『官僚たちの夏』

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『官僚たちの夏』 – 城山三郎
読後の感想
1960年代を舞台にしているのであろうか、もしも実際にこの時代の雰囲気がこの小説通りだとしたら、この時代に生まれていなくて本当に良かった、と心から思う。
だって、一事が万事全て「理不尽」すぎます。

人事権の濫用、恣意的な評価、報復的な運用、同期から次官が出たら他の者は外局に行かなければならないという意味不明な慣習、小説に出てくるあらゆる様態が尽く理不尽なのです。当時はそうだったといえばソレまででしょうが、なんとも我慢できない気持ちで読み進めました(解説には私利私欲がなかったので、とか書いてあるけどそういう問題でもない

まぁ、トップたる大臣の首が頻繁に入れ替わるので、組織として一貫したことをやるのは難しいのは今も昔もそうなんでしょうけど、本当に場当たり的な組織だなぁと強く感じました。

印象的なくだり
風越は、その葉書を屑籠へ放りこんだが、すぐまた拾い上げ、引出しに納めた。何気ない葉書にも、人柄は出ている。これも、資料のひとつになる。人間に関するものは、何でも集めておく。調査し蓄積して、だれにも負けない情報を持つ。自分は人事調査のエキスパートになる。だからこそ、上司や大臣を自信を以って説得できる人事原案をつくることができる(P.069)

『困ってるひと』

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『困ってるひと』
大野更紗

読後の感想
この本を読んで、「困る」って相対的な概念だな、と強く感じました。
この人に困った具合からすると自分の状況ってまだまだ「困った」状態ではないな、とも思えました(少し不便なだけ、みたいなね)
著者は、筋膜炎脂肪織炎症候群という長い名前の難病と皮膚筋炎という
難病も併発している二十六歳の女性。

発症する前まではごく普通のというか、むしろ活動的な部類に入る大学院生だったという。
いや「あの」安積女子の合唱部にいたなんてことは相当気合が入った人のはず(その筋の分かる人には分かるアレ)。
そんな人が難民問題に取り組んだりなどと、困っている人を助けている間に自分が困っている人になっちゃった、とのこと。
割と軽薄な文体なので、いまいち感じにくいかもしれませんが、時折挟む切ない心理描写は相当キます

検査入院した(おそらく相当末期の患者を扱う病棟に入ったときは、

わたし以外の入院患者さんは、全員、寝たきりか、電動車いすだった。多くのひとが、ほぼずっと、ずっと、たぶん、ずっと、この病棟しか、行き場のないひとたちだった。住民票がここにある患者さんも、いた。小さな男の子も、いた。わたしはその子を、最後までまっすぐ見られなかった。病棟に足を踏み入れたわたしは、ひたすら、ただ、笑顔をつくって、向けた。
ただ、心拍数のモニター音と、呼吸をしている音が、常にドアが開け放たれた各病室から聞こえる。廊下を歩くと、ふと、ベッドに横たわっている患者さんと目線が合う。どんな、どんな、気持ちですか。何を、考えて、いますか。
わたしが入った四人部屋の病室には、夜になると、わたし以外の患者さんのために簡易トイレが運び込まれ、全員に心電図のモニターが付けられる。病棟内はどこもかしこも、すごい音と、においが、した。朝も、夜も、途切れることなく、ずっと(P.090)。

とはかなげな文体になるなど、文体は割と意識的に変えているのだろうなと感じました。頭いい。
ただ、若干しつこいくらいに「女子」「女子」した内容が続くので、いわゆるぶりっこ系が苦手な人はちょっとつらいかもしれせんね。僕?ちょっと苦手かも・・・

実は、書評を読んだ後は「いつか読めたらいいな」くらいの気持ちしかなかったのですが、ふとした瞬間に手に入れたら、最後まで一気に読んでしまいました。この引きつける力はすごい。

