ツンとした鼻がちょっと こわいけれども それくらいが狙い目さ 本で読んだよ~

タイトルは、パール兄弟の楽曲『Panpakaクルージング』の歌詞より抜粋(タイトルと本文は関係ありません)。

ちなみに続き

♪~
白浜のようなフロア 今日はよい夜
ポイントはみんな高い 特にあの娘は
ツンとした鼻がちょっと こわいけれども
それくらいが狙い目さ 本で読んだよ~

PANPAKAクルージング
どうせ男は余っているのさ~

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基本的には、勤務先と自宅近く、そして経由地に三箇所、「ふと思いついて勉強とか読書とかするための」喫茶店やファーストフード店を確保してます。
そのうちの一箇所が、ハローワークのすぐ近くにあるので、結構な頻度でリクルートスーツを着て、面接の本とか読んでいる人を見かけます。

というわけで、思ったこと(別に転職しようとか思っているわけではありません、ありません。大事なので二回書きました)。

想定問答集。数値化できない質問と、それに対する答え。 Q「パソコンはどれくらい出来ますか?」 A「いま30人くらいのフロアにいますが、課長・部長をはじめ半分位の人に、ワード・エクセルなどの不明点や、ハードのトラブルがあると、真っ先に聞かれるくらいの実力です」

パソコンとかって「どこまでができる」の線引きが曖昧だから、希望する企業の内容、職種によるかも。ちなみに僕のネットワークの知識は古すぎるので、その手のお仕事には足りません、きっと。

子供を育てるとき、感情を先回りしないようにすること。美醜や嫌悪など一時的には子供の判断に任せ、必要があれば修正していく方向で
しかし、善悪、物事の順序、倫理は押し付けよう。

久しぶりにこの本を思い出したので。

(前略)、子どもの個の確立を考えようともせず、幼いころの表現を成長後も押しつけると、子どもの発達には悪影響を及ぼす。母子密着型の親子関係において、こういった押しつけ的コミュニケーションが、後々まで続いていくとどうなってしまうのだろうか。寒いと感じる前に「寒いでしょ」、悲しいと感じる前に「あらあらかわいそうに。つらかったね」と常に感情を先回りして言われることで、子どもは自分がどう感じているかがわからなくなる。自分の気持ちや要求がよくわからない”感じない子ども”になってしまうのである(P161)。

『あの人と和解する―仲直りの心理学』
集英社
井上孝代

しかし、ものの道理、善悪は、僕の価値観を押し付ける。もちろんきちんと自我が芽生え、自ら判断できる年齢になったら干渉しないけど、それまでの間は、きっちり最初の物差しを押し付けないといけないと思う。

以下同趣旨。

重要なことは押しつけよ
本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押しつけてよい。もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見い出すかも知れません。それはそれでよい。初めに何かの基準を与えないと、子供としては動きがとれないのです(P049)。

『国家の品格』
新潮社
藤原正彦

オススメの漫画『レッド』のお話

『レッド』という漫画があります。
作者は、山本直樹。
マイナー雑誌「イブニング」にて隔号連載中。

内容は、1969年から1972年の日本を舞台に革命を起こすための若者の活動というもの。

ピンとくる人は分かると思いますが、連合赤軍の印旛沼事件・山岳ベース事件・あさま山荘事件
をモチーフにしています。

wikipediaより

1970年代初頭、日本の新左翼運動のなかで起こった有名な事件をテーマとした作品である。何人かの主要人物を軸に、時間的経過に沿って事件の進行や当時の時代背景を淡々と叙述していく手法がとられている。また、登場人物のその後の運命を示す文章が頻繁に登場したり、人物が亡くなっていく順に1から15までの番号が付されるなど、あらかじめ物語の先には悲劇的結末が待ち受けることが強調されている。

はっきり言って重いです。
しかし、組織というものがどのように崩壊していくかが如実に分かる漫画でした。
この漫画を読みながら、『働きざかりの心理学』河合隼雄著を思い出しました。

場の構造を権力構造としてとらえた人は、それに反逆するために、その集団を抜け出して新しい集団、彼らの主観に従えば反権力の集団をつくる。
ところが既述のような認識にたっていないため、彼らの集団も日本的な場をつくることになる。
そして、既存の集団に対抗する必要上、その集団の凝集性を高めねばならなくなるので、その「場」のしめつけは既存の集団より協力にならざるを得ないという状態になってくる。
このため、「革新」を目ざす集団が、その主義はともかくとして、集団構造をは極めて保守的な日本的構造をもたざるを得ないというパラドックスが生じてくるのである(P136)。

