台湾旅行記九日目(2008年06月13日)

台湾旅行記九日目(2008年06月13日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
台湾旅行記二日目前半(2008年06月06日)
台湾旅行記二日目後半(2008年06月06日)
台湾旅行記三日目(2008年06月07日)
台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
台湾旅行記四日目後半(2008年06月08日)
台湾旅行記五日目前半(2008年06月09日)
台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)
台湾旅行記六日目(2008年06月10日)
台湾旅行記七日目(2008年06月11日)
台湾旅行記八日目(2008年06月12日)

疲れがたまりすぎ。李さんの喫茶店に行こうと思ってたけど起きれず、残念。二度寝をしてしまい、朝食すら食べれずチェックアウト。昨晩ホテルで書いた絵葉書を投函。
台北駅から(国の旧字)光客運で桃園まで125TWD。バスは結構席が埋まっていて混雑してた。
空港の第二ターミナルで降りるべきだったのに、間違えて第一ターミナルで降りてしまった(停車場の順番が1→2だったらしい)。その代わり連絡列車に乗れたから結果オーライ。
skytrain(無人自動運転、5分間隔で運転)。

IMG_0519.JPG

IMG_0522.JPG

まず空港に着いたらチェックインを先に済ませ、あとは空港内でぶらぶら。
バーガーキングとかスタバとか見慣れたお店がたくさん。
携帯電話を貸してくれたHさんにお土産購入。台北限定モノタンブラー。あとしおりとか絵葉書とかを購入。
あと書店で大前研一の中国語翻訳版を発見、すげぇ。ワールドワイドだなぁ。
空港のポストに料金表が書いてあって、airmailが13TWDと書いてあった。あれ?別のところで見たら10TWDだったんだけど・・・。今までのは全部10TWD分しか切手貼っていなかったのでちょっと凹む(結果、無事に到着しましたが)。
ご飯がまだだったので、鶏のご飯を食べる。150TWD。空港のお店は清潔だけどなんか素っ気ないなぁ。お店は「いらっしゃいませ」の大合唱でした。
出国手続き後、お使いであれやこれやのお店へ(ただ目当てのお店はなかった)。ちなみに自分用にはcrossの手帳用ペンが良さげだったのですが、予算に合わず残念ながら諦めました。デザインは気に入ったんだけどなぁ。最後にロシアのアイスを食べて、機内へ。

IMG_0527.JPG

疲れのせいか、機内ではほとんど寝てました。すやすや。
機内食はチキン。

無事帰国。
入国→荷物チェックもバックパック一つなので何の問題もなく通過。セントレアからまっすぐ帰宅しました。

帰りのミュースカイの中で、日本に初めてきたと思われる男の子が車窓からの風景にテンションあがりまくりで大興奮。家、道、車、建物などすべてが珍しいらしい。ほほえましくてなんだか笑顔になってしまいました(笑)。

おしまい

追記

旅行反省
01.持っていったけど使わなかったもの(使用頻度が思ったより低かったもの)
→nintendo DS 旅の会話帳
→電卓
→虫よけスプレー
→ハンドソープ
→コンビニの袋(現地調達可能でした

02.持っていけばよかったもの
→デジタルカメラの首下げストラップ

03.持っていってよかったもの(思ったよりも使用頻度が高かったもの)
→旅の指さし会話帳
→メモ帳と三色ボールペン
→耳掻き
→コンタクトレンズ

次の旅行の時には気をつけよう。にんにん。
長文読んでくれてありがとう。お疲れ様でした。

台湾旅行記八日目(2008年06月12日)

台湾旅行記八日目(2008年06月12日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
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台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
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台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)
台湾旅行記六日目(2008年06月10日)
台湾旅行記七日目(2008年06月11日)

ホテルの朝食、まだついてないほうがましなくらいの質素なお食事。
なんか天気が悪くなりそうなのに、折りたたみ傘を鞄に入れ忘れたのがこの日の最大の失敗。重慶南路をずっと南下して総督府へ。

