『「リーダーの条件」が変わった』

『「リーダーの条件」が変わった』
大前研一

読後の感想
大前先生の組織論の本、…かと思いきや中身はかなり政治に特化した政策論の本でした。
しかも、その内容がすこぶるライト(Rのほうね)。
読み終わるまで、大前先生の考え方が変わったのかなと思っていましたが、後でこの新書は雑誌に連載されていたものをまとめたものであることを知りました。

その雑誌の名前は、SAPIO。

まぁ、あとは推して知るべしなんですが、そういうわけで読者層にきちんと切り込んでいく大前先生は見事としかいいようがありません。うん、褒めてます。

とはいえ、自分がリーダー論・組織論のはなしかと思って読んだから、肩透かしをくらったような印象でしたが、現実をベースにした理想論は、読んでいて「なんとか頑張れそうだ」と希望の光を与えてくれるのに充分な内容でした。

たまたま仕事でそのようなことを考えるタイミングだったので

昔は中間管理職の数が少なく職務責任・職務権限が明 確だったので、余人をもっては代えがたいようなリーダーシップのある部長や課長がけっこういた。しかし今の中間管理職は、バブル期に大量採用された世代が 40代になったこともあって「次長」「副部長」「課長代理」「課長補佐」などの職責・職権が明確でないポストがやたらと増え、実際はヒラ社員にけが生えたような仕事をしているケースが多い。職責・職権がはっきりしていないとリーダーシップはふるいようがない。だから、今や余人をもっては代えがたいような中間管理職はほとんどいなくなった(P056)。

なんかは結構グサリと刺さりました。

また、

批判や異論を制御できないのは、「無能」と動議だ。 リーダーシップのない人に限って、反対意見の人を味方につけようとする。これは市町村議会ではよくあることで、「あなたの言っていることもやろう。ただ し、こちらの意見も飲んでくれ」と、2つの政策を通してしまう。当然、納税者にとっては、2倍のカネがかかることになる(P186)。

なども、政治の話にはなっていますが、割とどこにでも見られるような風景です。

煎じて書くと、つまるところリーダーとは「決定する人」であり、この「決定権」だけは余人を持って代えがたいと。
リーダーの決定した結論は必ずしも正しい結論ではないかもしれないし、不本意な人もいるかもしれない。
しかし、この「決定する」という行為だけは、結果よりもむしろ過程の正当性をリーダーとして求められるのではないかな、と思いました。別の言い方をすると公平さ、とか。

そんなわけで、どきどきしながらも楽しく読むことが出来ました。

印象的なくだり

そもそもリーダーは万能ではないし、あらゆる知識を持っているわけではない。むしろ自分以上の知識や能力を備えた人材を選び抜いて部下としてそばに置き、彼らが上司(すなわち自分)の判断に対しても異を唱えられるような有機的なチームを作る能力こそが求められる。それら優秀な部下たちをマネージし、彼らの意見を聞いた上で、総合的に判断して結論を下す-それがリーダーのあるべき姿だと思う(P004)。

グローバルなリスク分散は、最悪の事態を想定した場合、少なくとも「2アウト・オブ3(2out of 3)」の体制が必要だ。すなわち物理的に環境が異なる3か所に同等の機能を分散し、3つのうち2つが稼動していれば現状維持ができ、もし2つがダウンしても残る1つだけで最低限の昨日は維持できるようにしておくのである(P023)。

あ、これって『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するマギシステムのことだ、と読みながら思いました。
ちなみにマギシステムとは、第七世代有機コンピュータで、初の人格移植OS。メルキオール、バルタザール、カスパーと名付けられた(由来は上記『東方の三博士』)三機のコンピュータで構成されているものです。

指で数えられるくらいの部下を率いる最前線のリーダーは「率先垂範」でないといけない。まず自分が行動して成果を上げることで部下を鼓舞し、個々の実力をフルに引きだしていくのである。部下と喜怒哀楽を共にする、体育会系のプレイングマネージャースタイルだ。
しかし、数十人、数百人の複数部門を束ねて組織を動かすリーダーになったら、そのやり方は通用しない。いちいち自分がお客さんのところに足を運んだり、部下を一人一人個別に指導したりするのは物理的に不可能、というレベルの問題ではなく、果たすべき役割そのものが異なるのだ(P058)。