それにしても、タイトルに偽り無しの困っている人、自分もいつか困る側になる前に読むことができて本当に良かったです。特に「おおっ」と強く感じたのがこのくだり。

難民の友人たち、彼らはみんな、自らがおかれた境遇というものをよく理解していた。わたしになけなしの食材でごはんをごちそうしてくれることはあっても、わたしに何か過度に期待したり、求めたりすることは、一度もなかった。
じゃあキャンプの中で、ビルマ難民が頼っていたものをは何だったっけ、と、記憶をよみがえらせてみる。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の援助米。NGOの急ごしらえの病院。IMO(国際移住機関)のバスに乗り、外の世界へ出られない難民キャンプから公的に脱出する唯一の方法である。第三国定住プログラムで欧米へ出国していく姿が、脳裏をよぎった。
つまりそれって。「国家」。「社会」。「制度」。特定の誰かではなく、システムそのもの。
ひとが、最終的に頼れるもの。それは「社会」の公的な制度しかないんだ。わたしは、「社会」と向き合うしかない。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした(P.213)。

そうか、仕組みがないのか。つまるところ、健康な人が中心に回っている国ということなのかな。
それは想像力の欠如かもしれないし、そもそもそんな人がいるなんて思いつきもしないのかもしれない。
ある意味、教育課程で異質なものは「穢れ」として排除されちゃうから、大人になるまで(いや大人になっても)気付くことなくきてしまうのかなぁ。

しかし、一気に読ませる力に比べてこの読後感はなんだろう。
ちょっとだけ感情移入が勝る僕の心には若干痛みが残りすぎたきらいがあります。
どきどきしながら著者の現況はどうなんだろうとか、少しそわそわして、検索したらお元気な様子でホッ(よかった

印象的なくだり

研究する国に正規で入れないなんて、地域研究者として致命的?はっはー、何をおっしゃる。泣く子も黙る『想像の共同体』著者、ベネディクト・アンダーソン大先生だって、二十七年間インドネシアに入国できなかったのだ(P016)。

予定調和どおり、地元の中学校からただひとり、一等の優等生が行く県立女子高校へ入学したわたしは、高校生活三年間をひたすら、とある名門合唱部の活動に費やした。
この部活動は、ハンパない。毎日四時に起き、パパママに車で最寄りの駅まで送ってもらい、一両しかないディーゼルエンジンのローカル線、始発に揺られて四十分。駅に着くと、朝方の市街地を三十分歩き、七時前には朝練が始まる。昼休みも昼練。放課後も夜まで練習。その後勉強などし、平日帰宅するのは、夜の十一時ごろだった。この生活が、高校三年生の十月末まで続いた。まったく、パパママもよく送り迎えに付き合ったものである。
三年間ずっと、ほとんどすべての全国大会で一等賞であった。甲子園の強豪とかいるレベルの話ではない。一位が「当たり前」であることを要求された。
部活内の規律は厳しく、どこぞの将軍様のマスゲームも真っ青である(これは当時の話であり、現在はもっとリラックスした雰囲気で若人が頑張っている)。想像してほしい。百人の、古めかしい紺色のロングスカート、いまどきどこで買えるのかわからない白いソックス、黒いローファー、全員マスク着用、一言も発さない無言の女学生の隊列を。全国をコンクールで行脚するその姿は、行く先々で戦慄を与えたに違いない。なんたって部内のごあいさつは、四六時中「おはようございます」なのである。芸能界か(P039)。

すげーよ、こわいよ(同じ合唱部出身者として

パパ先生にもクマ先生にも、「情報過多の傾向」「妄想が激しい」
「あまりネットやブログなど見るな、悪いようにしか書いてないんだから」と何度も言われたが、わたしは調べに調べ上げたうえでないと、治療も薬も恐ろしくて受け入れられないタイプなのだ。妄想が激しく、思い立ったら一直線なのは性分であるので、仕方がない。
「知らぬが仏」というひともいるだろうし、自分の身体のことなのだからできるかぎり情報を事前に得たいと思うひともいるだろう。欧米の病院などでは、入院患者が自由に使えるパソコンやインターネットが常備されているところも多いと聞く。患者が基本的な医学的リテラシーを学習できる施設や、図書館などが設置されている病院もあるようだ。
妄想が激しい現代っ子の女子患者としては、コソコソと自力でネットをつなげて、わけのわからない情報にふらふらさせられるよりも、はじめから患者がより正確な情報にアクセスできる環境をきちんと整えたほうが、医学的見地からも合理的であると思うのだが(P.082)。