入り口は裏側。憲兵さんがマシンガン構えて立ってたけど、観光客が写真を撮ろうとしたらポーズを取ってくれる気安さ。雨が降ってきそうだったのでレインコート着用のせいか、軍隊というより警備会社のような雰囲気。粛錦文さんと入り口でお会いできたので、N川さんの紹介ですと伝えると喜んでくれた。また出口で再会を約して別れる。
他の日本人男性旅行客二人組と一緒に通訳さんと総督府の解説を聞く。
解説員さんによると総督府の六階にはソーラーシステムがあるとのこと。ソーラー完備の国家元首官邸は台湾だけと強調してた。
日本人だと台北-高雄間を開通させた児玉源太郎と「台湾の地で死にたい」といった明石元二郎が有名らしい。
相当の任期は、四年で二期まで。建設は当時280万円、今の35億円に当たる金額がかけられたらしい。
解説員さんのお話はたまに愚痴っぽくなる。台湾の現状に不満があるんだなぁ。
かつては台湾神社もあったらしいが、国民党政権が壊したそうな。台湾の玉山3,952mは新高山と改名。その玉山の緯度がアメリカと同じなので、大東亜戦争の暗号に使われたとのこと。相当の執務室は五階。説明を受け終わり外へでるとスコール。旅行中一度も雨に降られないと思ってたのにここで水が差されました。

近くの軒下で雨宿りしてたら、香港人の旅行者に総督府について尋ねられた。曰く、料金とか開いてる時間とか。
その後、S田さんへのお土産を探しに台北車駅の地下街へ。パイナップル入りのお菓子を試食したら美味しかったのでそれで。伝え方がまずかったのか、六個入りを一箱、と伝えたはずなのに、六個入りが六箱、売られそうになった、危うし。

昆陽駅に着きS田さんに電話。奥さんはバスに乗っておいで、とおっしゃってくれたが、S田さんは自ら迎えにいくといって、わざわざ駅まで迎えにきてくださった、感激。昆陽駅前の交差点の歩道橋の下で待つ。道の向かいには吉野家があったりと、まるで日本。
バスは小さなマイクロバスで、後払い方式でした。金額は一定?
S田さんのご自宅の近くには師範大学があるらしく外国人も多かった。
おうちはプール付き、守衛付き。すげぇ、ブルジョワジーだ。
ご自宅でお料理をいただき、いろんなお話。本の話、台湾と日本の話、博士号の話、中国史のお話(特に三国志)、船舶免許(ライセンスとパーミッション)、ハイクラスな考え方のお話、まず経済的な基盤を作ることから始めなさい、とのお話。原則と例外のお話など。
最後のご住所を教えていただき再会を約して別れました。お土産まで用意していただき感謝感謝。

それから台湾の高級スーパーに案内してもらいました。思ったより綺麗なのは高級住宅街の中にあるから?ミルク高すぎっ。
縁は異なもの味なもの、と言いますが(言うか?)、良くしていただき大変ありがたいことです。日本に戻ったらお礼状出さなきゃ。
バス停まで見送っていただき敬礼。
バス代金、15TWD。

次に昆陽駅から古亭駅へ行き、台湾大学へ。すごく雨足が強く、傘がないと歩けないので近くのお店で傘を購入。100TWD。
台湾大学、国立の大学でさらにトップの大学と言うこともあって立派。校史館とか椰子の木とか整っているよなぁ。
農学部の購買でN川さんと色違いの「台湾大学」とプリントされたTシャツをお土産として購入。このあか抜けなさと分かりやすさがかえっていいのかもしれない。290TWD
学生は日本語はだめだったけど英語が大丈夫だったので意志疎通はできてよかった。
趣味としている各国の大学の学食めぐりだけど、残念ながらセブン-イレブンとか綺麗にパッケージされた学食しか見あたらなかった。もっと泥臭いのがよかったんだけどなぁ。雨も伴ってあまり動く気になれず、がっかり。

古亭駅から新店駅へ行き、新店線完全乗車達成。
次に、七張から小碧(譚のさんずい)駅へ行き、小碧(譚のさんずい)駅線完全乗車達成。

台湾旅行20080612 (16).JPG

台湾旅行20080612 (12).JPG

小碧(譚のさんずい)駅駅のホームで写真を撮っていたら、どうやら入ってはいけないラインを踏み込んでしまったようで、突然赤色回転灯が点灯し、駅員さんがやってきてちょっぴり怒られてしまった。ごめんなさい。小碧(譚のさんずい)駅駅は少しだけ地上で高架あり。感覚としては、北綾瀬駅みたいな感じかなぁ(わっかるかなぁ?)。車両基地もあり。

