V字回復の経営

V字回復の経営
日本経済新聞社
三枝匡

読後の感想
 実話をもとにした企業建て直しのドラマです。
 こういった組織には属したことはないですが、ところどころどのような組織にも生じている症状が出てきて、「あれが問題の一因だったのか」と思いながら読めました。
 実話を基にしているせいか、細部の作りこみも細かく、引き込まれるように一気に読めました。

印象的なくだり

危機感を持ちクールに問題に切り込もうとする人のほうが、現場からは嫌われていた。
トップが社内の人望を集め、周囲の役員やスタッフが批判される構図は、それ自体が病気の現象である。
トップが自らハンズオン(現場主義)の経営スタイルをとらない限り、組織の危機感を保つことはできない。
しかしそうなれば、トップが温かな人気者であり続けることはない(P026)。

「同じ人々が、同じ会社で、同じような行動パターンを続けていて、果たして会社を変えることが可能なのか」という疑問である。
常識的にはこの答えは「ノー(無理)」である
(P037)。

重要なことだが、スターやエリート層のいない組織で変革は絶対に起きない。
エリートとは「選ばれた者」というよりも、「集団への責任を自覚した者たち」と解すべきなのだ(P038)。

改革者が有効な手を打つために第一歩は「事実の把握」だ。
自分で組織末端を歩き回り、「ハンズオン」つまり自らの手で現場の細目に触れて事実を確かめなければならない(P041)。

変革の第一歩は、まず眼前の事実を事実として認識すること、異なる見解や多様な価値観を表に出してその違いを認め合うことだ。
そのためには、現実と向き合う心を持たなければならない(P112)。

手作りの椅子をまるごと一つずつ組み立て、それを自分で売った職人は、自分の作った椅子で顧客が満足してくれたかどうかに敏感だ。
お客に嫌われたら、その痛みは自分の痛みでもある。
そこで職人は技術を磨き、モダンな椅子のデザインを自分で工夫し、商品に新しい感性を入れようと自分で努力する。
しかし椅子の世界にもアダム・スミスの分業論が導入され、工場では毎日、椅子の「脚」だけしか作らない職人がいるようになった。
彼らは自分の作った脚が他の職人の作った部品とピタリと合うように、会社の決めた部品規格や品質基準に組織ぐるみで従うことを求められた。
人が機械のように働くことが重要になった。そうなると個人はモノ作りの楽しさから遠ざかってしまう。
また顧客の不満を自分の痛みとして感じ取る度合いも低くなる。
完成した椅子がいくらで売れるかよりも、自分は賃金されもらえればいいという人が増える
(P133)。

人々に「強烈な反省論」を迫るには、徹底的な事実・データに基づく追い込みが不可欠(P206)。

一冊の手帳で夢は必ずかなう

一冊の手帳で夢は必ずかなう – なりたい自分になるシンプルな方法
かんき出版
熊谷正寿

読後の感想

 手帳の本というよりも、手帳という道具を通じての半自伝的な本です。
 また具体的な方法まで落とし込んで書かれているので、この本を読んでやる気があれば即、実行に移すことが出来ます。
 多分にもれず自分もファイロファックスを買ってしまいました。
 ただ少しだけ平易な文で書かれすぎており、深く考える部分が少ない印象もあります。

印象的なくだり

夢をかなえる方法の一つ、それは、手帳に書くことです。手帳に、自分の夢を書き込むのです。
将来の目標、やりたいこと、人生の計画、すべて手帳に書き込むのです。そして、その手帳を常に持ち歩くのです(P016)。

手帳を使って夢や人生をマネジメントするには、まず自分の「夢」や「人生の目標」をカタチにしなければいけません。
ますは自分の「夢」「目標」「やりたいこと」を長いスパンで考えて、それらを「やりたいことリスト」として書き出してみましょう(P030)。

でもこれは、人に見せるためのリストではありません。その人がどんな夢を抱こうと、個人の自由です。
人がどう思うかは関係ないのです(P031)。

仮に予定が一年遅れても、くよくよする必要はありません。
八十年はあろうかという長い人生において、一年の遅れなんて誤差のうち、あとで取り戻せばいいだけの話です。
ポジティブに考えて、夢を追い続ける姿勢が大切なのです(P044)。

たぶん、自分の現状を客観的に眺めると、夢とはあまりにもかけ離れた未熟な自分が随所で浮き彫りにされると思いますが、ここから逃げてはいけません。
夢と現実との乖離を埋める行動計画そのものが成り立たなくなるので、辛抱して”目をそむけたくなるような情けない”自分自身を見つめることが大切です。ここで現実を正しく見つめられなければ、その延長線上にある未来の姿を正確に見据えてそこに邁進することなど、できなくなってしまいます(P051)。

