『のはなしさん』

伊集院 光
宝島社

読後の感想
感想というよりも、僕の伊集院さんへの愛を語る文章になってしまいそうで怖い、なんて思いつつ。
思えばニッポン放送がちゃんと入らない地方で、雑音の中、かすかに聞こえる「Oh!デカナイト」を聞き出した頃から、僕の人生の基本姿勢が形成されてきているような気がします。
その後、電気GROOVE、浅草キッド、(あと大槻ケンヂとか)と、後世に「バカばっかりのニッポン放送」の時代を満喫してきました。
そして、東京に出てきてから聞き始めた「深夜の馬鹿力」。
当時はこんなに長寿番組になるとは思っていなかったなぁ。

と、予想通り話題がそれてるけど、本のお話。
一つ確信したのは、僕は敬愛する人物の話ならいつまででも聞いていたい、読んでいたいと思うタイプであるということ。
読み進めている時間は本当に幸福でした。

その中でもきっと誰しもが思った新規収録のお話。
五代目三遊亭圓楽師匠が亡くなってのお話はホロリときました。
偶然にもこれを読んでいたときに、自称5代目立川談志師匠も亡くなり、
伊集院さんは今もこんな気持ちなんだろうかと胸を馳せました、とさ。

ほらね、好きすぎてまともな感想になってません、なのでおしまい。

『関東のしきたり関西のしきたり』

青春出版社

読後の感想
出張帰りに新幹線のキオスクでついでに購入。
ケンミンショーなどの番組が好きな方は是非どうぞ。
早ければ30分くらいでサクサク読めます。
2011年出版と言うことはつい最近。この手の本が消えないのは、それなりに需要があるからなんだろうなぁとどうでもいいことを考えてしまいました。

印象的なくだり
関東で使われている畳は「江戸間(田舎間)といい、畳一枚のサイズは176センチ×88センチ。一方の関西の畳は「京間(本間とも)」で、サイズは191センチ×95.5センチとされている。関東の江戸間よりも大きめ。つまり、関東の6畳が関西では約5畳の広さとなるわけだ。
(中略)
畳が使われるようになったのは平安時代の頃のことだが、当時は寸法もまちまちだった。その後、寸法を統一することになり、規格が設定された。それが、今の「京間」サイズ。当時、区分されていた平安京の町の一画を六等分にした寸法を基準に、決められたという。
さらに、時代は進んで江戸時代に入ると、江戸の町に人口が集中。江戸では、家の需要が急激に増えたのだ。
そこで、できるだけ早く家が建てられるよう、柱と柱の間の寸法が統一されるようになり、それにぴったりはまるように畳一畳の寸法も変えられたのだ。これが「江戸間」サイズというわけである。
ちなみに名古屋を中心とした中京地方では、畳は江戸間タイプでも京間タイプでもなく、「中京間」という182センチ×91センチの畳が主流(P090)。

ボーナスステージに突入します

日本でのボーナスって、元々は住み込みで商家に働く使用人に、年に二回ほど「お仕着せ」といって、着物を支給したことが始まりなんですよ(挨拶

というわけで、(多分)落語で得た知識を披露してこんばんわ。

人ならぬ我が身にもお仕着せ的なものがいただけるということで
留めなく流れる物欲を解放しようかと目論んでおります。
Amazonには「欲しいものリスト」なる不便なものがありまして
一過性の物欲を見える化して、後で買わせようとする魂胆なのですが
まんまとはまりながら、うっとりとリストを眺めております。

目下のところ、最右翼におわしますのが他ならぬpomeraDM100。
ネットでの評判も思ったよりも(失礼)上々なので
どうしようかなぁと考えております(意訳;買う気です)。
なぜか発売一週間でAmazonでは29%オフ(37,800円→27,000円に!)に
なっていますので、この暴落ぶりがやや気になるところですが
pomeraの場合は単体で動くものなので、本体さえ手に入れてしまえば
サードパーティが無くなってもそれほど影響はないと思われます。

そして、最右翼に追随しているのがNintendo 3DS。
何台目だよ?と突っ込まれそうですが、欲しいのでしょうがないです。
こちらはソフトが出た(意訳;マリオカートがやりたい)ので
もう一つの僕なりのキラーコンテンツが出たら買います(意訳;ファミコンウォーズを!)。

そんなわけで取らぬたぬきの皮算用で、お茶を濁すあたりで
師走のせわしなさを出してみました。

おしまい

追記
あ、現在使っているpomeraDM20バイソンブラウンですが、
欲しい方がいらっしゃれば安価にてお譲りします。
キードードシールの一部(ホームポジションと母音部分)が
若干剥げてますが動作には問題ありません。
箱付き、保証期間切れ、外傷なしです。
詳細が聞きたい方はコメント欄から、もしくはメルミィです。
twitter、facebook、mixi等どれでもよいです。