トーキョー都会暮らしのシティボーイ・シティガールにはなかなか実感として想像しにくいと思うが、東北山間部での暮らしというのは、相当な体力・根性が必要とされる。
じっち、ばっぱらの九十度直角に曲がった腰、手ぬぐいモンペ姿は、戦中、戦後の日本の農村部を支え、生き抜いてきた証。シャネルにもヴィトンにも勝る、まこと賞賛すべきナイスルックなのだ。
そこは、ポッカの自動販売機が一台あるかどうかの世界だ。近くに医者がいない、病院がないことなど当たり前すぎて、指摘されないとそれが問題であることすら感じない。新聞は、朝刊が午後四時に届くのだ。実質的に「夕刊」なので、「夕刊」は発行されていない(P.126)。

この環境で、夕刊の存在を知ったときの気持ちってどんなだろう?

どうでもいい話だが、長期入院しているひとにあげるお見舞いで喜ばれるのは、パンツや下着、楽に着れる服、洗剤などのこまごました日用品、それから百円玉だと思う。
たいていの病院は病棟内に洗濯機と乾燥機が設置されているものだが、この洗濯に使う百円玉の消費量がバカにならない。両替しようにも、なかなか外に出るわけにもいかない(P.263)。

『起きていることはすべて正しい』

『起きていることはすべて正しい』-勝間和代

目次
はじめに ”メンタル筋力”と「運をつかむ勝間式4つの技術
第1章 「偶然を幸運に変える」セレンディピティの技術
第2章 あなたの潜在意識が目覚める!脳内フレーム120%活用法
第3章 「99%捨て、1%の本質をつかむ」即断即決法
第4章 「4つのダイヤ」を引き寄せるパーソナル資産増強法
第5章 勝間式人間関係の兵法-「5つのわがまま力」で年収が20倍になった秘密
おわりに 起きていることはすべて正しい

読後の感想
カツマーブームが去って、忌憚なく読むと割と良かった(笑
感想はこの一文に集約されています。

最後になりますが、こういった幸運を呼び込む力は、決して「勝間和代だけができた」「勝間和代だからできた」のではありません。ほんのちょっとした考え方の違い、習慣の違いであり、また、技術の違いで誰もができることだと確信しています。
どうやって、「起きていることはすべて正しい」と正面から事実を受け止め、潜在意識を活用し、即断即決し、自分の経験として蓄積し、そして周囲と調和しながら社会に貢献できる道を探していくのか、この繰り返しが私たちのメンタル筋力を強くし、不幸に遭遇したときの瞬発力を高め、幸運に、実力にと変化させていくのです(P.326)。

そりゃあ、本文に書かれていることを徹底してやれば勝間さんじゃなくても出来るでしょうが、これほど徹底してやる人は一般の人には無理です(そのほかの日常生活に支障が生じます)。
前提条件の違いなのか、はたまた覚悟の違いなのか分かりませんが、誰でもできるは言い過ぎです。

抜書の多さから察するに、勝間さんのこと意外と嫌いでない可能性があります(笑

印象的なくだり

本を読むということは、先人の経験を疑似体験することだと思っています。その場合には、
1.自分の知らないことを知る
2.すでに知っていることだけれども、より深く理解する
3.経験したこと、ぼんやりとわかっていることだけれども、それをスッキリと「言葉」や「手法」の形でまとめてもらう
など、何らかの付加価値が読者の方にとって必要だと考えています(P.005)。

