台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
台湾旅行記二日目前半(2008年06月06日)
台湾旅行記二日目後半(2008年06月06日)
台湾旅行記三日目(2008年06月07日)
台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
台湾旅行記四日目後半(2008年06月08日)
台湾旅行記五日目前半(2008年06月09日)
台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

07時00分に起床するも二度寝。朝食はバイキング形式だったけど軽く済ませる。今日は一日移動だし。ミルク、パン、スクランブルエッグ、マンゴープリン
チェックアウト後、その足で台南火車駅へ。途中法院の前を通るも時間がなくて諦める、残念。
台南→高雄までは区間車。ぎりぎりに飛び乗ってなんとかセーフ。
11時40分-12時31分
69TWD
ロングシートでシートは堅め。乗客は隣に親子連れ、あと老夫婦とおじいさんなど本当にのんびりしたローカル線。
外の景色見てるとまるで日本に行る気がしてくるから不思議。
台湾という国は一部を除いてはほとんど田舎だなぁ、のんびりはするけど。

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高雄到着、切符購入後駅をうろうろ。
台北以外で初めてエスカレータをみた。流石、台湾第二の都市。
手前の新左営駅。おじいさんが間違えて降りそうになってた。寝ぼけていたらしい。
12時05分-14時38分。高雄→台東行きに乗る。
隣の席にはマクドナルドの袋を持ちバリバリ喰うお姉さん、食後爆睡。香りがきつい。せっかく自強号に乗ったので、自強号の弁当を購入してみる。80TWD。内容はご飯と焼き肉、ソーセージ、ゆで卵、唐揚げ、シシャモ揚げ、白身魚の練り物の揚げ物、昆布巻きといったもの。台湾でのお弁当としてはたぶんおいしくて高級なほうなんだろうけど、日本の駅弁に慣れてると・・・閉口。

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自強号の非電化路線は遅いね、やはり。通路を挟んで隣の家族、旅行にテンションが上がりまくってる。騒がしいなぁ。南州駅から単線に。せっかくなので下車。

台鐵では高鐵と異なり検札もあり。林(潟のつくりにしんにょう)駅で停車中、ごみゴミ集めをする清掃の女性がくる。各車両に飲み水が付くサービスもあり。
屏東線に入ってからは景色はのんびり。北に向かっているので右手は海、左手は山。
15時20分、台東駅-19時00分、花蓮駅
355TWD
関山あたりの車窓にでgiantの工場?かお店発見。
隣に座ったおじさん、フィリピンにあるアメリカの工場で働いていたらしく英語が堪能。花蓮のことをいろいろと教えてくれた。花蓮駅から中信大飯店までタクシーで170TWD。
綺麗なタクシーを選んで乗車したらやはり女性ドライバー。でも運転は・・・怖い。ホテルのフロントは観光ホテルらしくスムーズ。日本語も少し話せるみたいだし。でもかなり大きな規模のホテルの割にはエレベータが二基しかなくて団体と一緒になったから、遅々として上に上がれず。しかも、ホテル自体が郊外にあるためご飯を食べるところが少ない。ちょっと減点。
阿美文化村までのタクシー215TWD。

運転手さん、話は土産物の話(水晶のネックレスとか)、観光の営業トークばかりでうんざり。阿美文化村に入るとお客さんが一人もいない、大丈夫か・・・。700名収容できるらしいステージには自分一人、ぽつーん。かなり広いステージに一人だと不安になる。開始10分くらい前に中国人(?)の団体と日本人の団体がやってきて、ほっとした(笑)。
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トイレのマークは何だか生々しくてちょっと。村自体は何だか廃村みたいな寂れ具合。女性はかなり整った顔(中川さんによると背がかなり高いらしい)。ステージに連れて行かれて一緒に取る写真は幾らくらいなんだろう?気になる。
夕食結局食べるところが見つからず、パン屋さんでパンとどら焼き、コンビニでピザポテトとキリン一番搾りとゆで卵。せ、せつない。