日本語で日記書きながら日本語の本読んでたら前に座っていた高校生三人組が興味津々で携帯で写真撮ってた(無断で)いや、肖像権とか・・・(笑)

しょうがないので笑って「来来」と言って、一緒に写真を撮ってこっちも証拠を残させてもらいました(笑)。国立新店高中の生徒らしい。携帯電話見せてもらったけど、なんか機能がシンプルでした(電卓が付いているものって向こうで珍しいのか、「ほら、ほら」と何度も強調して見せてくれました)。「いま学校で何流行ってるの?」とか、「最近はまってるもの」とか聞いたりしてました(daughter dayって何?)。代わりに日本で流行ってるものとして「perfume」を教えてあげました(笑)。布教成功です。台北車駅まで一緒に行き、そこでお別れ、楽しかったです。

その後ホテルに一度戻り、荷物をおいてお食事とお買い物。西門の天仁(後で補充)茶でお土産用にお茶のティーパックを購入。135TWDが2セット。
ちょっと日本っぽいものが食べたくなったのでトンカツ屋さんに入って食事。150TWD。こっちではおしゃれな外食なのか、若者率カップル率高し。味はファミレスみたいな感じでそつがない感じ

旅行中歩きすぎたので、なんと靴下が破れてしまっており、新たに靴下購入。100TWD。
それから西門で法輪功の活動をしている人に声をかけられてお話。中国共産党の批判とか弾圧とかのお話。日本の大林組で働いているらしく日本語が上手でびっくりした。
国民党政府になってから活動しにくいだろうなぁ(小柄な女性だったけど今頃大丈夫なのかなぁ。無事をお祈りいたします。
帰り道ファミマでお菓子購入。あと郵便ハガキの自販機も見つけた(でも1,5,10TWD硬貨しか使えないの・・・
しかも、購入したら2.5TWDの切手(ハガキに印刷済み)付きだった。六枚入り。
ホテルへ帰り荷造りをする。不要な衣類や袋などを廃棄。1,000TWD以上余ってしまいそう、ど、どうしよう。

台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
台湾旅行記二日目前半(2008年06月06日)
台湾旅行記二日目後半(2008年06月06日)
台湾旅行記三日目(2008年06月07日)
台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
台湾旅行記四日目後半(2008年06月08日)
台湾旅行記五日目前半(2008年06月09日)
台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

台湾旅行記六日目(2008年06月10日)

07時00分に起床するも二度寝。朝食はバイキング形式だったけど軽く済ませる。今日は一日移動だし。ミルク、パン、スクランブルエッグ、マンゴープリン
チェックアウト後、その足で台南火車駅へ。途中法院の前を通るも時間がなくて諦める、残念。
台南→高雄までは区間車。ぎりぎりに飛び乗ってなんとかセーフ。
11時40分-12時31分
69TWD
ロングシートでシートは堅め。乗客は隣に親子連れ、あと老夫婦とおじいさんなど本当にのんびりしたローカル線。
外の景色見てるとまるで日本に行る気がしてくるから不思議。
台湾という国は一部を除いてはほとんど田舎だなぁ、のんびりはするけど。

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高雄到着、切符購入後駅をうろうろ。
台北以外で初めてエスカレータをみた。流石、台湾第二の都市。
手前の新左営駅。おじいさんが間違えて降りそうになってた。寝ぼけていたらしい。
12時05分-14時38分。高雄→台東行きに乗る。
隣の席にはマクドナルドの袋を持ちバリバリ喰うお姉さん、食後爆睡。香りがきつい。せっかく自強号に乗ったので、自強号の弁当を購入してみる。80TWD。内容はご飯と焼き肉、ソーセージ、ゆで卵、唐揚げ、シシャモ揚げ、白身魚の練り物の揚げ物、昆布巻きといったもの。台湾でのお弁当としてはたぶんおいしくて高級なほうなんだろうけど、日本の駅弁に慣れてると・・・閉口。

