『結婚失格』

結婚失格
枡野浩一

読後の感想
これは書評なんだろうか?なんか違うな。
歌人の枡野浩一(しょっちゅう漢字を間違えられるそうな)さんの自叙伝的書評。
一ヶ月に一冊の本を評すると同時に、自分自身の離婚調停の流れを
同時進行していくという小説形式なのだが、
なんだかモヤモヤしたものが残りながら話は進んでいく。
登場人物の速水さん(枡野自身がモデル)は妻と離婚調停をしながら、
子供と会いたくてたまらない。
その為保育園まで行ったり、元妻(離婚前は妻)と険悪になる前のことを思い出して
感傷にふけったり、本を読んだり。

最後の最後のあとがきで、この心の中に残っていたモヤモヤの元がなんとなく分かった。
それはいわゆる速水さんの「諦めの悪さ」に対する歯痒さなんだろうなぁと思う。
普通の人ならとっくに諦めてしまうことでも速水さん(こと枡野さん)は諦めずに続ける。
周りからどう思われても続けようとする。
間違った道を愚直に進むぜんまい式のおもちゃのように進み続ける。

速水さんが諦めないのは子供や奥さんのことだけだったら、
単なる未練がましい男なのだが、そうではなく「全てに対して諦めが悪い」のだ。

そういったさまを見て、歯痒さを感じるのと同時に、
自分にもこういう部分ってあるよなぁと省みる姿勢もまた
自分に対して歯痒さを感じるのです。それがモヤモヤ。
みんな思春期の頃に持っていたけどどこかで置いてきた感情を
投影しているのかなぁと思いました。

追記
ご本人のお話とお姿を生で拝見する機会に恵まれたのですが
見るからに諦めの悪そうな方でした(褒めてます

お言葉を引用しようと思ったのですが
ご本人が「引用するなら正確に引用してほしい」との
意思を明確に示されていたため、下記にustのURLを示します。

http://www.ustream.tv/channel/nekomachi-ust

真夜中は純潔

タイトルは、椎名林檎のシングルより引用(タイトルと本文は関係ありません)。

月曜日から高崎市へ絶賛出張中です(誰が絶賛しているかは特に秘す

以下、心に移りゆくよしなしごとを。

初めて知りましたが、県庁所在地である前橋市よりも高崎市のほうが人口が多い。
但し、原因は平成の大合併によるもの。

高崎市の東側は飛び地になってる…

だるま弁当はまだ食べていません。

ここ数年よく見るラスクも高崎から。

サーモスマグ買いました、駅前のヤマダ電機で。
IMG_0427[1].JPG

ホテルの無線LANが不安定でドキドキします。

おしまい

なぜ都心部の乳幼児連れの家族は休みの日のランチにファミレスに行くのか。

なぜ都心部の乳幼児連れの家族は休みの日のランチにファミレスに行くのか。

ちょっと売れそうな本のタイトルを意識していましたがどう?(挨拶

そもそも我が家も親二人と二歳児一人である訳ですが
あんまりファミレスに行きません(ファミレスに行くのは二ヶ月に一回?)。
というか外食自体(外でご飯)あまり行かない気がします。
ただ、外食をするとやはりファミレスが多くなる傾向にあります。

もちろん(食べられるメニューがないなどの)様々な理由はあるのですが、
その中でも大きなモノとして
「子供が騒いだり、食べるのが遅いと周りに迷惑がかかるから」
というものがあるからというものがあります。

これは取り直すと「(都心部の中でも我が家が生活圏内としているところは)
いかにも大人中心に作られており、
それにそぐわない子供(例外)を許容はしているが歓迎はしていないので、
排除されそうな存在である」と我が家(というか僕)が思っているということです。

つまるところ、「場」に合わせて人は行動したほうがいい
(「すべき」とまではいかない、「推奨」程度)みたいに思っているわけですね(たぶんね)。
ちなみに都心部の中でも公共性が高いところ
(「駅」とか「(ファミレスではない)レストラン」とか「通勤電車」とは特にそう。