「単なる疑似体験」にとどまらずきちんと分析すると、僕は2.が多いかもしれないなと思います。ちゃんと統計とって見るときっと違うんだろうな~。

具体的には、私が20代の頃、まずひきこもらずに、何か問題が起きたときに解決する初歩的な手法は下記の3つの手段です。
1.まずは自分が抱えている問題は何か、正面から向き合って定義をすること
2.その問題を、信頼できる他人(直接の知り合いか、場合によっては本の著者でもいい)に開示して、どうしたらいいかとアドバイスを求め、それを愚直に実行する習慣をつけること
3.1と2を繰り返すことで、だんだんと解ける問題の範囲を広げていき、解決策のカードをたくさん集めることで、新しい問題が起きたときにパニックに陥らず、問題解決に気持ちを向かわせること。
もちろん、最初に問題を他人に開示するということは勇気が必要だと思います。
しかし、私もこのような本を書いてみなさんの問題解決の手助けをしようとしていますし、多くの人が他人の問題解決を手伝うということは、相手のホッとした顔、喜ぶ顔、成長した姿を見ることで、相手の役に立ちたいというのは、人間の根源的な喜びです。ですから、ぜひ、恐れずに、周りの人に力を借りてほしいなと思います。そして、私たちも、力を貸せるときには積極的に他の人に力を貸すようにしたいのです(P.045)。

困ったときの対処法としての抜書。意外とできるようで、できないと思います。
逆に誰かの手助けをする際には、アドバイスのコツとして覚えておこうと思いました。かつで仕事で人事採用の面接をしていた際に「お客様(や困った人)の手助けがしたいんです」と主張していた志望者に、「どのように手助けがしたいのですか?」と尋ねたら、みんな軒並み口を噤んでしまっていたことを思い出しました。

技術を支える4つの要件
ここで「技術」と私が呼んでいるものは何かと言うと、以下の4つの要件を備えている行動習慣を想定しています。
1.再現性高く実現でき、
2.継続可能で、
3.比較的早期から効果が現れ、
4.長期に効果が持続するもの
「再現性が高い」というのは、人によって効果がある人もそうでない人もいるというのではなく、実行したほぼ大半の人に効果が出るというものです。
「継続可能」というのは、日常の習慣の中に落とし込みやすいものです。
「早期から効果が現れる」というのは、数日から長くても数週間のうちに効果が実感できるものです。
そして、「長期に効果が持続する」とは、その効果が頭打ちにならずに、続ければ続けるほど、効果がより増し、持続するものを指します(P.058)。

私がなぜ批判をしないかと言うと、2つの理由があります。
1つには、自分の現在の読書力が絶対でないと思っているからです。本当はすばらしい本なのに、私が見逃している可能性があります。それなのに、その本をつまらないと批判してしまうのは、相手に対して失礼です。
もう1つの理由は、その批判をしたとしても、私の運命過程の成長パスがよくならないからです。良書のいいところを吸収して、それをこれからの自分のディシジョン・ツリーの中の判断材料に用いて強化をすることで、運命過程の成長パスがスパイラル的にらせん状に上がり、好循環になることを狙います(P.094)。

む、前者は一部同意で後者は不同意ですね。確かに、僕の読書力なんてたかが知れているので、著者に対して失礼に当たることも書いている可能性が高いですが、それは自分の今のレベルでの理解度をアウトプットすることで、後々読み返すことにより成長を実感するために書いています。つまるところ、○年前の自分はこの程度しか理解してなかったのか…とするために書く意味があると思います。後者はなんでしょうね。悪書の悪いところだけを排除することにより、これからの自分のディシジョン・ツリーの中の反面教師とすることによって、運命過程の成長阻害要素を排除でき、悪循環を防ぐこともできるのでは?(もちろん僕自身も何を意味しているか、良く理解していません
勝間さんの素晴らしいところは、非常に分かり易い文章の後に、落差のある文章を持ってくることで、ギャップを最大限に利用していることだと思います(ニヤリ