台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

今年一年振り返ろうと思い、ブログを読み直していたら台湾旅行の記録を途中にしていることにいまさらながら気づいてしまった。気づいてしまった以上、書き足さなければ(笑

台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
台湾旅行記二日目前半(2008年06月06日)
台湾旅行記二日目後半(2008年06月06日)
台湾旅行記三日目(2008年06月07日)
台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
台湾旅行記四日目後半(2008年06月08日)
台湾旅行記五日目前半(2008年06月09日)

10時13分。台湾高速鐵道で台南駅到着。近くにあると思っていたバスは一時間に三本。バスに乗るまではスムーズだったがなんと実際には一時間もかかりました。乗り換え駅というレベルではない。同じ名前の台南駅なのにこれほど距離があるとは・・・。

まず国鉄台南駅にてチケット購入。これがまた一苦労。呂光号に乗ろうとメモを出したのに出てきたのは区間車のチケット?あれれ。価格優先でわざわざ安いほうにしてくれたのかなぁと好意的解釈(この考え方、大事
どうやら区間車と区間快車は同じチケットで乗れるらしい、勉強になるなぁ。教えてくれたのは、待合室で一緒になった日本語を勉強している女の子たち。でも日本語がメタメタで英語のほうが意志疎通がはかれたのはご愛敬。お勉強がんばってね。

11時42分、台南駅発 隆田駅到着
先頭車両でいくつ目で降りるか聞いたら二人組の女の子たちが興味を持って話にきてくれた、フレンドリィだなぁ。ちょっともてた気分でした(壮大な勘違いだけど
その子の一方は去年北海道に観光にきたらしい。日本のどこから来たの?と聞かれたので名古屋と答えるとがっかりしてた。東京じゃなくてごめん(笑
それから香港から来たというバックパッカー三人組と知り合いになりました。阿里山鉄道に行くらしい。いいなぁ。おにぎり食べてた。パワフルさにアジアを感じる。
会話して思ったのが自分の英語でのボキャブラリーの少なさ。もっと伝えたいことがあるのに伝えられないのはもどかしいね。

そんなこんなであっという間に隆田駅到着。

ネットの情報通り確かに小さくて何にもない・・・。ただタクシーは拾えそうで安心。とりあえず昼飯を食べる場所を探す。冷房が利いてそうなお店は日式照焼のお店。95元。相場で考えると結構高い?

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ご飯、魯肉少し、香草入りの大根のお吸い物、甘いお茶、鶏の照り焼きにかつおぶし、茄子の炒め物、豆腐にベーコンをかけたもの豆。高校生がたくさんいたのが意外。ファミリーマートでミネラルウォーター20元。

タクシーで八田與一さんの作った鳥山頭水庫へ向かう。600元で往復と案内で交渉してオッケー。ところが運転する運ちゃんは日本語はおろか、英語すらダメ。どうしようかと思ったけど、何度も話しかけているうちに心を開いてくれたのか、色々と気を遣ってくれるようになった。嬉しい。田圃を見せてくれたり、沼(くわい?)にわざわざ寄ってくれたりと。

入場料金200元に加えてタクシー入場料の50元を支払ってようやく入
場。思ったよりでかくて広い。タクシーでないと回れないくらい広いし、記念館では日本語のDVDも流してくれたりとかなりよい待遇・・・というよりここまで来る日本人珍しいのか?
DVDによると、このあたりは1920年ごろまでは嘉南平野は雨次第で収穫の変わる土地だったらしい。それを灌漑しようとしたらしい。オランダ統治下にも挑戦したけど失敗。当時を知る人々の話だと、「八田與一さんはいつも現場で指揮を執っていたらしい」。西口と東口をつなぐ水路は煉瓦とコンクリ造り。当時のものが残っているのはすごいこと。水の分配の制度も優秀だったらしい。学校建設や工場も一緒に併設され、人望もあったらしい。慰霊祭には今でも遺族が来るとのこと。そういやニュースで見たことあるかも。ずいぶん上の先輩だったらしいけど。
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台南への帰りも区間車で帰宅。あまりに疲れていたようでついウトウトしてしまったら(危険!)、電車に乗ったときに時間を聞いた女の子が起こしてくれた、いい人だ、嬉しい。