すべての目標を数値化する
日産自動車CEOのカルロス・ゴーン氏は雑誌で「数値化できない目標は『実行できない』とイコール」とコメントしていましたが、私は先ほども述べたように「数値化できない」目標は目標ではない」とまで考えています(P096)。

「人間は書物を通じて、人の一生を数時間で疑似体験できる。だから、本を読め。生涯、勉強し続けろ」と(P108)。

しかも、勉強すればするほど、自分が何も知らないことに気づきます。
その分だけまた、勉強の課題が増えます。勉強を始めたらもう、「これでおしまい」というところがないはずなのです(P111)。

私の思考の特徴の一つに「何事に対しても、すぐアクションに移すのではなく、まずそれを達成する一番効率のいい方法を考えてから、そのあとでアクションに移す」というものがあります。
これは「より早くゴールに突き進む」ためではなく「より早くゴールに到達する」ための考え方と言えるでしょう(P114)。

「大きな声で挨拶しよう。元気が出てくる」
「笑顔をつくろう。心が楽しくなる」
「人に礼儀を尽くそう。尊敬の念がわいてくる」(P123)

情報整理のコツはいろいろあると思いますが、私が一番重視しているのは「情報整理はサイズの統一から」という鉄則です(P148)。

そもそも私は、数字は一日に何度もチェックするものだと思っています。
月に一度のチェックでは「先月はダメだったから、今月はがんばる」となって、目標の達成に向けての努力が後手後手に回ります。
でも一日に三回チェックすれば「午前十一時の時点ではダメだが、午後三時までに成果を出す」くらいのがんばりが期待でき、それだけ成果もあがります(P191)。

他の人の書評を読んで
書評・雑感:がんばれ30代

とにかくまずは本書の内容にしたがって自分年表を作成することだと思います。この手の本は読後「ふーん」と関心だけして本棚の肥やしとしてしまう人が多いです。それは非常にもったいない。私も時間を見つけて自分年表を作成してみましたが、意外にも楽しく作業できます。私はランチ時間などを利用してやっています。

この本を読んでまず実行したのが、「自分年表を作ること」。
上記の方は、意外に楽しくできた、と書かれていますが、自分は結構苦痛でした。現実を突きつけられた、みたいな感じでした。
ただ、とにかく実行することが一番大切です、間違いなく。

平然と車内で化粧する脳

平然と車内で化粧する脳
扶桑社
澤口 俊之, 南 伸坊

読後の感想
 認知学の教授との対話形式の本。
基本的な概念まで戻って説明されているのでサクサク読めます。
 結論としては、車内で化粧することが恥ずかしい、と認識する能力の欠如が原因。
恥というのはかなり高度の脳の仕組みを要求する。
 幼形成熟化が進み、また社会生活の変化によって社会性を身に付ける機会が減った、というのが大枠です。
 とても読みやすく分かりやすい本でした。

印象的なくだり

「生殖可能になるまで育つ子ども(遺伝子)をどれだけ次世代に残せるか」が、生物が生きる究極の目的ということになります。
この”次世代にどれだけ残せるか”という尺度を、生態学では適応度と呼びます。
生物は、適応度を高めること、つまり遺伝子をより多く残すような性質や行動を獲得することで進化していきます(P029)。

ネオテニーは、子どもが未熟になるというリスクも大きい反面、学習を含めた経験をたくさん積めますから、複雑で変動する環境にうまく適応できる能力が身につきます。
ですから、成熟した子どもを残すという点から見れば非常に確実性が高いんですよ(P031)。

ネオテニーは諸刃の剣なんです。幼年期の延長でより多く生きる知恵を学べるようになったのはいいけど、逆にいえば、ヒトの子どもはしかるべき子育てを受けなければ生きていけないようになってしまった。
とくにモンゴロイドである日本人はネオテニーが進んでいるのだから、それだけキチンと子育てをしなければいけないわけですよ(P040)。

脳内物質が出るとそれはやがて分解されて、代謝産物が血液や脳脊髄液の中に出てきます。
その量の増減で推測しているんです。
代謝産物と元の血中物質との間にはおそらく線形的関係…比例関係があるだろう、とにかく血中に増えたら脳にも増えているだろう……という前提で推測をしているわけです(P133)。

「日本人はなぜ恥知らずになったのか?」というのが、この本のテーマだったわけですが、先生のお答えは「前頭連合野の未熟性が助長された結果の脳の機能障害である」とこういうことになった(P147)。