話は少しずれますが、じゃあ「場」にそぐわない「個」はどうすればいいの?
と思われるかもしれませんが、「個」は「場」よりも可塑性がある訳なので、
「その場に応じて個を変えればいい(もしくは場に参加しないを選択する)」
と思うわけです(この考えが正しいかどうかはさておき))。

と、話を戻して「なぜ乳幼児連れ家族はファミレスに行くか」というと、
「それ以外に選択肢が「なくなってきた」のではないか」という答えを考えた訳です。

なぜ「なくなってきた」と書いたかというと、例えば少し前までは、受け皿としてファーストフードがあったように思いますが、最近は場所によってはファーストフードは勉強をしている人が多くて(都心部の話ですよ)、家族が入れるような場ではなくなってきたように思います(郊外は全く逆で、家族連れ以外は本当に少数な気がします)。

というわけで、乳幼児連れが日曜日にランチに行くとしたら最早ファミレスしか選択できないからであり、理由としてはなぜなら周りに迷惑をかけてしまうかもしれないから、という考えに裏打ちされてからであります。
そして、せめて大戸屋に行きたいなぁと思っているわけです(というか僕の場合)。
「そして」以降は飛躍しているので気にしないでください。

ちなみにこれとは別に、個人経営のお店、という選択肢があります。
もちろん見つけるのは大変ですが、こういうところであれば周囲も親も子供も満足というケースがあるかと思います。
これは見つけるは大変。でもこれはこれで宝探しみたいで楽しいです。

なんか話が逸れまくって原型をとどめていませんが
日曜日に久しぶりにファミレスに行ったので取りとめもなく書いてみました。

おしまい

『成功はゴミ箱の中に』

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「成功はゴミ箱の中に」
レイ・クロック

読後の感想
読み終わってから表紙をもう一度きちんと確認する。
これ「自伝」なんだよねぇ、「自伝」。
ライターと共著では書かれているのですが、あくまでも「自伝」。
なんかこう、ものすごくいいものや体系的に整理されたものを
期待して読むと若干がっかりするかもしれません。

52歳から全く畑違いのファーストフードの世界に飛び込み、
いまや世界一ともいえるフランチャイズチェーンを作り上げる、という
それは普通の人では考えられないようなことをやってきている訳なので、
理解の範疇を越えているのは当たり前なのですが、
奥さんと離婚して人妻にプロポーズし、
それに振られると、たまたま出会った人と結婚。
その後くだんの人妻が「やっぱり、わたしあなたのことが・・・」(想像)なんて言われると
すぐに離婚して、(元)人妻と再婚、と、やっぱりでたらめな人だなぁと感じました。

それにしても仕事に対する情熱は時代背景を割り引いたとしてもすごい。
その根底にあるのは、「お客様に対するサービス」の意識の違い。

ただ、自伝は飾っていないのか意図的なのか
悪役に徹していると読みとれることも多く、
多少の割引が必要なのかなぁと思う部分もしばしばあります。

ユニクロをきてiPhoneをいじりながら、ハンバーガーを食べるのが好きな方は是非。

印象的なくだり
良き管理者は不正行為を嫌う。
部下が誠実に働きつつも、時に犯してしまうミスならば許容できる。
しかし不正行為には強い意志で処置を取るべきだ(P.111)。

こうした改良の目的は、従業員の仕事を簡素化し、能率を上げることだった。
そのほかのコスト削減、在庫管理などといった考慮すべき事項は、
確かに重要ではあるが、我々には実際に作業する従業員がいちばん重要だった。
我々の作業工程において、製品は従業員を中心にして、貫流しなくてはならなかった。
さもなければ、工場全体が行き詰まってしまう(P.163)。

マクドナルドのレストランは、アメリカの中小企業の最たるモデルであり、
夫妻で協力し合うのは我々の基本原則であった。
主として、夫が経営やオペレーションに注意を払い、
妻が帳簿をつけ人事を取り仕切る、といった相互利益の仕組みは会社の全レベルにも応用できる。
だから私は、常にオーナーの夫人たちには夫の仕事には関わるように勧めている。
彼が汗水たらしてハンバーグを焼く担当であろうと、
高級机の向こう側で書類を相手に仕事していようと、
一人より二人のほうがよいに決まっているのだから(P.165)。