『メッシュ すべてのビジネスは〈シェア〉になる』

ちなみにFREEの感想はこちら

リサ・ ガンスキー
徳間書店

読後の感想
メッシュ、それは網の目のようなイメージでしょうか。
それまで点と点、個と個を結んでいたものが、情報の伝達(具体的にはインターネット)によって、複数のものと接続できるようになりました。
脳のシナプス結合や網のように見えるため、このビジネスモデルを「メッシュ」と呼ぶようです。

本書はメッシュについて書かれている、といいうよりもむしろ「既存のビジネスがいかに将来がないか」について書かれているように感じました。
しかも、薄い。
いつ本題に入るのかなぁと思ったら、終わっちゃいました(笑)

内容としては、時代が変わるに従って消費者の意識も変わり、もう消費者はメッシュの時代だよ(だからビジネスが今までと同じだったら取り残されちゃうよ)というメッセージが形を変えてありとあらゆる場所に顔を出すので、既存のビジネスモデルに従事している人はちょっと心がせつない気分になることでしょう(というかなりました

というわけでメッシュ。

「フリー」「シェア」の次はメッシュ、と言われているようですが、どちらかというと「シェア」にビジネスの視点を足した(だけ)ような感じの本です。
これから起業しようと思っている人には、アイデアの宝庫かもしれませんが、それ以外の人(僕も含めて)には、危機感を煽る印象が強いような気がします。

例えば、本書の中で触れられているのは、西欧の人々は、すぐにはメッシュにならない(つまり既存の価値観を引きずりながら、メッシュになっていくというくだり。
具体的には手紙→電報→取り次ぎ電話→固定電話→携帯電話みたいな感じ)。
しかし、西欧以外の人々はネットがつながることによって、いきなり携帯電話を持ち始める。つまり、既存の価値観を吹っ飛ばすことによって、メッシュをより使いこなすであろう、と。いやぁ、煽りすぎではないでしょうかね。

ちょいちょいでてくる、ややミスリードなポジショントークはさておきアメリカ(の最先端の様子)はこんな感じなのかなぁと、ある意味のんびり読み進めました。「フリー」は身近だったのに「メッシュ」は今一つ、と感じたのは、自分が直接的にその利益を享受していないからでしょうかね。

あと関係ないけど、ワシントン州にワラワラっていう地名があるのが笑った。
モンテローザの関係者の方におきましては、ぜひ「居酒屋笑笑 ワラワラ店」を計画していただきたいな、と思いましたとさ。

というわけでいまいちでした(本もレビューも)。

印象的なくだり
ニューヨークを憧れの大都会にしてるのは、人々が利用できるシェア・プラットフォームがたくさんあるからだ。公共のものもあれば、民間ビジネスもある。
そもそも電話線、ワイヤレスネットワーク、道路、公園、美術館やニューヨーク名物の消防車だって全部シェア・プラットフォームではないか(P010)。

メッシュ・ビジネスを展開している企業は、モバイルネットワーク、GPSなどの位置検索機能、ウェブとソーシャルネットワークの普及、顧客の購買姿勢の変化、そして歴史的に証明されているシェア・プラットフォームの利点を十分に理解し、賢く利用している(P016)。

基本的に、メッシュはネットワーク対応のシェアリングを基盤に置くーモノやサービスを所有するためではなく、モノやサービスにアクセスする手段を提供するビジネスを指す。戦略の中核は、同じ商品やサービスをいかに多くの回数「売る」か、ということにある(P016)。

サンフランシスコからワシントン州のワラワラに家族とともに引っ越した友人がいる。引っ越すときに、九つのコンテナに家財道具をおさめて倉庫会社に預けた。
引っ越しから数ヶ月後、彼女は私に電話してきて聞いた。「ねえ、前の私の言えに何があったか思い出せる?」。彼女は倉庫に預けた家財道具のほとんどを思い出せないそうで、今新しい言えにあるものだけで十分足りているのだという。結局ワラワラの家に取り寄せた荷物は、コンテナ二つ分だけだった。ついこの間まで大事に思っていたモノが、実は不用品だったということに気づいたのだという(P113)。

レジで支払った金額が必ずしもそのモノの心の価格ではないことにも消費者は気づき始めた。ガソリンをがぶ飲みする車や維持費が膨大にかかる五○○平米の家は、売りに出したときに購入価格を下回る。この五年間で大きな家は、その半分の広さしかなくても太陽光と地熱発電を備え、暖冷房効率を高める素材でつくられたエコ仕様の家と価格面で太刀打ちできなくなった(P117)。

もちろん経済における所有型モデルがすぐさま過去のものになってしまうわけではない。西欧の人々がみんな家を売って修行僧のようにモノを持たない暮らしをするようになるだろう、と私は言っていない。またそうすべきではない。私たちはやはりPC、携帯電話や新しいジーンズを自分で持ちたい。だが、西欧以外の市場では、フィルムを入れるカメラを飛び越えてデジタルカメラを、固定電話を持たずに携帯電話を持つようになった人々が大勢いて、そういう人たちは必要なモノやサービスに簡便にアクセスするための手段の選択肢を私たちより多く持つかもしれない(P118)。

