ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない(つまるところ全部でない

家に帰ったらムスメが
「音が出ないの~」と寄ってきた。
何やらおもちゃの鍵盤を叩いても音が出ないらしい。

よっしゃ、まかしときとばかり、石川県出身で江戸っ子でもない僕が
きっぷの良いふりをして引き受けました。

まずは電池を交換してみてもダメ。
しょうがないので裏蓋を開けてみると頼りない配線が三本ほど。
第一に、鍵盤を押してみる、と、信号は出ているなのでインプット部分ではない。
次に、配線が切れてないか確認、と、切れてない。
というわけで、犯人は出力部分でした。
スピーカー部分に本来あるべき磁石が落ちていたために
音を増幅するところ(もしくは単に磁石を使った配線)が
壊れていたようでした。

カチッとはめてもはまらないので、おそらく接着が甘かったのでしょう。
とりあえず手元にはんだこて的なものは見つからなかったので
応急処置で両面テープで補強、と。

見てくれは良くないですが、ムスメが望む機能は果たせそうになりました。

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ところで、後から冷静に考えたら、作業中の写真の中で配線部分も写っているのですが
権利関係とかアレやコレやとなったら嫌なのでアップするのはやめよう。

光と闇とレンブラント

タイトルは、最近ちょっとずっこけたキャッチコピーより。いや上手いんですけど上手くない感じが最高です(褒めてます

最近、縁あって志賀直哉なんかを読んでいると、しばらくビジネス書的な本ばかりでささくれ立っていた気持ちが緩んでほんわかしてきました。
こう見えても(どう見える?)一応は文学青年だったので、高校生の頃などは一通りの日本文学(塾の先生がリストアップしてくれた読むべき100冊)を読んでいたのですが、ただ読んでいるだけの頃(それでも名著からは多く学べましたが)と違って今は本当に多くの素晴らしさが伝わってきます。
割と頻繁に参加している読書会には一家言有る方が多いので、大きな声では言えませんが、最近谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を無性に読みたくなり、手に入れてきました。

「西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中に吸い取る」

僕も本が好きなので、もちろん多くの紙に接したりするのですが、このように紙そのものではなく、光と紙の視点から書かれる文章を見たのは初めてだった気がします。
電子書籍が増えてきて、どんどん紙の本が手に入りにくくなってくる時代が来るかもしれませんが、紙の魅力を伝える文章として大事に取っておこうと思いました。

『ユダヤの商法』

ユダヤの商法
藤田田(デンと発音してください)

本を読む前の背景
ソフトバンクの孫社長をはじめとして、この人の影響を受けて商売を始めたという人は多いのではないでしょうか?
実は前々から読んでみたいと思っていたのですが、全然本が見つかりませんでした。
アマゾンとかプレミアムがついて6000円とかするし!ベストセラーとなっているはずなので、古本屋さん(ブックオフにあらず)をちょこっと見たりしたのですが、結局手に入れることかなわず、図書館で借りる羽目になりました(しかも30人待ちとかで三ヶ月待ちました)。

読後の感想
一代でマクドナルドを大きく育て上げた経営理念はこういうことだったのか、感心することしきりでした。
例えば、

「ユダヤ商法に商品はふたつしかない。それは女と口である」
私は二十年近い貿易生活の中で、ユダヤ人から何度、この言葉を聞かされたか分からない。
ユダヤ人にいわせると、これは『ユダヤ商法四千年の公理』なのだそうだ。しかも『公理であるから証明は不要』なのだという(P.028)。

であると考え、女性向けのアクセサリーを売り、マクドナルドを売るなど、この人の場合は言いっぱなしでないところがより説得力を増していますね。

今でこそ、書いてあることは当たり前の部類に入っていることも多いのですが、初版の昭和47年ごろなど、考えもつかなかったのだろうかとちょっと驚きでした。

書かれた当時のことを考えてみると、藤田さんは、貿易の仕事を経ることによって、国際情勢(平たくいうと海外での常識・マナー)を学んだのでしょう。そして、そのマナーは一番厳しいユダヤ風だったということ。ユダヤ式のマナーに耐えうる藤田さんは(おそらく口コミで)他の人からも信頼され、いい話が舞い込んでくるようになった、とこういったところでしょうか(想像です)。

商売の原理原則はおそらく今も昔も通じるところが多いと思います。
ただ、薄利多売はダメだというようないわゆる多数派相手にする商売はなかなかスタートからそうは行きません。その意味では、原理原則を学べますが実践向きではない気がします。どちらかというと商売の教科書的(しかも修身みたい)に捉えると良いかと思いました。

実際に取り入れてみる

商売人が数字に強くなければならないのは当然のことだが、中でもユダヤ人の数字に対する強さは特筆すべきものがある。それほどにユダヤ人はふだんから生活の中へ数字を持ち込んで数字を生活の一部としているからだ。
例えば、日本人は「きょうはばかに暑いですね」とか「少し寒くなったようですな」というが、ユダヤ人は暑さ寒さも数字に換算する。「きょうは華氏八十度だ」「今は華氏六十度だ」というように、正確に寒暖計の数字を読む(P.017)。