台南駅で預けたコインロッカーが小銭の受付が限定されていて取り出すのに一苦労。受け入れ可能のコインが1,5,10TWDのみで注意。initial 10 TWD + 30 TWD
ロック方式は鍵ではなく数字コードで六桁。ものは結構古いのに方式は新しいんだなぁ。分割の支払いも可能みたいで最初に入れたコインと後でのコインとの複数も可能だった。
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その後荷物を出してホテルへ。

台南の市街地からあまり距離が離れていないはずなんだけど結構歩いた気がする。途中にホテルと間違えてカジノ(合法だよね?)に入っておねえちゃんに結構な剣幕で追い出されたり(笑)。

プユマホテルにチェックイン。大きなホテルかと思ったら入り口は狭くなかなかわからず。タクシーの運ちゃんも知らなかったし。ネット環境あり。綺麗で広く、台湾旅行の中でもっともいい環境でした。テレビのチャンネルがたくさんあり、日本のドラマ専用のチャンネルも。やっていたのは「君の名は」。懐かしい。

洗濯やスーツケースの掃除をした後は、台南市内観光。赤門などオランダ統治下時代のものを中心に見て回る。アジアなのに西洋風が残っているのは貴重。「法院」と呼ばれる裁判所を発見。法律勉強してるからと言って無理矢理見学させてといっても守衛さんにつまみ出された。
なんとか英語で交渉したら「明日の昼間なら英語が分かる人がいるから見せてやってもいいぜ、ジャパニーズ」って感じのおじさん登場。何とかなるもんだね(笑)。

台南にて大戸屋発見。街のすぐ外が空港だから騒音がすごい。日系ビジネスマンが多い(気のせい?
ふらふら歩いてたらいろんなお店があった。結婚式関係のお店がたくさん固まった一区画もあったりと不思議。道で偶然会った自転車にのったおじいさん、日本語うまい。全然客引きっぽくないのでおいしいお店知りませんか?と聞いてみたら、橋北屋なる丼屋さんを教えてもらう。名物は親子丼。いや、ふつうに旨いよ。なんとボンカレーの箱発見。こんな場所で(笑)
親子丼80TWD ビール40TWD

帰りのタクシー、トムさんに名刺もらう。85TWD
ゲーセン発見、太鼓の達人とかあるし(笑)。夕方友人のN君に電話。携帯で国際電話か・・・すごい時代になったものだ。

つづく

perfumeと平沢進

perfume考

一年半ほど前から(中田ヤスタカ自体はもうちょっと前だけど)、「これは来るッ」思い続けていたperfumeが紅白にでるらしい。めでたい。

年末に紅白歌合戦を見ながらそばをたぐるのは、福田家の伝統なので年末は楽しみが一つ増えた。

にしても、ついに自分の好きなアーティストが紅白に出れるようになったのは嬉しい。一般受けしないものが多いので・・・。
ということは、いつかあの平沢進御大も紅白にいらっしゃる日がくるのだろうか。前の世紀から個人的に熱愛・崇拝しているのだが、世間が分かる日が来るだろうか。いや、中田ヤスタカがアリなんだから、平沢御大だって十分アリである(どういう意味?)。

俺に言わせりゃ、perfume及び中田ヤスタカが奏でているのは「人類の進歩と調和」だ(実際にcapsuleの曲目にそういうタイトルはある)。無機質なbeatとそれに調和する人間というのがperfumeだ(なので、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」はその黎明期と思われ)。

だとすれば、俺に言わせりゃ、平沢御大が奏でているのは「真理と妄想」である。

perfumeが受け入れられる土壌があれば、平沢進もいける(ハズ・・・)。ただ「真理」の部分はいいんだけど、「妄想」部分が非常にきついんだよねぇ(P-MODELの「LAB=01」とか「Asura clock」とか

こりゃ、今世紀中も無理かな・・・

ちなみに、自分にとって平沢進は神と同義なのです。

本日2008年12月25日、無事退院いたしました。

本日2008年12月25日、無事退院いたしました。
ブログにコメントを下さった方、mixiにメッセージを送ってくださった方、直接携帯にメールを下さった方、お見舞いにいらしてくださった方、本当にご心配とご迷惑をおかけしました。
そして、心配してくださって本当にありがとうございました。
皆さんのおかげであっという間とはいかないまでも、相当早く退院することができました。