基本的に中国人は日本に憧れている。日本に来ると大 半の人は安全・安心・快適で食事も旨い日本が好きになって帰っていく。そういう細かいヒットをたくさん重ねるしか、関係改善を促進する方法はないと思う。 したたかな中国相手に一発逆転のホームランはない、と政治家たちは心得るべきだろう(P114)。

まず、今回の大震災・大津波で、甚大な被害が出た最大の原因は、防災の観点から見て危険な場所に人が住んでいたことである。海に面した低い土地に広がった三陸の町は、過去に何度も津波被害を受けてきた。このため津波に対する備えは、それなりに固めていた。にもかかわらず今回の大津波では、ひとたまりもなかった。それがわかった以上、被災した住民の皆さんの 意見も踏まえつつ、二度と悲劇を繰り返さないよう、津波で壊滅した海の近くは民家ではなく公共の頑丈な(避難にも使える)建物と緑地だけにして、住宅地は安全な高台に移すことを考えなくはならない。そのための費用は全国民で負担する(P118)。

前に書いた田老町のこと

日本の水は現在、全体の65%が農業用水、15%が工業用水、そして20%が水道用水(生活用水)として使われている。その上、最も上流の美味しい水が農業用水、次が工業用水となり、水道用水は最も下流の汚い所で取水している(P150)。

『ザ・プロフェッショナル』

『ザ・プロフェッショナル』
ダイヤモンド社
大前研一

読後の感想
徹底して将来の問題解決のためのマネジメントにこだわった一冊。予測不可能な未来をどのように生き抜くかという強いメッセージを受け取りました。激しく影響を受けたので(笑)翌日からの物事に対する取り組み方が激変しました。あいかわらず読みやすくサクッと読める本でした。出来ないこと(実行不可能なこと)は書かれてはいませんが、優先順位としてはどうなの?と思いながら読みました。

印象的なくだり

IBMの新しいCEO、サミュエル・パルミサーノも「組織構造や経営陣の指示によって、(全世界に二〇万人以上の社員を抱えている)IBMの力を最大限に引き出すことは、まず、無理なのです。ならば、社員一人ひとりが正しい判断を正しい方法で下せるように支援すると同時に、彼ら彼女らに権限委譲するしかありません」と述べています。また、昨今のコーチング・ブームも、エンパワーメントが「時代の要請」であることを裏づけています(P018)。

それでも、あえて言わせていただきたい。あなたが成長するかどうかなど、実のところ、顧客にすれば、どうでもよいことなのです。あなたにすれば、失敗は成長の糧でしょうが、顧客にすれば、たまったものではありません(P019)。

エンパワーメントとは、言うなれば、部下への「投資」です。リターンのことだけ、それもあなたと部下のリターンだけを考えるのは、株価を見て一喜一憂しているアマチュア投資家と何ら変わりません。プロの投資家は、リターンのみならず、リスクについても考えるものです。同様に、エンパワーメントという投資には、顧客へのリスク、裏返せばビジネスへのリスクも等しく考慮しなければならないのです。このことを、上司、部下ともに再認識すべきでしょう(P023)。

たいていの人が「自分の限界を、自分で決めて」います。そのほとんどが、かなり手前に設定されています。なぜなら、いままでの経験と相談するからです。これは楽チンです。おそらく失敗しないで済むでしょうか、周囲から怒られることもなければ、バカにされることもありません。ですから、現実的で、賢い判断といえなくもありません。しかし、私に言わせれば、小賢しい考えでしなかく、そのような人は「できるわけがない」と思ったとたん、すぐに諦めてしまう。これこそ「知的怠慢」なのです(P029)。

知的好奇心が中途半端な人、すなわち知的に怠惰な人は、ほぼ例外なっく自己防衛的で、変化に後ろ向きです。なぜなら、チャレンジ精神とまではいいませんが、新しいことへの興味に乏しいからです。常日頃から、目新しいこと、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢が身についていませんから、いざという時、心理学でいわれる「ファイト・オア・フライト」(抵抗するか、逃げるか)になってしまう(P030)

実態を見ずに、世間の常識や通説に惑わされていては単なる現象あるいは例外的事例を真実と見紛うだけです。そして、先に道を切り拓いた者が一人勝ちする世界では、過去を振り返る暇などありません。自分の置かれている状況が見えていない人は、競争相手はだれなのか、どうすれば勝てるのか、そのために何が必要なのかといったさまざまな問題の答えを前例や既存の知識に求めようとします(P063)。