印象的なくだり

迫害され続けてきたユダヤ人は、税金を払うという約束で、その国の国籍を与えられていると思っているのだ。税金に対しては厳正である。
そうはいってもむざむざ税金をとられっ放しにされるユダヤ人ではない。税金を払ってもちゃんと釣り合うような商売をする。つまり、利益計算をする時に、税金分をあらかじめ差し引いた利益をはじき、それで商売をするのである。
「五十万円の利益があった」
という時、日本ではその利益が「税込み」の履歴であるのに対して、ユダヤ人のいう利益
「税引き後」なのである(P.056)。

『ノードストローム・ウェイ―絶対にノーとは言わない百貨店』

 

『ノードストローム・ウェイ―絶対にノーとは言わない百貨店』
ロバート スペクター
パトリック・D. マッカーシー
山中 カン
犬飼 みずほ

読後の感想
ワタミの会長、渡邊美樹さんの本の中で紹介されていたので興味を持って読み始めました。
若干誇張されているものの「絶対にノーと言わない百貨店」として有名なノードストローム。
サービス業に従事する人なら(どんな意味でも従事しない人なんてほんの少数だけど)
忘れてはいけない顧客重視の精神が至る所に発揮されている印象でした。

但し、誤解を恐れずに言うと、このやり方は今後は厳しいと思います。
ノードストロームのやり方は、いわゆる顧客重視ですがアプローチの仕方が限定されています。
その中でも、「顧客が望んでいるもの(品物とは限らない)を探してくる」ことを重要視しています。
例えば新製品が発売されたら顧客に知らせる、とか、顧客の好みのものを代わりに探してくるとか。
つまるところ、この手のサービスはどんどんビックデータが代わりにやり始めています。
個人の履歴や好みを調べ、広告表示させたり、と。

実際に、お店に行ってほしいものがなかった、じゃあ「お取り寄せしましょうか」と言われても
実は自宅でネットで注文したほうが早い(そしてネット注文は大した手間ではない)時代が既に到来しています。

端的に言うと、本書に書かれているノードストロームの時代は、顧客が先に要望を挙げてそれに店員が応える流れでした。
しかし、いまは多くのものが満ち足りてしまい、逆に店員が潜在的な要望を掘り起こすことが重要になっているのでないでしょうか。

今のような時代では、ノードストロームのアプローチ方法は逆に「ネットよりも不便」と感じるのではないかと思ってしまいました。
なので、時代に合わないなと感じました。

印象的なくだり

ノードストロームは、顧客サービスという視点から経営を見直していった。
サービスを徹底するため、顧客に接する機会の多い販売員の立場・意見を尊重している。
売り場における全権を委譲し、顧客サービス第一の姿勢で行動するように指導した。
例えば、返品は、いかなる事情においても―たとえ顧客の都合によるものであっても―上司の許可なく受けつけてよいこと、お客様が求めている商品が売り場にない場合には、ライバル店から購入してでも要求に応えること、などである。
自分の売り上げ目標は自分で管理させ、インセンティブを与えるための報酬システムを確立した(P.002)。

マッカーシーの名を有名にしたのは、彼が顧客の名前やサイズ、好みの傾向をすべて覚えているからだけではなく、彼が人々の心を自分の身に置き換えて考えることのできる人間だからである(P.030)。

コ・チェアマンの一人、ジョン・ノードストロームは言う。
「流行の商品も、あらゆるサイズが揃っていなければ何の意味もな。
自分に合ったサイズがないかぎり、他のサイズがいくつあろうと、顧客は関心も払わない。
それが小売業というものだ。」(P.047)。

小売業の厳しさ。

「英雄的」行為の事例の中には、真実でありながら、聞いた人々に真偽を疑われているものもある。
その最たる例は-しばしば全国紙に引き合いに出されるほど有名な逸話だが-ノードストロームの店員が扱っていないはずの自動車のタイヤの返品をにこやかに受け入れ、返金までしたという逸話である。
しかも、この話は真実だ。
七五年、ノードストロームはノーザン・コマーシャル・カンパニーからアラスカ州の三軒の店を買い取っている。
タイヤはそこで売られたものだった。
つまり、タイヤは店がまだノーザン・コマーシャルのものだったときに買われ、ノードストロームのものになってから返品され、ノードストロームが返金したというのが事の経緯である。
事実に尾ひれがついて神話になった例だろう(P.049)。

例の有名なエピソード。小売店業に従事したり、この手の本を読むを割りと多く目にします。
詳細を聴いてみると、そんなにびっくりするほどの話ではないようでした。ムムム。

