葉書の受取拒否方法

 以前Tくんと話した葉書の受取拒否の方法について。

▼郵便物の受け取り拒否
 不要なダイレクトメール等、郵便物を受け取りたくない時には、「受取拒否」をする事ができます。紙に「受取拒否」、氏名、住所を書いて印鑑を押し、郵便物に貼って郵便局に持って行くかポストに投函して下さい。
 受け取り拒否された郵便物は、郵便局から差出人に戻されます。

 受け取り拒否が出来る郵便物は、開封前の郵便物だけです!開けてしまってからでは受け取り拒否できませんので、お間違えの無いように。
 はがきについては、封書と同じ方法で「受取拒否」と掲示してポストに投函すればO.K.です。ただしシークレットはがき(裏面がシールになっていて、シールをはがして中身を読むはがき)の場合、シールをはがして開封してしまったら受取拒否はできませんので、ご注意を。

引用元

 主に、ダイレクトメールに対して使うことが多いのかと。
 知り合いに出した葉書が受け取り拒否で返ってきたら…凹むね。

実践!すぐ役立つ「勉強の技術」―頭のいい社会人の「読む」「選ぶ」「覚える」「考える」

実践!すぐ役立つ「勉強の技術」―頭のいい社会人の「読む」「選ぶ」「覚える」「考える」

三笠書房
高島徹治

読後の感想
 「勉強の技術」と銘打ちながら、あまり普遍的な勉強方法については触れず、だらだらと書かれています。

 久しぶりに読んだハズレの本。

 一貫した論旨がないので、その場を取り繕った文章が散見されます。

 後悔したいならオススメ。

気になったくだり

 論争中に、「キミ、それは常識だよ」と攻撃されても、いっこうに恐れることはないし、黙って認めてしまう必要もないのだ。
 なぜなら、まさに、危機こそは(反撃の)好機。「えっ、どうしてそれが正しいの」「なぜなの」と、常識の根拠を追及すればよい(P219)。

 このくだりはまさに「相手が答えられないということ」を前提としており、相手が答えられたときの自らが被る計り知れないダメージについてはいっさい触れられていない。
 そこまで考えているのかすら怪しい。
 筆者はこの後に、常識が本当に常識かどうか、じっくり考える必要(そして解決法)について述べているにもかかわらず。
 こんな付け焼刃の技術が、果たして役に立つのか疑問。

この本どう活用するか
 内容についてはどの本にも書いてあることしかありませんので、特に活用できません。

みっ解3

 そもそもblogを始めたきっかけは、「mixiの日記は書いた内容を検索することができない」ので不便だったからです。

 というわけで、ゆくゆくはmixiの日記のログを移さないといけないなぁと思っていたわけですが、手作業でやるのは大変面倒。さらに記録を移すだけという後ろ向きで割に合わない作業なので、出来るだけ機械化・合理化したいと考えていました。

 そして、見つけたのがフリーソフト「みっ解3」。リリースされてからやや時間が経っていますが、mixiのほうの仕様は変更されていないためちゃんと使えました。

 これで、ログを保存したので、時間を見つけてチョコチョコと過去に遡り補完をしていきたいと思っています。
 といってもSNSで書いた文章なので、多少修正は必要なんですが…。

 さっき、blogを運営元(サーバ)に消されたというエントリを見て、このblogも定期的にバックアップを取っておかないとなぁ、と思う次第であります。簡単に複製ができるものって、こういう事態には強いよなぁ。

量の延長線上に質の向上がある

 私たちの可処分時間は、
 週に 100時間ていどしかありません。
 その、時間資源という何よりも大切な資源を、
 適正に配分し、
 夢や目標の達成に必要なことには
 ある一定以上の時間を投下することが大事です。

■まとまった時間を投下したうえで、
 その次の段階として、
 時間当たりの精度や、生産性の向上を図っていくことで
 さらに目標達成の速度が高まります。

■ところが、
 時間資源はほとんど(あるいは全く)投下せずに、
 精度の向上だけを求めるケースも散見されます。
 ほんとうは、
 【 量の延長線上に質の向上がある 】
 のであって、
 量を積み重ねないのに質が向上するはずはありません。

 【 量を投入することで初めて、
質の微調整をしていくことも可能になってくる】
 のです。

■たとえば、世界中の人が高く評価する
 トヨタの生産方式も、
 カイゼンのカルチャーと、
 圧倒的な行動を伴う微調整の上に成り立っています。
 経営者、管理者、現場で作業に携わる人に至るまで、
 膨大な投下時間と、たえまないカイゼンの中で、
 質の向上がなされているわけです。

■たまにブラッと管理職の人が出向いて思いついたように
 「改善しろ」と言ってみたり、
 現場の人が「もっと生産性を向上させたいなあ」と
 漠然と思っているだけで改善には至らないでしょう。

 「想い」と、投下した時間の「量」と、
 そのベクトルが掛け算されたところに向上があるのですから、
 【 成功したい! という「想い」を持った上で、量をこなす 】
 ことが大事。

■そのうえで質を追求していくことで、
 細かなノウハウの集積ができてくるのです。
 【 想い × 量 】
 で、目標が達成されていくのですから、
 順番を間違えないようにしなければなりません。

 いつもは割と読み飛ばす『平成・進化論』というメルマガですが、たまにいい言葉にぶつかります。

 このメルマガのすごいところは、とにかく量が半端ではないことです。これだけいろんなこと書いてあれば、どっかに一個くらい必ず「おっ」と思う言葉に出会うと思います。
 ご参考までに。

Too many cooks spoil the broth

 多数決について。
 子どもの頃から学級会や選挙など、多数決に慣れ親しみすぎているせいか、多数決について根本的な理解が不十分な気がする。

 多数決という決議方法が正しく機能するためには、幾つかの条件がある。その条件を満たさないで多数決をすると、却って悲惨な状況が多数決から生じてしまう。
 洋の東西を問わず、独裁政権は大抵、高い投票率による選挙により選出されているのは、多数決の方法を(誤って)機能させているからだと思われる(当独裁政権にとっては「正しく」機能しているんだろうけど)。

 まず、決議する内容が一義的に真偽が定まらないこと。
 科学や物理学などの自然界の法則について、多数決がそぐわないのは、正しいものが一つに定まるからである。
 逆に多数決に親しむものは、どちらも正解と為りうるもの。ただ少数派を(積極的に)侵害するようなものも性質的になじまないと思う。

 そして、頭数の価値が平等であること。そうじゃないと、重みの違う少数によって多数を覆すことが出来てしまうから。

 後は、組織とか団体が多数決を望んでいること。望んでいない場合は、衆愚政治になってしまう。多くの構成員が望んでいない場合はどうすべきか?とても難しい問題であるけど、個人的には哲人政治(byプラトン)が正しいと思う。

 多数決・民主主義が素晴らしいなんてのは、幻想に過ぎないのであって、決定方法・政治形態としても愚かであると考えてます。
 じゃあ、なんで多くの国は民主制を採り、多数決によって決議しているのか?

 それは、他の方法よりも、まだ「まし」だからでしょう(笑

 つまり、多数決は「正しい」のではなく、他の方法よりも「誤りが少ない」ということ。