での医師の感覚を書いた本。
不完全にしか与えられていない情報の中で、緊急の作業をしなければならない医師の葛藤が
とても分かりやすく、また切実に伝わってきました。

外科医については、自戒をこめたこんな格言がある。
「ときには間違いも犯す。しかし、決して迷うな」(P.026)。

やはり現役の医師だからか、裁判に関するこのあたりの記述はちょっと切なかったです。
しょうがないけどね、訴訟だから。

病院付きの弁護士は、医師たちにこんな警告をする。
「起こってしまった問題については、もちろん患者に説明しなければならないが、法廷に持ち込まれて不利な証拠として利用されることがないように、病院側の非を認めてはならない。患者に思いやりのある言葉をかけたいと思っても、『私たちが望んだようには物事がうまく運ばず、残念です』というくらいにとどめるべきだ」(P.072)。

希望が持てるなぁと思ったのは、このあたりのエピソード。

かつて1960年代は気管チューブを入れる機械のスイッチの場所が
メーカー別にばらばらであり、人為的なミスを引き起こしやすい環境に合った。
ある麻酔医が、スイッチの場所を共通化するという作業を行ったところ
1960年~1980年の間は1件/1万~2万件のミスの確率が
1990年には1件/20万件という確率にまでさげることに成功した事例です。

印象的なくだり

私たちは、医学が知識と処理という整然たる分野だと思っている。
しかし、実はそうではない。医学は不完全な科学だ。
刻々と変化する知識と不確かな情報に左右され、誤りから免れない人々が行う手作業であり、危険と隣り合わせのものである。
私たち医者が行う処置は科学に基づいているが、習慣や直感、ときには単純な推測もそこに介在している。
医者の知識と技能の間にある差は埋めがたい。
そして、その落差ゆえに、あらゆることが複雑になってしまうのである(P.016)。

常勤外科医たちは、病院にとって最も重要なのは、長年にわたって同じ一つのことを黙々とやり通すだけの誠意と勤勉さとひたむきさを備えた人物を見つけ出すことだと言っている。
(中略)
技術は教えることができるが、ねばり強さは教えられない(P.031)。

私の息子はふつうではない問題を抱えていた。
あの専修医はもっと経験を積む必要があった。
だれよりも、研修医である私は、そのことを理解できるはずだった。
しかし、私は迷わずに決断を下した。「私の子ども」のことなのだ。
選択するときには、私はいつだって息子のために最良の選択をする。
そうしない人などいるはずがない。
だからこそ、未来の医学界はそれを当てにしてはいけないのである(P.046)。

人間的な思いやりとテクノロジーは、必ずしも両立しないわけではなく、互いに高め合うこともできる。
(中略)
ミスは常について回るが(機械といえども完璧ではないのだ)、ミスが減ったときに初めて信頼を勝ちとることができるのだ。
さらに、「システム」が技術面を受け持つようになると、医者は、患者とじっくり話すといった、はるか昔から重要とされていたことに時間を割けるようになる。
(中略)
機械は確かに決定を下せるが、癒しにはどうしても医者が必要なのだ(P.060)。

スキーで足を骨折しても―確かにひどい痛みではあるが―治ればまたスキーをする。
ところが、一度でもジンで悪酔いしたり牡蠣であたったりすると、二度とそれには手を出さなくなる。
アンソニー・バージェス原作の『時計じかけのオレンジ』の中で、政府当局は主人公アレックスの暴力性をコントロールするために、彼の暴力的衝動と吐き気と結び付けて解決を図るというシーンがあった。
ある時期、ドイツの町で同じようなことが行われた。
一八四三年に書かれた資料によると、町庁舎の外に置いた箱に非行少年を押し込んで、それを警察官がものすごいスピードで回転させた。
そして少年たちは野次馬たちに見るに堪えない見せ物を提供したという(P.156)。