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自強号の非電化路線は遅いね、やはり。通路を挟んで隣の家族、旅行にテンションが上がりまくってる。騒がしいなぁ。南州駅から単線に。せっかくなので下車。

台鐵では高鐵と異なり検札もあり。林(潟のつくりにしんにょう)駅で停車中、ごみゴミ集めをする清掃の女性がくる。各車両に飲み水が付くサービスもあり。
屏東線に入ってからは景色はのんびり。北に向かっているので右手は海、左手は山。
15時20分、台東駅-19時00分、花蓮駅
355TWD
関山あたりの車窓にでgiantの工場?かお店発見。
隣に座ったおじさん、フィリピンにあるアメリカの工場で働いていたらしく英語が堪能。花蓮のことをいろいろと教えてくれた。花蓮駅から中信大飯店までタクシーで170TWD。
綺麗なタクシーを選んで乗車したらやはり女性ドライバー。でも運転は・・・怖い。ホテルのフロントは観光ホテルらしくスムーズ。日本語も少し話せるみたいだし。でもかなり大きな規模のホテルの割にはエレベータが二基しかなくて団体と一緒になったから、遅々として上に上がれず。しかも、ホテル自体が郊外にあるためご飯を食べるところが少ない。ちょっと減点。
阿美文化村までのタクシー215TWD。

運転手さん、話は土産物の話(水晶のネックレスとか)、観光の営業トークばかりでうんざり。阿美文化村に入るとお客さんが一人もいない、大丈夫か・・・。700名収容できるらしいステージには自分一人、ぽつーん。かなり広いステージに一人だと不安になる。開始10分くらい前に中国人(?)の団体と日本人の団体がやってきて、ほっとした(笑)。
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トイレのマークは何だか生々しくてちょっと。村自体は何だか廃村みたいな寂れ具合。女性はかなり整った顔(中川さんによると背がかなり高いらしい)。ステージに連れて行かれて一緒に取る写真は幾らくらいなんだろう?気になる。
夕食結局食べるところが見つからず、パン屋さんでパンとどら焼き、コンビニでピザポテトとキリン一番搾りとゆで卵。せ、せつない。

台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

今年一年振り返ろうと思い、ブログを読み直していたら台湾旅行の記録を途中にしていることにいまさらながら気づいてしまった。気づいてしまった以上、書き足さなければ(笑

台湾旅行記五日目後半(2008年06月09日)

注意
ここでの記述は私個人が体験したこと・見たことを個人的につづったものです。
その光景は、偶々の出来事なのか、毎日の日常なのか、一観光客には判断がつきかねます。
もしもこれを元にして台湾旅行を計画するのであれば、必ず裏を取ることをオススメします。
また、文字に関しては出来るだけ繁体字を使うように心がけていますが、やむを得ず簡体字で書いている部分も多いです。

台湾旅行記
台湾旅行記一日目(2008年06月05日)
台湾旅行記二日目前半(2008年06月06日)
台湾旅行記二日目後半(2008年06月06日)
台湾旅行記三日目(2008年06月07日)
台湾旅行記四日目前半(2008年06月08日)
台湾旅行記四日目後半(2008年06月08日)
台湾旅行記五日目前半(2008年06月09日)

10時13分。台湾高速鐵道で台南駅到着。近くにあると思っていたバスは一時間に三本。バスに乗るまではスムーズだったがなんと実際には一時間もかかりました。乗り換え駅というレベルではない。同じ名前の台南駅なのにこれほど距離があるとは・・・。

まず国鉄台南駅にてチケット購入。これがまた一苦労。呂光号に乗ろうとメモを出したのに出てきたのは区間車のチケット?あれれ。価格優先でわざわざ安いほうにしてくれたのかなぁと好意的解釈(この考え方、大事
どうやら区間車と区間快車は同じチケットで乗れるらしい、勉強になるなぁ。教えてくれたのは、待合室で一緒になった日本語を勉強している女の子たち。でも日本語がメタメタで英語のほうが意志疎通がはかれたのはご愛敬。お勉強がんばってね。