ジャングルで実用に堪えうるサバイバル・スキルは、数々の失敗を実地に経験し、自分自身が傷つくことでしか学べません。私自身も、マッキンゼーを辞して以来、これまでにかなりの数の事業を興しましたが、結果だけを見れば一勝一敗というところです。しかし、私はこの結果をありがたいとすら思っています。失敗することより、失敗を経験しないことの危うさを自分自身がいちばんよく知っているからです(P068)。

変化の本質を見極めるには、まず身近な変化の一つひとつについて、なぜそうなるのか、どこが新しいのか、そこから何が生まれ、その真価はどこにあるのかと繰り返し自問自答します。そこから課題を構造化し、仮説を立て、それが正しいかどうかを見極めるべく事実を集め、分析・検証し、自分の理を再構築していきます。
途中で間違いに気づいたならば、すべてを白紙の状態にして、違う仮説に立ってゼロから考えなおさなければなりません。ところが、「知的に怠惰」な人間は、このオールクリアができません(P071)。

長年にわたり人間の意思決定プロセスを研究してきたカーネギーメロン大学のハーバート・A・サイモンは「情報を保存することと、それをすぐに取り出せるよう情報を整理することを可能にしているのは経験である」と論じています。人間は、経験を重ねることでパターン認識を体得し、これを無意識のうちに活用して直観を働かせています(P078)

意思決定力の源泉は、みずから描いた構想への自信であり、またその構想をいつでも見直し、破き捨てることのできる覚悟にあります。こだわるけれど頭のどこかは冷めていて、己の先見や構想を信じながら、その一方でたえず疑うという、高次元の姿勢が要求されるのです(P131)。

答えを知らないことを恐れるのでなく、知らないところからスタートして、自分には何が見えて何が見えないか、何がわかって何がわからないかを分けて考えられるかどうかが重要なのです(P141-142)。

詭弁の多くは先入観を巧みに使っています。たとえば、本来わが社ではそのようなことがうまくいったためしはない。日本人にはそうした発想は馴染まない、中国が領海侵犯するのを許せばどこまで図に乗るかわかったものではない、家族は一緒に住むのが本来の姿だ、などです。このような前提から展開される議論には注意が必要です。一般論としては異論のないことですが、こうした前提から導き出そうとする結論は、証拠や論理ではなく、感情や情緒び基づいています。
そこで、ぜひ励行してもらいたいのが、ある人ののべる文脈、前置きなどから、その後に続く議論の矛盾を感じ取る訓練です。また、議論に参加する人々の多様性を認識したうえで、さまざまな視点や角度からの意見を聞くことも重要です。その際、「だれが」言ったかに引きずられてはなりません。「何を」言ったかに注目するクセをつけることが重要です。人の意見を聞くことは重要ですし、意見としては尊重すべきでしょうが、そこから出てくる結論は、当然、証拠や論理がしっかりしていなくてはなりません(P173-174)。

野暮は承知で、あえて前提を問うことが肝心なのです。前提を問い、時には疑い、根拠の脆弱さや論理の綻びを見つけたならば、ためらわずに問い質します。揚げ足を取るようなケースも出てくるでしょうが、重要な情報を引き出すためにも、相手の真意を汲み取るためにも、わかったふりをしてはなりません(P177)。

主張型反論
主張型反論は、意図的に相手とまったく反対の主張をする手法です。相手が論理の綻びや根拠の不備を見落としていないかどうかを検証するために、あえて正反対の主張を投げかけるのです。
(中略)議論に不慣れな人は、いきおい敵意を感じてしまうせいか、主張型反論を受けて一瞬にして理性を失ってしまいます。新たな視点の提供を喜ぶくらいの余裕を持って、建設的な対立の価値を理解してもらいたいものです(P183)。

物理学者のウェルナー・ハイゼルベルグが一九二七年に発表した「不確定性原理」を使ってこれを説明しましょう。不確定性原理とは、物質の微小単位の測定は粒子(位置を特定する場合)あるいは波動(速度を測定する場合)のいずれかで行われ、二つを同時に行うことはできない、というものです。その理由は、一方を測定すること自体が、他方の測定に影響を与え、その測定結果を不確定にするからです。つまり、物質の本質が粒子なのか、あるいは波動なのかについては、測定からは決定できないということです。これは、二元論的にいえば、相反する事象が同時に成り立つことを意味しています(P195)。