よく「忘れてしまう」と言いますが、どちらかと言うと、忘れたのではなく、想起できなくなっている、思い出せなくなっているのです。「想起できない」と「忘れる」というのは違うことで、忘れるというのは、どんなきっかけがあっても出てこないのですが、想起できないというのは、ちょっとしたきっかけがあれば、内容が表に出てくることです。
したがって、データベースに収納したことは、あまり忘れることはないので、逆に思い出せるようにタグをつけるほうが重要なプロセスになります。だからこそ、フレームワークとかインデックスとか、いろいろは言い方をこれまでしてきましたが、ヒモづけをすることが大事になります。
なるべく、いろいろな言葉を知っていたほうがいいというのも、私たちが認識しているものに対してタグづけがしやすくなり、想起しやすくなるためです(P.118)。

これは非常に分かり易い表現だと思います。
箱にしまったのは覚えているけど、どの箱に入れたか分からない状況をいうのでしょうか。
タグづけ、ヒモづけは非常に有用であることを実感したエピソードがあります。二十歳くらいのころ、一人で韓国に旅行に行ったのですが、旅行中ずっとシンディー・ローパーをヘッドフォンで聴いていました。すると、その後シンディー・ローパーを聞くたびに、旅行中に行ったあの町やお店、空気の感じやにおいまで鮮やかに蘇ってきたのです。
というわけで、ヒモづけが大事だというお話と、タグづけを間違えるとえらいことになるという教訓でした。

セレンディピティ=「与えられた機会を最大限に活かす」技術
すべてにおいて制限された環境や条件があり、その人が他の人よりも有利なことも不利なこともあります。しかし、万能薬や魔法の杖を探すよりは、与えられたものを使い尽くす、やり尽くす、ということが重要です(P.120)。

相手に対して不満や要望があるときには、まず何が不満かを丁寧に伝え、相手にこんな行動をしてほしいということを伝えます。
そして、こうした要望について、相手が理解せずに同じような問題を繰り返す場合、数回までは我慢して相手の改善要望を出しますが、それでも改善しない場合には、その相手とはなるべくつき合わないようにすることが無難です。
なぜなら、それは相手と自分の相性が悪いか、あるいは相手に学習能力がないので、つき合うだけこちらの人生の無駄になる可能性が高いからです、
私たちは、時間や会える人数も限られているので、わざわざ自分の三毒を呼び起こすような人とはつき合わないほうがいいのです。もちろん、仕事上、どうしてもつき合わなければならない人もいますが、そういう人とは、接触時間を少なくする努力をします(P.133)。

小さい頃から人に嫌われてはいけないと、繰り返し教育されてきたために、人に嫌われてはいけないという呪縛が、私たちを捨てる技術から遠ざけてきたのです。
しかし、人に嫌われないようにすることで、自分の優先順位がおろそかになり、結果として、誰にも価値を与えられないようになってしまうことは、私たちを育ててくれた親にも、いろいろサポートしてくれた社会にも、かえって申し訳ないことです。
私たちは1人で生きているのではないからこそ、自分の得意なことを見極め、自分が得意でないことについてはなるべく時間を使わないようにすることが、自分に対しても相手に対しても誠実な生き方となります(P.165)。

大石さんからずっと教わってきた効率化というのは、やることを効率化するのではなく、やることを「減らす」ことが1番の効率化だということです。これを、呪文のように言われてきました。
とにかく、やることを効率化するだけでは前に進まないので、優先順位の第1は、やるべきことの量自体を減らすということだけです(P.172)。

やるべきことを増やすのはとても簡単だ。でも減らすのは本当に難しいし、苦しい。しかもやめた後に、本当にやらなくていいのか?という強迫観念が襲ってくるというおまけつき。