競争相手にスパイを送り込むべきだと真剣に言う人間もいた。
信じられるだろうか。ドナルド・マクドナルドがスパイだったなんて!
そんなばかげた考えに対する私の回答はこうだ。
「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。
知りたいものは全部転がっている」
私が深夜二時に競争相手のゴミ箱を漁って、
前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのか調べたことは一度や二度ではない(P.182)。

「レイ、私はあなたから多くの注文を頂いたことへの感謝を、何らかの形で表したい。
あなたの店に何かあげられるものはないかなーサインや時計ー何がいいかい?」
「なあハリー、君は私という人間をよく知らない、それに免じて今回は許そう」と私は言った。
「だが、最初で最後だからはっきり話そう。私は良い製品以外、何もいらない。
これからは、ワインを送ったり、ディナーに誘ったり、
クリスマスプレゼントを買ったりしないでくれ。
コストを下げられるのなら、その分をマクドナルド店の
フランチャイズパートナーたちに還元してほしいんだ」(P.217)。

やり遂げろーこの世界で継続ほど価値のあるものはない。
才能は違うー才能があっても失敗している人間はたくさんいる。
天才も違うー恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。
教育も違うー世界には教育を受けた落伍者があふれている。
信念と継続だけが全能である
(P.322)。

ここからはあとがき(ロバート・アンダーソン)
クロックの本当の貢献はアメリカ人の味覚を標準化したことではなく、
マクドナルドのフランチャイズシステムをつくり上げたことである(P.331)。

あとがき対談(柳井正)
レイ・クロックの印象的な言葉が載っていて・・・・・・。
「Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」
これこそ商売の真髄だと思って、手帳に書き写したのを覚えています(P.340)。

本来、新しく始める事業とはユニクロの力がいきる業種、
もしくはプラスの相乗効果が望める業種でないといけない。
そうでなければ新しい事業に進出する意味はない。
これ、当たり前のことです。原理原則です。僕も一応原理原則だと知っていました。
けれども本当の意味では、この原理原則を「わかっていなかった」。
わかるというのは身に沁みることです。
自分で体験して、これが原理原則なんだなと実感しない限り、
その後の行動指針にはなりません。
僕は「知った」のではなく、「わかって」よかったと思っています(P.362)。

『「意識の量」を増やせ!』

「意識の量」を増やせ!

読後の感想
齋藤先生は商売上手だなぁというのが最初の感想。受験、就職、結婚といま流行の不安を持った人をターゲット層にするあたり流石です。
その中でも大学教授という仕事を生かしつつ就職にスポットを当てて書かれています。

本書でいうところの「意識の量」とは、いわゆる想像力のこと。
しかも空想ではなく未来に起こる出来事の予想のことです。
つまり目の前の現在、だけではなく、「仮に」こういうことが起こったら、
とか、相手がどういう風に反応するか、とか。

今まで「仕事ができる人」なんてくくりをされていたのを独自の言葉ではあるものの
具体化をし、さらにどうやったら「仕事ができる人」になれるのか、
と論理展開していく流れはなかなか面白かったです。
たとえば、第Ⅲ章の「自動化する、細部を見つめる、言語化する」というのは
いま困っているけどどうしていいのか分からないという人にとっては
かなり分かりやすい解決方法だと思います。

思うに、斎藤先生は職業柄自分のことがよく分かっていない人(学生)よく接しているため
そのあたりを導き諭すのは上手なんだろうなぁと読み進めながら思いました。
相手のレベルまで下りてきて寄り添ってくれるといった感じ。

本書に書かれている通り、質を上げるのは大変ですが
量を増やすのは、質に比べたら圧倒的に楽というのが印象的でした。
とっかかりのハードルを下げるのが上手ですね、この本は。

印象的なくだり
卒論は卒論、就活は就活、大学の授業は授業と、やらなくてはいけないことを同時に並行させて進める意識をもたなければならない。とりあえず自分が一番気にかかっていることだけに逃げ込んでしまうことがあるが、えてしてそれは、客観的に見て一番重要なことではなかったりする(P026)。