へーゲルによれば、テーゼは相矛盾するアンチテーゼをはらんでいますが、発展の過程で矛盾はアウフヘーベン(止揚)され、矛盾をより高いレベルで調和・統一する新たなテーゼ、つまり「ジンテーゼ」を生み出します。しかし、調和して統一された概念が生まれても、そこにはやはりアンチテーゼが内在し、しばらくすると内部矛盾によって変化が起こり、矛盾を解消すべく新たなジンテーゼが生まれます(P197)。

いかに高邁なビジョンを掲げる企業であっても、収益性が悪化してキャッシュフローが枯渇すれば倒産します。したがって、経営者の責務とは、数字で裏づけられた経済合理性にかなった判断を下すことです。一方で、社員のモチベーションやロイヤリティ、創造性といった経済合理性の尺度だけで測り切れない部分を管理し、それを成果につなげる手腕も求められます。前者をマネジメント、後者をリーダーシップと言い換えてもよいでしょう。経営には、この二つが表裏一体となって存在します。優れた経営者は、収益を追求する術と組織を牽引する術を兼ね備えなければならないのです(P203-204)。

経営者は、みずからが発するメッセージに対して社員がどのような反応を示すかを知らなければなりません(P204)。

統率が効果的に機能するのは、環境変化が小さく、あらかじめ設計された手順に従って職務を遂行することで生産性が向上する場合に限られます。今日のように環境変化が激しく、素早い対応が求められる状況においては、個人の自由裁量の範囲をできるだけ広くしたほうが、かえって生産性が高まるのです(P220)。

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『サラリーマン「再起動」マニュアル』

『サラリーマン「再起動」マニュアル』
大前研一
小学館

読後の感想
司令の知人のオススメということでしたが、どうしても、外的要因が内から変えるといった外圧の考え方が強いせいか、いまいちなじめない(でも好き)。
せっかく自分を変えるなら、そのモチベーションを内的なものに求めるような書き方をすればいいのになぁと思ってしまいます(でも好きなので読む)。

印象的なくだり
(前略)、円だけでなく、ドルとユーロにも分散して口座を開設することだ。海外投資が便利になることに加えて、円、ドル、ユーロの三つの通貨でそれぞれクレジットカードを作っておけば三つの通貨で決済できるから、その時その時に最も強い通貨で買い物をすればよい。つまり、日本にいながらにして、いつでも「世界最強の通貨」を使えるわけだ(P082)。

たとえば、パソコン事業部の業績が下がっているという時、その事業部の社員1人ひとりに「どうすればよいか?」と聞いたところで、決して有効な解決策は出てこない。なぜなら、ほとんどの人は自分が今までやってきたことを自己否定できないからだ。自己否定しないと、針路は変わらない。しかし今、企業や個人に自己否定する勇気があるか?自分を外部から客観的に見て、新しいルートを見いだす能力があるか?これが今、問われているのである(P101)。

プロジェクトは、対極的な発想をする人たちが仲良くやっていった時に最も成功するものだ。つまり論理思考の強い人と、エモーショナル型の人、発想型の人と数字の分析に強い人、というように全く違うタイプの人間を組み合わせることが一番大切なのである(P108)。

企業の理想は、大量に採用して早めにたくさん辞めさせることである。辞めさせる割合は、GEの経験では毎年15%だが、マッキンゼーの経験では毎年20%だ。マッキンゼーの場合は入社時に「あなたが5年後に生き残っている5分の1ですよ」と説明する。精鋭だけを残すからGEもマッキンゼーも強くなったのである(P216)。

リストラには、もう一つの問題として「エレベーターの論理」がある。エレベーターは定員オーバーになってブッーとブザーが鳴ったら、最後に乗った人が降りる。いわゆる「後乗り・先出し」というやつで、リストラも同じ。人員削減を進めていくと、後から入ってきた新しい人が先に辞めて、コストの高い古い人だけがる。平均年齢が高くなり、組織に活力がなくなる。だから、リストラをやればやるほど会社はおかしくなっていく(P218)。