反権力を標榜する集団が、権力に対抗するためにまとまろうとする。
ところが、本来個人は個として独立しているため、不自然なまとまりは却って不協和音を生む。
気付いていないようで、実際には周囲にはいくらでもあるような気がしました。
そして、漫画のように大抵の場合は悲劇が待っています。

新品だと一冊千円と、漫画にしては少々お高いですが、オススメです。
萌えとか出てきませんので、ソッチの人は注意。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
扶桑社
リリー・フランキー

読後の感想
泣かそうとしているのであれば、ずるい。無意識ならすごい。
母の無償の愛と、葛藤。筆者は東京に負けない結果で良かったと思うが、しかし、その影には無数の挫折をした人も多くいるのだろうなぁと。切なくなりました。

印象的なくだり
前世紀末に人々が信じ恐れた予言は当たることもなく、ただ単純に、次々と日めくりがめくれるだけで、はるか未来であったはずの二十一世紀はやって来た。
その昔、人々が想像した二十一世紀の姿。それは大幅にはずれることもなく、今、我々の身近なものになりつつある。
コンピューター。テレビ電話。宇宙旅行。ロボット。
映画で観たそれぞれは、現実になった。しかし、ひとつだけ、昔の人が想像のできなかったこと。気付かなかったこと。
それは、すべてのものは進化の過程で小さくなってゆくということだった。
兵器並みの能力を持つコンピューターを描く時、フィルムの中、漫画の中ではいつもそれは家具のように大きくかたどられていたものだ。しかし、今はその程度のコンピューターでも、子供机の上に、コンパクトに並べられている。
それは実寸の問題ではなく、人々の心の中では偉大なるものはすべて大きく映っていたからなのだろう。
母親に手を引かれている子供が、その母親の身長など気にしたことがないように。
「たわむれに母を背負いてそのあまり軽さに泣きて三歩歩まず」
石川啄木が目を潤ませて立ち止まったように、誰しもがかつて大きかったはずの母親の存在を、小さく感じてしまう瞬間がくる。
大きくて、柔らかくて、あたたかだったものが、ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。
それは、母親が老いたからでも、子供が成長したからでもない。きっとそれは、子供のために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿なのだ。
五月にある人は言った。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと(P321)。

命かけてと誓った日から

タイトルは、ザ・フォーク・クスセダーズの楽曲『あの素晴らしい愛をもう一度』(北山修作詞、加藤和彦作曲)の歌詞より抜粋。タイトルと本文は関係ありません。そして、ご冥福を。

自分がサブカルにどっぷり漬かるきっかけの一つとなった楽曲。
中学生のときは、空手バカボンがオリジナルだと思っていました。
嗚呼、大いなる勘違い。

コメントのお返事

>大島(しまし)

おお、元気?久しぶり(いきなり私信)(笑)
本の紹介ありがと。
早速Amazonで注文しました。
いつになるか分からないけど、感想を必ず連絡するよ~。

>ヒロ

確かにヒトは失敗から学ぶ動物なんだけど、出来れば「失敗せずに」学びたいな(笑
ってちょっと都合いいかなぁ。
失敗の数だけ成長するということは、それだけ失敗しているということなので(自戒

>島田香沙美さん
先日は遅くまでお疲れ様でした。
コメントありがとうございます、今日は携帯でなくパソコンなんですね♪
確かに束縛と考えるときついですが、僕は「自分との約束」的な感じで前向きにしてます。
他人との約束は守るくせに、自分との約束は守らないのは一貫してないですよねぇ(笑
人生スケジュール、いいものになるといいですね。

時間を固定する

どうも可処分時間の使い方が下手になってきた。
理由は通勤。

結局あれもしたいこれもしたい、とToDoを電車の中で増やしてしまうために、帰ってきて消化不良で寝る、みたいな繰り返し。

これではいかん、ということなので、「やらないことリスト」作りました。実行してみて、やっぱり無駄だった、とか後悔したものをピックアップしていきます。

失敗してからではないと、学べないところに、自分の器の小ささが…。むぅ。