メッシュ・ビジネスの先駆者には、もう一つ考慮しなくてはならないことがある。有形なモノを取り扱うことが多いため、ウェブサイトを変えるようには簡単に取り扱うものに変更を加えられないという点だ(P237)。

最近一五年間に私と仕事をしたことがある人は、もう聞き飽きただろが、私のモットーは「枠を決め、質を高め、規模を拡大する」である。メッシュであろうとなかろうと、どんなビジネスにおいても、まずは市場と、提供するモノの特徴を決定する必要がある。最初は数人の利用者を相手に仕事を始め、それからビジネスの内容やアプローチ法やビジネスモデルを磨いて向上させる。他人が自分のビジネスをどう見ているか、何と比較しているか、商品にどれくらいの価値を見い出しているか(あるいは価値をまったく感じていないか)、どんな改善を求めているかを知る(P238)。

メッシュを利用しようという顧客が気にしているのは、実は価格よりも保険の適用範囲のほうかもしれない(P240)。

『A4 1枚で「いま、やるべきこと」に気づく なかづか日報』

中司 祉岐
経済界

読後の感想
たまたまある人から毎日書く日報が負担でしょうがないという話を聴き、気になっていた日報。多くの人がイヤイヤ書いているであろう日報を、せっかく書くなら活用できるアドバイスの足しになれば、と思い読み始めたのがきっかけでした。

見える化、選択と集中、気付きの記録、手書きによる意識の刷り込み、と書かれてる内容は割とどこでもあるものでしたが、ただ一つこの作者しか出来ないことが書かれていました。

それは、日報の添削。

例示として、幾つ日報が掲載されていたのですが、その中にコンサルタントとして著者が添削(というかコメント)をしているのでず、それが非常に的確かつ優しい。

今まで日報コンサルタントとして、成果をあげてきた、との事でしたが、
実は肝なのは日報よりも著者の中司さんの力では?と思う位でした。
(と、書いてしまうと「日報」本にならないので、その形では売らないだろうけどねw

ともあれ、使い古されたツールである日報を、他人のために、報告のために、から、「自分のために」と再定義して売り出して本にしてしまうあたり、そういった才覚は見習いたいと思いました。

おしまい

印象的なくだり
このころの彼の言葉で印象深いのは、
「日報に数字を書くことで、毎日がクイズみたいになったよ」
ということです。
あけてもくれても数字と向き合っているうちに、彼は数字が語り出す「?」に耳を傾けるようになったのです。もの言わぬ数字から販促策や改善点を探し出し、考えるようになったということで、それを彼は「クイズを解くようだ」と表現したのです。目の前の商売に、楽しみを覚えるようになった証拠でした(P096)。

業績の悪い経営者や営業マンほど数字を敬遠しがちですが、数字を嫌わないでください。数字はあなたに、いちばんいま差し迫った課題を教えてくれる、大きな味方ですから。日報を書き続ければ必ず数字が好きになります(P098)。

行動の「意味」を言えなければ、「行動していない」と同じですよ!(P099)。

私たちの行動には、必ずといってよいほど、改善点があり、同じくらいプラス面があるのです。ただ、それを知るためには、思いつきやひらめきに頼ってはムリです。詳細に、正確に、毎日の行動を書き記し、比較検討するところからしか見出すことはできません(P115)。

お客様を訪ねる際に使う道路状況を調べました。そしたら店を出たら、車はすべて左回りでお客様を訪問できるようにアポをとるようにしたのです。
車で回るときに左回りをすれば、右折の際によくある対向車に邪魔されることがないため、スムーズに移動できます。
実際に動いてみると、この移動は左回りの渦巻き状になりました。面白半分で、「渦巻き大作戦」と名づけたものです。でも、これによってほとんどジュウタン爆撃のように、そのエリア内のお客様を訪問できるようになったのです
(P131)。

ひどい現実でも、知らないよりは知っていたほうがいいに決まってます。現実を知らなければ落ち続けるだけで救いはありませんが、正確に知れば、そのときは痛みを感じるにせよ、快方に向かう手立てがすぐに考えれます(P153)。

それぞれの案件ごとに部門化して、投入すべき人材と経営資源、売上げ目標を部門ごとに細分化しました。その上で、日報では、目標来店数と実際の訪問数、契約率を毎日書かせるよう、項目に加えたのです。なかには、数字まで毎日書かせる意味があるのかと疑問に思う方もいるかもしれません。
しかし、私に言わせると、毎日細かい数字を書くことに意義があるのです。昨日からまったく売上げが上がっていなかったら、昨日と同じ数字を書かざるを得ません。筆が進まないのでしょうが、だからこそ、明日はがんばらなければという気持ちになるのです(P240)。