1人暮らしの孤独を癒すビジネスも有望
方法はいろいろある。たとえば、働いていたら年金がもらえないという現行制度をやめる。65歳以上で働いている人には所得税をかけない。所得税をかけなければ、正味の収入が半分になっても、けっこう使いでがある。
あるいは、年金と労働収入をミックスする割合を高齢者が自分で決められるようにする。その場合、死ぬまでにトータルでもらえる金額を、働かずに年金だけをもらっている人と同じにしなければならない。つまり、定年後も働いていた人は年金をもらえる期間が短くなるから、それで損をしないよう、働き終わってから支給される額が増え、死ぬまでにトータルでもらえる年金額は変わらないようにするわけだ。おそらく、定年後も働いた高齢者は年金をもらう期間が半分ほどになるので、年金額も今までの想定額の2倍くらいにすべきだろう(P284)。

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『質問する力』

『質問する力』
文藝春秋
大前研一

読後の感想
 相変わらずの「自分を変えろ」との熱い主張に、このままではいけないといい意味で自己啓発される本です。
 ただ若干過去の事例の分析が多く、未来に向かってという方向の記述が少ないのが気になりました。
 帯の「これをつければあなたも必ず成功する」は少し煽りすぎですね。

印象的なくだり

八〇年代半ばのアメリカは、冷戦のために莫大な軍事費を使い、一方で対日貿易で巨額の赤字を出していて、この財政と貿易の双子の赤字によって国力は疲弊していました(P031)。

デルの経営手法は、コンサルティングの言葉でいうCRMとSCMを融合したものと言われます。
CRMというのはカスタマー・リレーションシップ・マネジメントといって、顧客と企業を電話やインターネットでダイレクトにつなぐ販売手法。
SCMというのはサプライ・チューン・マネジメントといい、実需に基づいて納入業者も一体となった適切な生産を行う生産管理の手法です(P046)。

複雑にからまりあった出来事にどう対処するかという時、質問することによって初めて、そこに横たわる根本的な問題が明らかになります。
そのうえで進むべき方向がわかります。
「これって、どういうことなの?」という質問から、全てが始まります。
ところが皆が迷っているから、自分も危機感を持たない、という安堵感さえ今の日本企業、自治体、政府には漂っています(P055)。

金融機関というのは集めた資金を投資するのが仕事です。
貸出先をプロの目で選んで運用し、必要な企業に資金を提供するところに存在意義があるのに、そうした社会的役割を放棄し、集めた預金で国債を買っているだけ
なのだったら、存在する必要はありません。
国債を直接、国が国民に売ればいいのだし、そのほうが調達コストも安くなります(P139)。

国債は未来からの借金である(P157)。

「今の若い世代はたくさんの老人を養わなければならない。負担ばかり大きくてかわいそうだ」などといって同情する人がいます。
本当に若い世代がそんな責任を果たすと思っているのでしょうか?(P159)。

まずは本当に自分が理解しているかどうか、つねに点検してみることです。
そして、すこしでもわからないところや疑問点があればとことんつきつめるということです。
その際には人に聞いてもいいでしょうし、あるいはインターネットで調べてみてもいいでしょう。
あるいは文献にあたるのもいいでしょう。
しかし、ひとつの情報源にたよるということはしないことが大切です。
他人のうけうりではなくて、自分の腑に落ちるまで調べてみるのです。
そうすることでいろいろな問題点が整理されていきます。
問題点が整理されてくれば、解決方法もわかってきます。
その解決方法をこんどは他人に説明して理解してもらうというプロセスがあります(P224)。

国が国民を守れない時代になった今、日本人はすべからく「質問する力」を発揮して、自分の生活を守り、自分の生き方を考えねばならない。それによって日本という国自体も変わってくるはずである。
これが本書の趣旨です(P268)。

『下剋上の時代を生き抜く即戦力の磨き方』

『下剋上の時代を生き抜く即戦力の磨き方』
大前研一
PHPビジネス新書

読後の感想
 徹底して自分個人の力を信じて邁進、という考えの下書かれている本です。
 いま所属している国や会社がどうなろうと、自分の力で生きぬいていく能力を身につけなければならない、というのが骨子だと感じました。

 今のままではいけないと警鐘を促すという意味で、大変参考になりました。例えるなら後頭部から殴られたような印象でした。
 とくに、語学力(英語)、財務力・問題解決力が重要だと説かれており、早速行動を開始しました。