事の次第を簡単に書くと、
お酒飲む→転ぶ→頭蓋骨骨折→脳内出血→脳挫傷
と、まぁこんな感じです。
本当はもっとも~っと長い理由があるのですが、かいつまんで書くとこんだけ。ちょっとマヌケなので書くのははばかられたのですが…

それにしても最初から最後まできっちり意識があったので、大きな発見と反省点の多い入院となりました。
ことの始まりは11日。
発覚については、前日飲んで帰って来て何も感じることなく自宅でぐっすり寝ていたのですが、朝目が覚めるとなんかおかしい。
頭痛がひどいし、かなり吐き気もする(実際嘔吐した)。そして、大問題なのが、「耳から出血してる」ということ。
すぐに勤務先に「今日病院に行くので遅れます」と電話し(遅れるどころか即搬送、即集中治療室だったんですけどね)自分でタクシーを停めて、近くの総合病院へ。

初診にもかかわらず結構早めに看てもらえた(それでも一時間くらいかかったけど)ので、症状を話すと、じゃあCT撮ってみましょうか、となりました。
で、CT撮ってみると、先生が一転して表情を変え曇らせて、「君ね、頭蓋骨骨折して脳内出血してるから。ここの設備じゃダメだから、今すぐ救急車呼んで、専門機関に運ぶから、そこに寝てて」と言われてしまいました。この時点で、この病院から司令の勤務先に電話が入り、身元引受人として呼ばれたそうです。
自分の身柄はそのまま救急車で(しかもサイレン鳴らしてました)東京臨海病院の脳神経外科へ。
後に担当となるドクターから説明を受け、意識があることを確認した上で、集中治療室へ即入院となったのでした。

その後、実家からうちの母親が来たり、妹(本物)が見舞いに来たり、進地崇裕くんもお見舞いに来てくれ無事に回復したのでした。
と、まぁこれがちょっと長めの事の顛末でございます。

今回入院の体験を経て、本当に身に染みたのは

一つは、ベタだけど健康の大切さ。
結局、何をしようにも体力が必要です。
本当に失って初めて気づくものです。

第二に、気づいたことは、情報の伝播の形が変わったことです。
今回は特殊な事情だったので、自分から入院したことは電話やメール、手紙では知らせていないのですが、ブログやmixi、携帯電話を通じて多くの友人、知人から気遣いの連絡をもらいました。
ちなみに自分が発信できたのは、携帯電話からのブログの投稿だけなので、きちんと自分で自分の情報をコントロールすることができていた、といえるでしょう。
つまるところ、今後はこのブログ、もしくは自分のサイトで発表することが「優先」となったわけで、個人個人に直接連絡することは優先度が下がるでしょう。
そして、自分のメディアを持つということは、それに伴う責任も負うということであり、軽々しくブログを書けなくなってしまうなぁ(笑)とも思いました。
まぁ当然、自由と共に当然責任も負うんですけどね。

第三に、家族の重要性。
いまさらながら司令に感謝感謝です。身の回りの世話から準備、家事や仕事をしながら、毎日お見舞いに来てくれて本当に感謝の念に耐えません。そうそう、年末に二人で戸籍を作出してきます。そんなわけで、司令に足を向けて寝られません(笑

最後に思ったのは、やっぱまだ死ねない、ということ。
30歳になるまで結構自分の好きなお勉強や活動をしてきましたが、まだまだやりたいことが残っています。
まだ死ねません(笑
ブログが残っていれば、死後、自分の思いや考えが残るだろうし、それによって誰かに何かメッセージを送れるかもしれませんが、やはり生きてるうちに直接伝えたいです。そして誰かに影響を与えたい(良くも悪くも)。そういった考え、行動が世の中を少しでも楽しくし、いわゆる「ワクワクできらきら」になると信じてマス。

そんなわけで、無事生還しましたのでこれからもよろしゅう。