1%の本質を残せる人はどこが違うのか
アイデアについては、やはり「garbage in , garbage out」とよく言っていますが、いい人やいい情報との出合いに尽きます。とにかく、人とよく会って、よい本をたくさん読んで、自分でよく考えることです。
たとえば、ランチミーティングはアイデア発想の宝庫です。
読書にしろ、人に会うにしろ、とにかく自分の人生は1回しかないため、その濃度を増やすには、他の人から疑似体験をするしかないのです。
この本もある意味、私の人生をみなさんに疑似体験していただいているのですが、どうやって疑似体験するかと言うと、人の話を聴く、人の本を詠む、あるいはブログを読む、雑誌でインタビュー記事を読むなど、ひたすら人の体験をコピーするしかないのです。
その中で自分の体験と人の体験が混ざり合ったときに初めて「ああこれなんだ」というアイデアが出てくるのです。
したがって、疑似体験だけは不十分で、そこに自分の体験が重なって初めて、「ああ、これか」という「A-ha体験」が生まれます。
「捨てられない人は、圧倒的にインプットの量が足りない」というのが私の考えです。
大量の情報のインプットの中で、捨てて、さらに捨てて、その結果として、インプット5対アウトプット5が実現できます。
人の体験を疑似体験し、自分の経験と化学反応が起きたら、その反応を早めに言葉にしたり、行動に落として、体感し、身につけていきます。
行動に落とす方法は人に話しても、ブログに書いても、本にして出版してもいいのです。行動に落とすほうも簡単で、とにかくやってみる、ということです。
うまくいっている人、チャンスをつかんでいる人の特長は、行動が早く、インプットもアウトプットも大きいということです(P.210)。

ちょっと長いけど非常に響いたので引用。僕自身は捨てられない人を自認しているわけですが、ここではインプットの量が圧倒的に足りないと評されています。むむむ。

『1063人の収入を60日で41%アップさせて目標を達成する技術』

『1063人の収入を60日で41%アップさせて目標を達成する技術』-マイケル・ボルダック

読後の感想
羊頭狗肉でございます(キリッ
あおりには「7歳のときに、父に母を殺された体験」と銘打っているのですが、あんまり文の中には登場しませんでした。
あとは、この手のお商売によくある、「ダメな人生」→「なんとかしたい」→「大枚はたいてセミナーを受ける」→「性格が、人生が変わった」→「講師になっちゃう」→「経済的な成長」→「あなたもどうぞ」の黄金パターンでした。

ところでタイトルの1063と41はなぜこの数字を選んだのでしょうか?キリの悪い数字にして興味を引こうと思ったから?それとも素数だから(こっちだったらいいと思うけど多分違うでしょう…
但し、文字も大きく、改行も多用しているので、実際のページ数よりはずっと早く読めます。
ちなみに僕は15分で読みました(お風呂で
読書に疲れて箸安めに最適です。
強いて言うならば、抜き出した一文だけがピンポイントで光っていました。
この一文のために読んだと言っても過言ではなかろう(過言です…

印象的なくだり

行動を生む6つのニーズ
あなたが得たい結果は何でしょうか?
収入を2倍にすることでしょうか?
大きな資産を持つことでしょうか?
理想の伴侶を得ることでしょうか?
健康にダイエットすることでしょうか?

とても大切なことをお伝えします。あなたが今考えたものは、あなたが最終的に欲しいものではありません。私たちが究極的に得たいもの、それは「感情」なのです。
お金が欲しいと言っている人は、単に札束が欲しいのではありません。お金を持つことによって、得られる感情が欲しいのです。
たとえば、人から「すごいね」と言われて得られる自尊心、世界中を自由に旅行して味わえる変化の喜び、好きなセミナーに参加して得られる成長の喜び、そのお金で寄付をして味わえる貢献の喜び、すべて感情です。

あなたのゴールそのものは、最終的な目的ではありません。ゴールとは、「得たい感情」という究極の目的に到達するための、乗り物でしかないのです(P.044)。

「乗り物」という表現が気に入りました。
抽象的な感情とか目的とかをちゃんと具体化できる、いい比喩だなと思いました。

『読書の技法』

『読書の技法』-佐藤優

読後の感想
どちらかというと趣味に近いと思われている読書を、ビジネス本に仕立て上げる点は流石です。
目的がない読書を避け、目的を持って本を選別するという点は僕の考えとは少し異なりますがその他は全面的に同意。
読む価値は大いにあり。