我々がことわざを納得できるのは、そこで言われている価値観や倫理観が連綿とうけつがれているからですよね。
(中略)価値観や倫理観、社会の規範というのは、そうやってみんなが共有するからこそ成り立っているんです。理屈はいらない(P206)。

「話せばわかる」といいますが、話してわかるためには、まず話してわかるためのベースになるものが必要です。
価値観や倫理観が共有されて初めて、話し合いが成り立つわけですから。
その価値観、倫理観をどうやって植えつ付けるかというところが抜けてますよね(P207)。

知識になったくだり

「ネオテニー」は幼形成熟、つまり幼い時期の特徴を保ったままで成熟し、繁殖することをいいます(P013)。

たとえばモンゴロイドの肌は黄色ですよね。これは、雪や氷の反射で受ける強い紫外線への対策として色素が増加したんだと考えられます(P024)。

適応度を高めるために生物がとる戦略は、おおざっぱにいって二つあります。
まず一つは、子どもをできるだけ多くつくる戦略です。(中略)多産多死戦略ですね。これを生態学の用語はr-戦略といいます。
(中略)rは生態学のターム「内的自然増加率」の率、つまりrateの略です。
もう一つは、子どもの数を少なくして、その代わりていねいに、確実に育て上げようとする戦略です。これを少産少死戦略、K-戦略といいます。
こちらの集団は、環境収容力Kに近い密度で維持されるので、Kを使います(P030)。

他の人の書評を読んで

浅沼ヒロシの書評ブログ 晴読雨読日記

結論からすると、「シツケがなってない」とか「子供部屋なんて必要ない」とか「日本人なら米と魚だろ」とか、まるでそこらのオヤジが言っていることと変わりはありません。しかし、その根拠が「人類500万年の中で培ってきた」とか、「モンゴロイドのネオテニー戦略」とか、アカデミックな話になっていくので、教わる方としてはちょっと賢くなった気がします。

結論に対する感想としてはまさにそのとおり。
結論は同じでもそこに至る過程が異なるとこんなに説得力が増すんだなぁとしみじみ思いました。

『質問する力』

『質問する力』
文藝春秋
大前研一

読後の感想
 相変わらずの「自分を変えろ」との熱い主張に、このままではいけないといい意味で自己啓発される本です。
 ただ若干過去の事例の分析が多く、未来に向かってという方向の記述が少ないのが気になりました。
 帯の「これをつければあなたも必ず成功する」は少し煽りすぎですね。

印象的なくだり

八〇年代半ばのアメリカは、冷戦のために莫大な軍事費を使い、一方で対日貿易で巨額の赤字を出していて、この財政と貿易の双子の赤字によって国力は疲弊していました(P031)。

デルの経営手法は、コンサルティングの言葉でいうCRMとSCMを融合したものと言われます。
CRMというのはカスタマー・リレーションシップ・マネジメントといって、顧客と企業を電話やインターネットでダイレクトにつなぐ販売手法。
SCMというのはサプライ・チューン・マネジメントといい、実需に基づいて納入業者も一体となった適切な生産を行う生産管理の手法です(P046)。

複雑にからまりあった出来事にどう対処するかという時、質問することによって初めて、そこに横たわる根本的な問題が明らかになります。
そのうえで進むべき方向がわかります。
「これって、どういうことなの?」という質問から、全てが始まります。
ところが皆が迷っているから、自分も危機感を持たない、という安堵感さえ今の日本企業、自治体、政府には漂っています(P055)。

金融機関というのは集めた資金を投資するのが仕事です。
貸出先をプロの目で選んで運用し、必要な企業に資金を提供するところに存在意義があるのに、そうした社会的役割を放棄し、集めた預金で国債を買っているだけ
なのだったら、存在する必要はありません。
国債を直接、国が国民に売ればいいのだし、そのほうが調達コストも安くなります(P139)。

国債は未来からの借金である(P157)。

「今の若い世代はたくさんの老人を養わなければならない。負担ばかり大きくてかわいそうだ」などといって同情する人がいます。
本当に若い世代がそんな責任を果たすと思っているのでしょうか?(P159)。

まずは本当に自分が理解しているかどうか、つねに点検してみることです。
そして、すこしでもわからないところや疑問点があればとことんつきつめるということです。
その際には人に聞いてもいいでしょうし、あるいはインターネットで調べてみてもいいでしょう。
あるいは文献にあたるのもいいでしょう。
しかし、ひとつの情報源にたよるということはしないことが大切です。
他人のうけうりではなくて、自分の腑に落ちるまで調べてみるのです。
そうすることでいろいろな問題点が整理されていきます。
問題点が整理されてくれば、解決方法もわかってきます。
その解決方法をこんどは他人に説明して理解してもらうというプロセスがあります(P224)。