11時42分、台南駅発 隆田駅到着
先頭車両でいくつ目で降りるか聞いたら二人組の女の子たちが興味を持って話にきてくれた、フレンドリィだなぁ。ちょっともてた気分でした(壮大な勘違いだけど
その子の一方は去年北海道に観光にきたらしい。日本のどこから来たの?と聞かれたので名古屋と答えるとがっかりしてた。東京じゃなくてごめん(笑
それから香港から来たというバックパッカー三人組と知り合いになりました。阿里山鉄道に行くらしい。いいなぁ。おにぎり食べてた。パワフルさにアジアを感じる。
会話して思ったのが自分の英語でのボキャブラリーの少なさ。もっと伝えたいことがあるのに伝えられないのはもどかしいね。

そんなこんなであっという間に隆田駅到着。

ネットの情報通り確かに小さくて何にもない・・・。ただタクシーは拾えそうで安心。とりあえず昼飯を食べる場所を探す。冷房が利いてそうなお店は日式照焼のお店。95元。相場で考えると結構高い?

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ご飯、魯肉少し、香草入りの大根のお吸い物、甘いお茶、鶏の照り焼きにかつおぶし、茄子の炒め物、豆腐にベーコンをかけたもの豆。高校生がたくさんいたのが意外。ファミリーマートでミネラルウォーター20元。

タクシーで八田與一さんの作った鳥山頭水庫へ向かう。600元で往復と案内で交渉してオッケー。ところが運転する運ちゃんは日本語はおろか、英語すらダメ。どうしようかと思ったけど、何度も話しかけているうちに心を開いてくれたのか、色々と気を遣ってくれるようになった。嬉しい。田圃を見せてくれたり、沼(くわい?)にわざわざ寄ってくれたりと。

入場料金200元に加えてタクシー入場料の50元を支払ってようやく入
場。思ったよりでかくて広い。タクシーでないと回れないくらい広いし、記念館では日本語のDVDも流してくれたりとかなりよい待遇・・・というよりここまで来る日本人珍しいのか?
DVDによると、このあたりは1920年ごろまでは嘉南平野は雨次第で収穫の変わる土地だったらしい。それを灌漑しようとしたらしい。オランダ統治下にも挑戦したけど失敗。当時を知る人々の話だと、「八田與一さんはいつも現場で指揮を執っていたらしい」。西口と東口をつなぐ水路は煉瓦とコンクリ造り。当時のものが残っているのはすごいこと。水の分配の制度も優秀だったらしい。学校建設や工場も一緒に併設され、人望もあったらしい。慰霊祭には今でも遺族が来るとのこと。そういやニュースで見たことあるかも。ずいぶん上の先輩だったらしいけど。
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台南への帰りも区間車で帰宅。あまりに疲れていたようでついウトウトしてしまったら(危険!)、電車に乗ったときに時間を聞いた女の子が起こしてくれた、いい人だ、嬉しい。

台南駅で預けたコインロッカーが小銭の受付が限定されていて取り出すのに一苦労。受け入れ可能のコインが1,5,10TWDのみで注意。initial 10 TWD + 30 TWD
ロック方式は鍵ではなく数字コードで六桁。ものは結構古いのに方式は新しいんだなぁ。分割の支払いも可能みたいで最初に入れたコインと後でのコインとの複数も可能だった。
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その後荷物を出してホテルへ。

台南の市街地からあまり距離が離れていないはずなんだけど結構歩いた気がする。途中にホテルと間違えてカジノ(合法だよね?)に入っておねえちゃんに結構な剣幕で追い出されたり(笑)。

プユマホテルにチェックイン。大きなホテルかと思ったら入り口は狭くなかなかわからず。タクシーの運ちゃんも知らなかったし。ネット環境あり。綺麗で広く、台湾旅行の中でもっともいい環境でした。テレビのチャンネルがたくさんあり、日本のドラマ専用のチャンネルも。やっていたのは「君の名は」。懐かしい。

洗濯やスーツケースの掃除をした後は、台南市内観光。赤門などオランダ統治下時代のものを中心に見て回る。アジアなのに西洋風が残っているのは貴重。「法院」と呼ばれる裁判所を発見。法律勉強してるからと言って無理矢理見学させてといっても守衛さんにつまみ出された。
なんとか英語で交渉したら「明日の昼間なら英語が分かる人がいるから見せてやってもいいぜ、ジャパニーズ」って感じのおじさん登場。何とかなるもんだね(笑)。