意識の量が多い人は、普段から「日常には複数の不測の事態が起こるかもしれない」とわかっていて、直近の未来を予測しながら現在の行動を決めている。意識の量が少ないと、「いま現在」にしか意識が向けられないし、決まりきった答えを暗記することしかできない(P036)。

大学受験も、就職も、結婚も、すべて相手のあることだ。先方が「この人が欲しい」と考えている合格圏内に入れなければダメだ。大学受験の場合は、大方、学力で決まる。結婚の場合は相性だろう。就職は意識の量なのだ(P040)。

意識を目に見えるかたちで定着させるのに一番いいのが、文字化することだ。
何かを考えたり、聞いたりしてメモをとる、頭に浮かんだこと、忘れてはいけないことを列挙する。考えをまとめ、整理して文章にする。「書く」ことはその人の意識の量を端的に表す。
手っ取り早いトレーニングの一つが、「項目を挙げる」こと。リストアップの作業。
たとえば、優れた教育実践を行っている先生の映像を学生に見せ、「この先生はいったいなにがすごいんでしょうか?」と、思いつく限り挙げてもらう。同じ映像を見ているのに、二○項目以上挙げられる人と、五個ぐらいしか挙げられない人といる。意識の量が一目瞭然になる。
「すごい」というのは、なんとなくの印象だ。卓越しているんだということはなんとなくわかっているが、何がどう卓越しているかはつかめていない。それを具体的に言語化することで、何がどうすごいのかが言語化できていないことには実践できない(P091)。

「マジ、すげえ」「ヤベェ」みたいな言葉ばかり使っていて、自分の状況や感情を表現するのが五○語以内の語彙でおさまってしまうような会話をする人がいるが、言葉が足りない人は意識の幅も狭い、広がっていかない。
自分のもっている語彙力以上の会話はけっしてできない。自分の思いを的確な言葉に置き換えることもできないし、言葉によって自分と他者との感情のギャップ、意思のそごを埋めることもできない。
言語能力が低い、語彙力の乏しい人が怒りっぽかったり、キレやすかったり、感情をぶつけることになりやすいのは、自分の意識と言葉が自由にならないもどかしさが原因でもある。
だから私は本を読もう、質のいい言葉にたくさん触れようと言うのである。
自分と異なった価値観、離れた世代の人から何かを学びたい、交流したいと願ったとき、彼らと意識を交換させていくのに、語彙が豊富であることは大きな武器になる(P101)。

行き詰まってしまったら誰かに相談するといい、とよく言う。そこで若い人がミスしてしまいがちなのが、自分の悩みを一番話しやすい相手、友だちに相談してしまうことだ。
友だちは自分と同年輩で、経験知も似たり寄ったりだ。そういう相手に相談したらどうなるか。
(中略)
しかも友だちは、自分の気持ちをわかってくれるから友だちなのだ。価値観や考え方も近い場合が多い。つまり、似た視点で判断する(P130)。

現代の日本の教育システムは西洋型になり、まずは自尊感情を定着させようということでやっているのだが、それがあまりうまくいってない。なぜかというと、他者の客観的評価にさらされる機会が、教育の現場でどんどん少なくなっているためだ。
他者の評価にさらされるところでは、ショックなこともいろいろある、ときには痛い目にも遭う。だからこそ、そこで獲得したことが意味をもつ(P142)。

「増やそう」と思ってトレーニングするだけではなく、「これも意識量の問題だな」と気づくだけで、量が増す。
ポイントは、「量」ということだ。量なら、簡単に増やすことができる。
「質以前に、まずは量!」これは、私の上達論でも基本とすることだ。「意識の質を高めろ!」「意識を鋭くしろ!」と言われても、具体的にはどうしたらよいのか、ちょっとわからない。だから、自分の標語にはなりにくい。一方、質はもちろん大切だが、
「まず量だ」と思うことで気が楽になり、チャレンジする気になれる。
「量」なら、いますぐにでもなんとかなる(P191)。