印象的なくだり

なぜ、読書術が知の技法のいちばん初めに位置づけられなくてはならないのだろうか。
それは、人間が死を運命づけられている存在だからだ。そのために、時間が人間にとって最大の制約条件になる。少し難しい言い方をすると、人間は、制約の中で、無限の可能性と不可能性を同時に持って生きている。読者自身の人生を振り返ってみよう。いまとは違った人生の可能性も十分あったはずだ(P.003)。

人生の制約条件という言葉を、「死」に置き換えるところに、合理的さを感じる。
単なる読書として終わらせるのではなく、人生の中に入ることによって大きな意味を持っている「知の技法」が読書なのだ。

基礎知識は熟読によってしか身につけることはできない。しかし、熟読できる本の数は限られている。そのため、熟読する本を絞り込む、時間を確保するための本の精査として、速読が必要になるのである(P.044)。

知識を早くつけるために速読をするのではない。実は、熟読しなくてもいい本を選別するために速読をする、というのは制約条件の考え方からの発想であろうと思う。時間がいつまででもあれば、ずっと本を読んでいても構わないはずだから。

読者が知りたいと思う分野の基本書は、3冊もしくは5冊購入すべきである。
1冊だけの基本書だけに頼ると、学説が偏っていた場合、後でそれに気づいて知識を矯正するのには時間と手間がかかる。ちょうど我流で、最初に間違った平泳ぎの仕方を覚えると、後でそれを直すのが大変なのと同じである(P.055)。

最初に、間違った知識を取り込むと後々苦労するよ、という事例。

ビジネスパーソンの場合、満員電車の吊り革につかまりながら、これらの作業をすると周囲に迷惑をかけるのでやめる。出世するうえで重要なのは、自分の生活習慣から他人に嫌われるような要因を少しでも除去することである。そのためには自分がやられて嫌なことは他者に対してしないということが基本だ。
特にがっついているビジネスパーソンは周囲の様子が見えなくなることが多い。その意味で、満員の通勤電車は、マナーを鍛えるためのよき道場と考えることだ。語学学習のためにiPodを聞くときも「音漏れ」がないように注意するなど、他者に対する配慮を怠らないようにすると、後で必ず生きてくる(P.065)。

これは非常に良く分かります。
電車の中でこういう人を見ると「この人、人間関係とかダメなんだろうな」と思わざるを得ません(自発

雑誌だからといって、読者は書店で、必要部分だけを携帯電話のカメラで撮影するなどという著作権侵害はしないことだ。出世するということは、資本主義社会のルールに従ってゲームに勝ち抜いていくことである。書店や出版社、著者の商売を侵害する盗撮の習慣などが身につくと、将来、もっと大きなルール違反をして、結果として出世街道から外れることになるだろう(P.090)。

「出世」についての再定義が面白い。
資本主義のルールは、道徳だったり常識と言われるものとは少し異なり、きちんと勉強しないと見につかないようなものであろう。

労働力とは、人間が労働する能力のことだ。労働力が商品化されるということは、労働力にも商品としての価格があるということだ。この価格が賃金である。
マルクスの『資本論』の論理を適用すると、1ヶ月の賃金は3つの要素によって構成されている。第一は、労働者が家を借り、食事をとり、服を着て、それにいくばくかのレジャーをして次の1ヶ月間労働するエネルギーを蓄えるのに必要な費用。第二は、労働者が家族を養い、子どもに教育を受けさせ、次世代の労働力を養うために必要とされる費用。第三は、労働者が技術発展に対応して新たな仕事に対応できるようにするために必要とされる費用だ。
いまの日本では、年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えている。これでは、前述の第一の要素をかろうじて維持することができるのみで、次世代の労働力を再生産することができない。日本の資本主義体制を維持・発展させるという観点から、企業経営者が貧困対策についてもっと真剣に考えるべきだ(P.166)。

言語学や哲学の極めて難しい問題を、出口氏は高校生(あるいは国語が得意な中学生)に理解できるように説明している。本当に優れた教師は、天才が難解な論理で説明したことを、普通の人が理解できるように言い換えることができる。
ビジネスパーソンが仕事で読むテキストに関しても、そのテキストが書かれた文脈を理解しながら、著者の意図に即して読むことが大切だ。そのうえで、批判的な検討を加える。感情や勘でテキストを読んではならないのである(P.187)。