印象的なくだり
 エスカレーターがこれからもうまく動いてくれるかを気を揉む暇があるなら、隣の階段を全速力で駆け上がれる体力をつけるトレーニングを、一刻も早く始めることだ(P026)。
 スペシャリストやゼネラリストというのは、環境や前提条件がドラスティックに変わってしまったら、その能力は途端に使い物にならなくなってしまうということだ(P038)。

 必要とあらばそれまでの常識や、たとえ成功経験から学んだ知識であっても、あっさりアンラーン(学習し直す)して、そこからゼロ・ベースで仮説・検証を始められる勇気と柔軟さはすごい。
 これこそがどんな環境にも色あせないプロフェッショナルの証なのである(P041)。

 即戦力に必要な「三種の神器」。
 即戦力というのはあくまで、まったく新しい環境に放り込まれても、冷静に本質を見極め、正確な判断や意思決定のできる、プロフェッショナルのことなのだ(P047)。

 私自身は、語学力(英語) 、財務力、問題解決力の三つが鍵だと思っている(P048)。

株投資の原則
一、株の性格と常識を勉強する
 株の構造や、株式投資にはどんなリスクがあるかなどは、取引を始める前に、必ず正確に理解しておかなければならない。
 また、相場全体が上昇しているときは「インディックス株を買え、こういう下げ局面では目をつぶって運輸株だ、電力株だ、消費財大手だ」といったセオリーが投資にはあるから、そういうものも知識として、知っておく必要がある。
二、身近に株を一緒に勉強する仲間を作る
三、世界を観る(P085)。

 問題解決の第一歩は「問題がどこにあるのか」「なにが問題なのか」を、自分で見つけ出すことだ。
 それには少しでも疑問を感じたらとことん追及し、この問題の本質はどこにあるのか自分で自分に問うことを繰り返す「質問する力」(Inquisitive Mind)が不可欠だ。
 そして次は、なぜその問題が発生するかという原因に言及し、何をどうすればその原因を排除できるかという仮説を立てる。
 ここで重要なのは「なぜ」という問いかけに対し、「もしかしたらこうなるのではないか」という仮説を設定できるかどうかである。
 仮説を立てたら今度は、その仮説の検証だ。もちろん仮説は仮説にすぎないから、そのままそれが問題解決につながるとは限らない。
 仮説がうまくいかないとわかったら、そこで新たに仮説を立て直す。あるいは仮説を実行すると、そこで新たに問題がおこるかもしれない。
 そうしたらその問題の原因を探り、取り除く仮説を立てる。これを真の解決策にたどり着くまで、何度も繰り返すのだ。
 これが問題解決法(プロブレム・ソルビング・アプローチ)の基本である。
 つまり問題に直面したとき、その答えを知っているかどうかではなく、常にこういうプロセスで問題解決にあたれるのが、問題解決力があるということなのだ(P094)。

 思いつきを結論にするな(P096)。

 危機感がないから考えない
 危機感がなければ、考えようという気が起こらないし、考えないのだから、論理的思考や問題解決力が育つわけがないのである(P113)。
生活のなかでパターン化したほうがいいと思われることは、全部パターン化しておく(P132)。

 事実の裏づけがないことをいおうものなら、「それはお前の意見だ。そんなものは聞きたくない。事実に基づいた発言をしろ」と、途端に非難の礫が飛んでくるのも、マッキンゼー式会議の特徴だ(P148)。

 先が見えないからこそ、長期的な目標を持って、自分の人生を設計すること。
 とくに三十五歳を過ぎたら、いつまでに自分はこれをやるというように具体的な目標を掲げ、いまよりさらに高い次元に向かって努力することを、意識的かつ強制的にやらなければダメだ(P174)。

 日本には、教育によって国の秩序を維持してきた歴史がある。戦後の混乱期ですら、国土が無法地帯になることなく、国民が粛々と復興に励むことができたのは、まさしく明治以降の教育の賜物だ。
 だから、いまもし社会不安が増しつつあるというのなら、それは経済格差が原因というより、むしろ近年の教育に問題があると考えるべきだろう。
 ただし教育というのは漢方薬なので、効果が出るまである程度時間がかかる。その間は国民一人ひとりがセキュリティレベルを上げて乗り切るしかない(P190)。