台南にて大戸屋発見。街のすぐ外が空港だから騒音がすごい。日系ビジネスマンが多い(気のせい?
ふらふら歩いてたらいろんなお店があった。結婚式関係のお店がたくさん固まった一区画もあったりと不思議。道で偶然会った自転車にのったおじいさん、日本語うまい。全然客引きっぽくないのでおいしいお店知りませんか?と聞いてみたら、橋北屋なる丼屋さんを教えてもらう。名物は親子丼。いや、ふつうに旨いよ。なんとボンカレーの箱発見。こんな場所で(笑)
親子丼80TWD ビール40TWD

帰りのタクシー、トムさんに名刺もらう。85TWD
ゲーセン発見、太鼓の達人とかあるし(笑)。夕方友人のN君に電話。携帯で国際電話か・・・すごい時代になったものだ。

つづく

『台湾 したたかな隣人』

『台湾 したたかな隣人』
集英社
酒井亨

読後の感想
やや民進党よりの記述が多い点を割り引いても、今の台湾の政治が分かりやすくまとめられている本でした。
特に、政党の成り立ちまで立ち戻った記述は、理解の大きな手助けになりました。
全体としての視点が、市民の立場より政治を見るという見方なのは好印象。
視点が変わるとこうも評価が変わることを教えてくれました。

印象的なくだり
実際、台湾人と仕事をしていると、イベントを計画するときなど、頻繁に日程を大幅に変えたりしている。
しかもその場になっても順序を変えたり、司会者を変えたりする。
最初は閉口したものだが、それは一方では臨機応変で危機にも対処しやすいということでもある。
民進党がたびたび失敗に直面してきたのに、挫折せずに、すぐに気を取りなおし、態勢を立てなおすことができるのは、そうした臨機応変さにあるともいえる(P041-042)。

台湾の民主化の原動力となったのは、活発な社会運動と市民社会だったと考える。
そうした基盤があったからこそ、台湾は順調に民主化を進めることが可能だったのであり、民進党を与党に押し上げることにもなったのである(P050)。

独裁者・蒋経国の穏便な対応については、大局にたったリベラルなものと評価する見方がどういうわけか日本にはあるが、それは見当違いというものだろう。
背景には、環境保護、人権擁護運動など市民社会側の攻勢が、もはや独裁政権の力では抑えつけることができなくなっていた、という情勢があったのである(P080)。

「総統は陳水扁、立法委員は国民党」という人がかなりいるということは、「ねじれ」や「一貫性のなさ」にもみえる。
だが、実際にはそうではない。
要するに、国民党が「中国国民党」であるのは中央本部や台北市だけの話で、一皮剥けば、つまり中南部の地方基層レベルでは国民党もただの地元密着型の地方派閥の連合体でしかない(P148)。

台湾の法制度では地方自治体の権限はそれほど強くはない。
台湾の「県」というのは日本の県と同格ではなく、日本の町村ほどの権限もない。
だから、県レベルで「両岸関係」は争点にもならないし、考えられもしないのである(P161)。

そもそも「台湾は独立国家ではなく、潜在的に中国のもの」という「一つの中国論」はもともと米国が考案したものであって、中国側から提案したものではない。
台湾が民主化して中国と異なる国家として動いている現在でも、米国が時代遅れのこの論に固執するのは、米国の対中戦略と関係がある。
米国は中国全体を民主化して、親米政権にすることを狙っている。
そのために台湾の独立を認めず、曖昧な状態にすることで、中国を米国との交渉につなぎとめておくことができる。
また台湾の地位が曖昧であれば、中台間で緊張が起こり、米国は台湾に武器を売りつけて稼ぐこともできるし、中国に併合されたくない台湾は米国の言うことを聞かざるをえない。
まさに一石二鳥である。
逆に台湾の地位を明確に独立国家と認めた場合、中台の緊張はなくなり、台湾は必ずしも米国の言いなりになる必要もなくなる。
米国にとっては台湾は曖昧にしておくに限るのだ(P180-181)。

戦後、日本は五一年署名のサンフランシスコ平和条約によって台湾を正式に「放棄」した。
同条約には、台湾の帰属先は明記されておらず、台湾の地位は未定となっている(P194)。