出口先生といえば、高校生のときに塾の国語を教えてもらっていたなぁ。予備校の先生って受験対策だけをしてる訳ではないんだね。
著者の意図通り読むのは本当に難しい。ずれていないか、間違っていないかと確認しながら読まないと常にずれていまう。

本当に大事なことは、二度と繰り返しません。逆なんです。本当においしいことは、一回しか言わないよ。
例えば、今、この場で、僕が同じことを何十回も繰り返し言ってごらん。みんなかえって聞かないに違いない。くどいな、また同じことを言ってるって。ましてや、活字に残すとなると、こんな下手な文章はないでしょう。
筆者は職業作家なので、物を書くことで生計を立てている。その立場からしても出口先生の言っていることは正しい。
本当に言いたいことを何度も繰り返すと、読者に飽きられてしまい、いちばん伝えたい内容が印象に残らなくなってしまう。同時に、伝えたい内容の骨子を1回書いただけでは、読者の印象に残らない。
したがって、反復が不可欠になる。多くの作家は(おそらく無意識のうちに)、いちばん伝えたい内容について、自分の言葉で1回だけ述べ、それ以外は、他人の口を借りてその内容を読者に印象づける。だから、引用はとても重要な意味を持つ(P.191)。

マンガの話でアレだが、『ドラゴン桜』の芥先生も同じ事をおっしゃっていた。現代文の問題と解くときに、文章と言うのは同様の意味を伝えるため、文章を変え、何度も同じ内容が反復しているのだと。
これって伝える技術のお話なんだろうか。

ときどき読者から、「あなたも作家で、大学で教鞭をとっていたこともあるのだから書いたらどうだ」という提案を受けるが、それは筆者の能力を超えるので断っている。知識を習得していることと、それを他者に伝達可能な形で伝えることとの間には大きなギャップがあるからだ。
少なくとも、教育現場で教養に関する知識を伝達する経験(官僚をやりながら大学で専門科目を講義するのは、このような経験には含まれない)のない人によい教科書を書くことはできないと考える(P.210)。

自称専門家は胸に手を当ててじっと考えるべし。

逆に夜は、極力、執筆活動は行なわない。このことを筆者は、ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの著作から学んだ。ボンヘッファーは、「夜は悪魔の支配する時間なので、夜中に原稿を書いてはいけない。夜中に原稿を書くことを余儀なくされた場合、翌日太陽の光の下でもう一度その原稿を読み直してみること」と述べているが、確かにそのとおりだと思う(P.242)。

いわゆる、夜に書いたラブレターのお話。それをこんな感じで格好良く書けるようになりたいもんだなぁ(次回からこの文章を拝借しようと画策中)。

次から実行しようと思ったくだり

普通の速読の技法3
定規を当てながら1ページ15秒で読む
(中略)
速読において時間をロスする最も大きな要因は、内容にひっかかってしまい、同じ行を何回も読み直すことだ。
これを直す技法がある。定規を当てながら速読するのだ。そうすると、同じ行を重複して読むことを避けることができる(P.092)。

ゆるい形で本を読む習慣が身についてしまうと、いくら本を読んでも知識を取り入れても、頭の中に定着していかない。本を読んで、「あっ、自分も知っている」という感覚は味わえても「では、どう知っているのか」と突っ込んだ質問を改めてされると応えられないのだ。それは、取り込んだ知識が自分の中で定着していない証拠である。
10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に応用が利く(P.101)。

まさにその通りの文章。
この抜書だって、有る意味時間をかけてやることではない、と考えている人も多いかもしれないが、それでもなお、抜書をし、有る程度まとめて形にすることによって、自分の中での定着が強くなる、と信じてやっています。

参考文献
『ソロモンの指環 動物行動学入門』
『新体系 高校数学の教科書』芳沢光男
『もう一度 高校数学』高橋一雄