国が国民を守れない時代になった今、日本人はすべからく「質問する力」を発揮して、自分の生活を守り、自分の生き方を考えねばならない。それによって日本という国自体も変わってくるはずである。
これが本書の趣旨です(P268)。

『「超」整理日誌 地動説を疑う』

ダイヤモンド社
野口 悠紀雄

読後の感想
 サブタイトルの『地動説を疑う』に書かれたとおり、今まで常識だと思っていたことは本当に常識なのか、本当に理解しているのか、という視点を強く意識させられる本です。

 Ⅰ部の「常識に対する疑いが社会を前進させる」というのはまさにその通りだと思いました。「あるべきものがない」というのは意識しても、気づくのは難しいでしょう。

 難しい事象も身近な具体例に置き換えて書かれており、分かり易さを非常に意識しているのが、読み取れます。良書だと思います。

印象的なくだり

本の「積ん読」は、一般にはよくないこととされる。だが、私は、大変意味があると考えている。
自分の蔵書なら「自分の側」にあると感じられるから、本のほうから近づいてくる。
そして、いつかは読めて、本当に「自分の本」になる。

五年も一〇年ものあいだずっと積んでおいた本を、何かのきっかけで読了し、自分のものとしたことも多い。
これに対して、書店や図書館にある本は、なかなか読めない。いつになって、「あちら側」のままだ。
だから、読みたいと思った本は、迷わず買うべきだ(P020)。

分からなければ、聞けばよい。実際、質問できるのは、自信の表れなのである(P030)。

内容を本当によく知っている人は、分かりやすい言葉で説明するものだ。
アルファベット略語を振り回すのは、理解していないことの証拠と考えて、まず間違いない(P031)。

固定観念とは、ある刺激に対して常に同じ反応をすることである。
刺激に対する最適反応をいちいち考えていたのでは緊急事態に対処できないし、思考作業のムダだから、こうした短絡的・画一的行動様式が一定の合理性を持っていることは間違いない。しかし、それしかできないのであれば、昆虫と同じである(P055)。

「情報」については、必要性の判断が非常に難しい。そして、不要なものを大量に抱え込む危険が大きい。
しかも、情報は、「多ければ多いほどよい」というわけではない。重要な情報が過剰な情報のなかに紛れてしまって分からなくなってしまうということもある(P062)。

地上デジタル・テレビ放送について
何より最大の疑問は、「ハイビジョンの画像やCD並の音声」にふさわしい、充実した内容が提供されるのだろうか?ということだ。
現在とあまり変わらぬ内容であれば、情報量が多くなっただけアラが目立つだけではなかろうか?
「髪の毛一本ずつ見分けられる鮮明画像」というが、タレントが馬鹿騒ぎするだけの番組で髪の毛が見分けられても、馬鹿さ加減が拡大するだけだろう(P068)。

言葉は、登場自分物の文化的・社会的背景を端的に表している。それを理解できないことは、作品の最も重要な部分を理解していないことを意味する。
そう考えると、異なる文化の理解はなんと難しいのだろうと、ため息が出る。言葉が重要な役割を担う文学、演劇、映画は、絶望的なのだ(P084)。

これまでの日本で、リスク評価の重要性が意識されなかったのは、つねに値上がりする「土地」という絶対確実な担保があったからだ。
これさえ押さえておけば、貸し付けの安全性は確保された。
銀行にとって重要だったほとんど唯一の課題は、支店を拡大して預金を獲得することだった。
支店の開設は大蔵省の認可事項となっていたため、当局とのつながりを密にすることが必要だった。
「モフ担」と呼ばれた大蔵省担当係が出世コースになったのは、当然の帰結だったのである。
「地価が上昇し続ける」という環境のなかで、日本の銀行のこうした体質は、まったく合理的なものだったと考えざるをえない(P106)。

「食糧安全保障」ということが言われる。ところが、そう言う人の多くは、「安全保障のために国内生産を」と言う。
しかし、供給源分散こそが、食糧安全保障なのである。われわれは、すべての卵を一つのバスケットに入れるという愚を犯してはならない。
「自給率が低いから心配」というのは、国内供給者の論理なのである。われわれは、そうした議論に惑わされることなく、消費者の立場から問題の本質を見きわめなければならない(P178)。

この本をどう活用するか
毎日当たり前に受け止めていることについて、もう一度理由をつけてみようと思いました。全てを疑ってみます。