KYという病

 最近KYなる言葉が巷ではやっているらしいです。
 KYというのは「空気が読めない」の意で、その状況下で不適切な行為をする、もしくは適切な行為をしない意味だそうです(朝日新聞とは関係ないのかなぁ)。

 電車や喫茶店などでは、そういったKYなる単語が入った会話を聞くことがあり、ふと思ったことがあります。

 それは、自分の理解できないことを、相手に責任転嫁しているだけではないのか、と。

 慮(おもんばか)る、なんて言葉はもう死語なのかもしれませんが、今一度相手の行動の原因、理由を考えてみてもいいんじゃないでしょうか。何も、理解できない原因が、常に相手にあるわけではあるまいて。

やられた~

 なぜか去年立てた計画が、大幅に遅れています。なぜなんでしょう(年末年始だらだらしすぎたから

 そんなわけで、今日も今日とて図書館でお勉強してます。いつもなら22時くらいにおとなしく帰るのですが、今日は「あと五分あれば終わる…」ってところだったので、閉館のベル(チャイムか?)とアナウンス(意訳、そろそろお前ら帰れや)を聞きながら焦りつつ、ペンを走らせてました。

 職員の人が、机とか椅子とか整理しつつ、チラ見してくるなか、「ごめんなさ~い」と思いながら、しつこく勉強して、なんとか目処がついて、切り上げて、学習室を出ると…

 そこは、漆黒の闇に包まれていました…。

 電気消えてるし(苦笑

 それにしても、真っ暗な図書館って怖いね。
 

本は読みたし、時間は惜しし

 元ネタは「河豚は喰いたし命は惜しし」。

 本は読みたいんだけど、あんまり時間がない。睡眠時間を削って読むと、日常生活に支障をきたしそう。
 特に小説は夜読むとダメだね。

2007年の反省と目標、本について

 過去の日記でも書いたとおり、月に一冊目標を決めて読み進めたいと思っています。現在読んでいるのは太宰治の『人間失格』ですが、このペースだと、今日明日中に読み終えそうなので、次に着手したいと思っています。

 …というか、書かなくちゃいけない書評が数冊たまっていて、そっちが優先事項な気がしないでもない(←その通り

年賀状の反省の件

 今年の年賀状についての反省点。

 1.転居によって返ってきた年賀状3通。
 →そのうち、不明は1通、これはやむなし。
 →ところが、残り2通は転居先知ってた…。去年の年賀状見たら「引っ越しました」って書いてあるし…、マヌケだ、自分。

 この失敗をどう生かすか
 →今年、戴いた年賀状は、抽選日(1月27日)に、当否を確認した後、住所録チェックしながら、保管場所へ移動。

 2.元旦に届かないものもあったらしい。
 →25日までに投函したんだけどなぁ…。ふぅむ。
 →やむなし。

 この失敗をどう生かすか
 今年は天皇誕生日前には投函しよう。

 3.差出人の記載について
 いつも宛名は手書きで書いているのだが、『日経ビジネスAssocie』01/15日号に大好きな外山滋比古さんが、FEATURE「ことばの作法」でこういったことを書いていた。

 多くの年賀状でいちばんいけないのは、差出人の自著のないこと。自分の名前を印字にしてほっておくのは通信の基本にかかわる。差出人の自著がなければ私信ではなくなることを知らないのはあまり知的ではない。

 そう言うと、年賀状はハガキで私信ではないから自著の必要はないのだという反論が出るかもしれない。たしかに、年賀状は私信ではないが、人間らしいふれ合いがなくても、そもそも、あいさつを交わす意味がない、活字ではあたたか味が伝わりにくい。

 印刷したハガキでも、肉筆のサインをすることは簡単にできる。差出人の所をあけておけばよい。住所と電話番号の間にやや広い空欄をつくるのである。同居の家族も共有できて便利である(私は五十年来、そういう年賀状を印刷している。見倣う人があってほしいが、ほとんど相手にされない)。

(強調はカタゲシダクフ)

 これを読んで、確かに差出人が印刷なのは片手落ちだなぁ、としみじみと反省。今まで気づかなかった己の不明を恥じる。

 この失敗をどう生かすか
 これからの「通信は、必ず自著で」というルールを作る。
 習慣化すれば、そんなに難しいものではない。

 この外山さんのコラムには、とてもいいことが書いてあったので併せて引用。

 先年、ある人から、遅くなって欠礼のあいさつがきた。「……当方の賀状は控えますが、いただくのはありがたくお受けします。にぎやかなことの好きだった故人も喜ぶでしょう」に感心した。
 工夫をすれば、寒寒しいあいさつにも心が通うようになる。

 この人の言語についての認識はとっても好き。修辞についての認識も多くの部分で共感がもてます。
 もっと自分の母国語を大事にしなきゃ。

写真が好きだった頃

 そういえば、自分が写真を撮るのが好きだった頃、やたらめったら風景の写真ばっかり撮っていた。
 人づきあいが余り好きではなかった、というのが大きな理由ではあるが、最近自分自身では気づかなかった理由に、ふと気がついた。

 それは

 「風景は文句を言わない(笑)」ということ。

 同じことは鉄道の車両にも当てはまるような(笑

 何しろ人間以外は権利を主張しないので大変気楽です。撮るほうとしては…