返品がごくたまに販売員のストレスになることもある。
「お客様の中には、ドレスを二年間借りたあげくに返しておいでになる方もいます」。
サンフランシスコ郊外、コルテマデラ店のコレクターズフロアでデザイナードレスを販売するジョイス・ジョンソンは言う。
「でも、返品を一種のゲームと思えばいいのです。
商品を返されたとしても、にこやかに受けつける術を身につけることです。
なぜなら、そういうお客様は必ずまた店に来てくださいます」。
これは、のが二店舗経営に乗り出し、この寛大な返品制度を始めたときに、エヴェレット、エルマー、ロイドの三兄弟が思ったことと同じである。
彼らは、明らかに非常識で理不尽な返品への対応にうんざりし、もし精算の手間や苦情に対応する仕事がなければ、仕事はもっと楽しくなるはずだと考えた。
「そこで、店員にその場で精算させることにした。
そうすれば、顧客はその先、その店員のことも贔屓にするだろうと考えたのだ」とエルマーは当時を回想する。「当時、店員にはこんな指示も出した。『お客様が何か気に入らないことがあって、それについて苦情を言われたら、必ずその顧客の要望に答えること』」。
そして、返品制度実施から一年後、兄弟は返品に要した一年間の費用を算出し、このまま返品制度を続行してもやっていけると判断した。
以来、小売店の大半が返品を渋るなか、ノードストロームは返品制度にじっと耐え、むしろこの制度を費用のかからない恰好の口コミ広告にしてしまった(P.066)。

返品制度はただの顧客サービスではない、費用対効果をじっくり検討し、従業員の心理的ストレスも軽減する企業の政策だと知ったとき、本当にびっくりしました。
つまるところ、「ただの親切なお店」ではなく、しっかりしたビジネスだったということ。
ノードストロームのやり方を「サービス業に従事する人に対しての精神論(お客様に奉仕しろ、だとか)」としてしか伝えられない経営者は今すぐ自分の会社の政策を省みないといけない。

上席副社長兼南カルフォルニア地区担当のゼネラルマネジャー、ジェイミー・ボーが常にストアマネージャーたちに言うのは、くれぐれも部下に細かすぎる指導を行わないようということだ。
「細かすぎる指導は販売員から義務を取りあげることですし、それでは部下は司令にまで成長しません。気がついたときには部下は歩兵だけだったという結果になってしまいます。われわれがベストを尽くしていれば、配下の人々は司令にまで育ちます。というのも、自分で仕事をコントロールすることが身につくからです。(後略)」(P.072)。

顧客サービスを題材とした”It’s Not My Department”の著者ピーター・グレンは、ノードストローム以外の会社のマネージャーが「部下を認める」という大事な職務を忘れていることを批判している。
「サービス業に従事している人間たちが顧客にお粗末なサービスをしているのは、それが大きな原因の一つだ。部下たちが行う顧客サービスは、彼らがボスからどう扱われているかを反映するもので、彼らはボスから扱われたとおりのことを顧客にもする」(P.090)。

●ノードストロームは販売員を採用して彼らを好感の持てる人間に教育するよりは、好感の持てる人物を採用して彼らに販売を教えている。ノードストロームは「スマイルを採用し、販売技術を教えている」と言われている(P.168)。

至言。

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手当たり次第で「何でもイイ」とゆうのは簡単な件について

タイトルは、HALCALIの楽曲「Tip Taps Tip」(交響詩篇エウレカセブンのEDと書いたほうが分かりやすいかもしれない)の歌詞より引用(タイトルと本文は関係ありません)。

友人の結婚式で合唱で歌う曲を探すために
youtubeをさっきからずっと見ています。

そこで気づいたのがコメント欄。

ほんの少し本格的な楽曲のコメント欄には
数は多くないものの似たような傾向、昨今の音楽事情を嘆くコメントが付いてます。

例えば、尾崎紀世彦さんの映像には

アレだけ個性的かつ高い歌唱力を持つ歌手は二度と出まい。
特に歌はヘタクソなミニスカ姿だけが取り柄の小娘集団ばかりが幅­を利かす現代では。
キヨに合掌・・・

村下孝蔵さんの映像には

村下さんや今の音楽業界の在り方について投稿してくる人達は、 多様な考えや価値観、思想信条を持っている。 中には私も含め、多少なりともAKBに批判的な人もいるけれど 決してAKBや今の音楽業界が嫌いだからとの理由だけで投稿 している訳ではないだろう。 むしろ村下さん世代とAKB世代を客観的かつ冷静に比較しての 投稿が大半だと思う。 なぜなら村下さん位の世代でもAKBが好きで、彼女ら音楽から 若さと元気、さらには勇気を得ている人もいるのだから。 その点を充分理解した上での意見や反論ならまだしも、AKBや 音楽業界への疑問なり批判的な意見を持った人達に、あたかも 喧嘩を売りつける如く感情的で乱暴な書き方はいかがなものか。 この様な書き方(表現)も、村下さんが見ていたなら喜ぶどころか 悩み・哀しむに違いない。 どうもこの1~2年、AKB関連の話題が出る度に、過剰な反応が 目についてならない。 ここは村下さんの音楽や生き方について意見交換する場であり、 投稿者同士が争う場ではない。 

と、こんなコメントがいいね!数がトップになっていたり。

別に懐古主義がイカンとは言いませんが、余りにも後ろ向きだろうと。
音楽をアイドルがやっていると思うから腹が立つのであって
アイドルが音楽をやっていると考えれば気にならないのではないだろうか(そうか?